カテゴリ:その他雑感( 904 )

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そうだ、元気ですと言おう。






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来週、私が世界で最も好きな写真家、サラ・ムーンの写真展「巡りゆく日々」を見るために東京・銀座のシャネルNEXUS HALLに行ってまいります。
サラ・ムーンを始めて見た時の衝撃は今でも忘れません。どれを見ても、私がそれまで描いていた「写真」という概念を完全に崩壊させられました。
どのうなものをどのように撮れば写真として認められてもらえるのか、いい写真だねと言ってもらえるのか、自分なりにそれを追究していたのですが、それらを見事に打ち砕いてしまったのがサラ・ムーンの写真でした。

写真は、美術品になるのだと、またその可能性があるのだとわかりました。
それと同時に、それまで撮っていた自分の写真は、自分をコピーを繰り返しているものに過ぎないことに気付き、いつしか風景を撮る機会が激減しました。
それからというもの、日本で素晴らしいと言われる写真を拝見しても、「確かに撮影は素晴らしい。とても自分ではまねのできないものだ」という写真は世界中にたくさんありますが、内心「目指したいのは違うんだよな」と思ってしまうのでした。

写真は物語になるべきであるし、また、美術品になるべきだ。
そう知らしめてくれたのがサラ・ムーンでした。その彼女の写真を生で見たい。そのためには東京に行くしかあれりません。


私がモデルさんをいつも必要としているのは、じつはそのためなのです。



いつになったらモデル撮影が本格的に出来るのだろうか・・・・・・・・。


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38年前、私はある仮説を立てた。

それは「細胞は意思によって変わる」というものだった。

その当時私は科学を研究していたわけではない。勉強していたのは精神分析であった。しかし、突き詰めて考えていくと、そのような仮説に至った。
その理由というものは素朴な疑問からだった。人間というものはどうして文字というものを発明し、衣服とというものを発明し、家屋というものを発明し、仕事というものを発明し、現代で言う人間社会を作るようになったか、というような疑問を持ったからであった。

人は文明というものを創作し(あるいは創作せざるを得なくなったのか)、今の姿で社会を作り、人間という動物としてひ弱な生命を維持し、世界で最も主導権を持ち、また、厄介な存在になったのか。

色々調べてみると、ダーウィンの進化論には相当な無理があるという疑問を持った。その生物がある環境の中で適応していくために「姿や機能」を変えて行った。そしてされはまるで突然変異てぜ行われたかのような説明が当時あった。
「突然変異」これほど科学者にとって逃げ道になる言葉はない。原因が究明できなくなったら「突然変異」で生物が変わったと説明できれば事足りるのだから。もちろん、その当時の理論ではそれ以上の説明ができなかったのかもしれないが、私には到底納得できるものではなかった。
なぜなら、一定の環境の下でその環境に適応するために体が変化するのであれば、その一帯の生物はみんな同じ形をしていなければつじつまが合わないからだ。
深海の水圧が高い海底で生き延びるためには、全てアンコウのような形になっていなければつじつまが合わない。
矛盾がかなりある。

その矛盾を解決する仮説が、「細胞は意思によって変わる」であった。
例えば魚類では、あるものは自らの身を守るために海底の砂と視界的に同化して他の生物に気付かれないようなして、じっと食料となる魚を待つという方法を選択して生き延びようとした。細胞の意思の中で。そのような選択を行い、その医師に適した姿となった。
あるものは見つかて戦いになったら相手を殺すような毒を持つことが最も自らを守ることができる、だから相手を殺せる毒を体外に出そう、という体のシステムをもとうとした。またあるものは、どうせ体長は小さいのだから、大きな魚と共存共栄できるように寄生して生きる道を選んだものもあるだろう。

 例を挙げればかなりの長文となってしまうが、人間のましてとても身近な日本人を例えて言うと、日本人の脚の長さは、世代が新しくなるほど長くなる。それを、食生活の変化によるものだという説を唱える方がいますが、そのような根拠であれば、同じものを食べた人間は全て脚が長くならなければ矛盾する。ちっとも科学的ではない。
 これを私の仮説では、明治維新以降、外国人と多く接するようになった日本人の中に、「あんなかっこいい長い脚になけれたら」という願望が無意識の中で芽生えて、残念ながら本人はもう無理だが、その願望の情報は細胞にしっかりインプットされ、新しい命が母親の胎内で形成されている途中にその願望の意識が細胞を通して伝達され、その細胞情報が細胞分裂して人間の体を形成する際の「こんな体にならなければならない」というメッセージを与えているのではないか。
だから、食べ物が原因ではなく、「私も長い脚を持った人間になりたい」という意思情報を無意識のうちに植え込んだ細胞から新たに誕生する命に伝達するのではないだろうか。

というのが私の仮説であった。
だが、私は化学者志望でもなかったし、もちろん実験もしなかったし、あくまで精神分析を勉強したうえでの、「疑問を明快に説明できる理論」はこれしかないと考えたのでした。この仮説を当時何人かに話してみたが、理解や興味を持ってくれたのはごくわずかの人で、ほとんどは進化論よりの考え方であった。
もちろん、仮に私の仮説が正しかったとしても、当時の私には何のメリットもなかったし、お金が入って来るわけでもなかったし、私は個人的な妄想なのだろうとずっと思って、この話題すらしなくなってしまった。

しかし、わずか40年弱ではあるが、化学はよりコアな部分に達し、細胞はメッセージを送っているというips細胞の存在が明らかになると、なるほど、私の仮説もあながち全く別の方向をむいたものではなかったのだという、変な自信を持つこととなった。
意思も重要なメッセージのひとつだ。そのメッセージが細胞を通じて次の世代に伝わる。これは何も矛盾することではない。

つまり、私が38年前に立てた仮説は私には全く何の利益を及ぼすことがなく、たぶん立証されることになるだろう、という将来を予見している。
まぁ、その時代にインターネットがあって私がブログをやっていたら、きっとその話もしていたと思うけど、結果が出てからこのような話をしてしまっても、またまた、単なるつぶやき以下の話にしかなりませんが。
まっ、そんなことより、写真集刊行の段取りを進めなければ・・・・・。



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先日ヒシイでマスターに勧められて飲んだのが写真の「KAVALAN」
いつもウイスキーが好きでいろいろ飲んでいるのですが、たいていロックで飲むことが多いのです。理由はいたって簡単で、ストレートで飲むと一気に酔いが全身を駆け巡り、次に何も飲めなくなってしまうからです。特にしたたま飲んで最後にストレートを飲むと、約5分後には、「早くベッドで寝たい」という切実な体になってしまいます。

以前その日の最後のお酒として、1杯3000円する貴重なウィスキーをストレートで飲もうとしたのですが、半分だけ飲んでもう天国に行ってしまいました。
そのような経験から、この日は最初にマスターお奨めのウィスキーをストレートで。ちびっと呑んでみると、これが美味い。そして強烈なアルコールの攻撃がなく、ちょっとだけチェイサーの力を借りて、それはもう滑らかな味を堪能できました。

それにしても、次々と色々な国から美味しいウィスキーができますね。
北海道の「厚岸」も楽しみですね。どのように熟成させるのか。アイランド系になるということですが、濃厚な締まった味になるのかな?
今から楽しみです。

ちなみにこの度私が飲んだのは、エクスバーボンオークというバーボンを作った樽で醸造されたもので、道理で美味しい甘さが引き立っていたのですね。
いやー、ウイスキーの世界はとてつもなく深い。だからまたお店に行くと飲んだことのないものを注文してしまうのです・・・・・。



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私は宣言しなければやらないタイプの人間であるため、ここに宣言します。
函館の街を撮ったミニ写真集を作成します。
私の写真ですから、きれいな観光名所の写真ではないことはお分かりになるかと思いますが、
たぶんその予想通りの写真集になると思います。

ここ8年間で撮った10万枚を超える写真の中から選択し、一冊のミニブックにまとめます。
完成しましたらご報告いたします。

あまり期待せずにお待ちください(笑)



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私の経験上の話で恐縮ですが、物事を上達せるためには、まず簡単なことから始めましょうというタイプの勉強の仕方では決して目的は達することができないと思っております。

私の身近にある例ですが、周囲に宅地建物取引士の受験を毎年年中行事のように受けている人たちがいます。資格取得者としていつもアドバイスすることは、分厚い参考書を読破すること、それを追えてから問題集などで実戦訓練すること、ということを誰にでも判で押したように教えているのですが、そのアドバイスにも拘らず、手にする教材は、「漫画で勉強する宅建」などのような、とりあえず手を着けてみようかというレベルのものを読んで(それも試験が近くなってから)、帆編人は受験勉強した積りなのたろうが、たいていの場合不合格になってしまう。

どうして、そのような教材では合格率が低いのか。さの理由は大きく分けて二つある。
ひとつは、宅地建物取引士の試験の場合、様々な法律が登場してくる。それをきちんと法律別にその法律の主旨を理解せずにただ覚えようとすると、実際の試験はもちろんのこと実務でも判断がごちゃごちゃになってしまうのである。でも、法律こどに勉強すると、規制や基準の根拠を理解することができる。つまり、試験や業務で必要とされる知識を整理整頓できるわけだ。

言葉で言ってしまうとこのように簡単だが、法律文書を読むのには相当な修練が必要である。条文には「なにもこんなに面倒くさい表現をしなくて、もっとわかりやすい表記の仕方があるのではないか」と思えるものがいくつもある。だが、いいか悪いかは別として、現在でも法律文書はわざわざ面倒くさく書いてある。それを読み取り、その法律の主旨を理解すると、自分の頭の中での分類と整理ができるようになる。

例えば、函館の西部地区の建物の中で指定されているものに二種類の称号があるが、そのひとつの伝統的建造物は元々「文化財保護法」という文部科学省系列の法律によって指定されているものだ。だから、当初は伝建は教育委員会が管轄していた(現在はまちづくり景観課に業務が統合されているが)。それに対して「景観形成指定建築物」は国土交通省の系列の「景観法」に基づいて制定されているので、担当する函館市の部署は都市計画課関連となる(これもまちづくり景観課が担当している)

幼稚園と保育園。幼稚園は学校であるので文部科学省、保育園は厚生施設であるため厚生労働省が管轄する。

以上の例えの他、対比できるものはたくさんあるが、ともかくそれを把握するもの、初めに難しい勉強をするかどうかの本人の選択によって異なってくる。

決して、初心者だから簡単なことから始めましょう、という程度のものだけでは決して目標には達しない。例え初めはそこから入ったとしても、すぐに専門的知識の習得には物足りないし、整理もできないことに気付いた人はより難解な法律分署にチャレンジしてみようとトライするだろう。簡単なところから初めて、そのまま簡単なことしか続けない方には専門的知識は身につかないでしょう。結果的に、その世界で仕事を続けることができるかどうかは、もう既にこの勉強の時点で見えていることになる。

ある程度のレベルで仕事をこなしていくため、技術・知識を得るためには、「難しいことから始めた方が結果的に早道だ」というのが私が生きて来た上での結論です。
私はもう60歳になりますが、(この歳としては)難しいことにチャレンジしなければやりたいこともやれなくなることを知っています。
ですから、簡単な方を選ぶわけにはいかにないことがいくつもあります。

そう、万能な人間なんていないわけですから、何かを始めるためにはまた難しいことから始めなければならないのです。


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このブログでは、かつて身近や全国的に起きたこと、または世界的な現象についても批評なり批判をしてまいりました。
しかし、特に最近はそのようなこともなく、ほぼ写真中心のブログ記事をお送りしていました。

この頃も、色々と批判したいことがあったのですが、全て飲み込み、表には出さないようにしていました。

批判・批評ばかりしてどうなるのだろうか?

物事は最終的には結果が全てです。
人々の賛同を得たか、人々から支持されたか。その時は話題にも残っていなくても、歴史に残せたのか?

ですから私は批判等はだんだん控えるようになりました。

そんなことより、伝えておかなければならないことはたくさんある。
本日のタイトルもそうです。

どうしても函館という小さな町に住んでいると、正論を話しても「都合上」や「人間関係上」でその関係にある立場の者たちは自分の立場を守ろうとすると、「妥協」や上下関係で認めざるをないことが生じて来ます。
それはそれでいいこともそれなりにありますが、いざ正面切って話し合いをしたら最後には正論はには勝てないのですね。
正論を正論っぽくさりげなく話し、相手に理解をしてもらうこと。これで、たとえば「しがらみ」や「お付き合い」で行ったことよりも社会的な力をもらうことができるのです。

そう、最後に正論は勝つ、ということです。

みなさん、王道を歩んでいきましょうか。



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私がカクテルを覚えたのはバブルの頃だった。その頃はカフェバーというものが流行っていて、カクテルを飲みながらビリヤードをプレイするのがお洒落だった。

それはそれで良かった・・・・。

でも、何か月か前、「あれはそれなりのばーテンダーによってつくられたものだったのだろうか?」という疑問を持ち出し始めた。
そこで最近昔飲んでいたとても定番のカクテルを頼むことをしてみている。飲んでみると昔記憶していた味とは全く違う。

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今私は「正しい」カクテルを飲み直すという作業工程にいる、




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ばー シェアーズ ヒシイ にて



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しばらく、旅をしたり飲食した際の記録の写真を撮ってばかりでしたが、そろそろ本気になった「作品」を作るための写真をとろうと思っています。

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そのために、しばらく撮るのもやめていた食事やお茶にいったお店の写真を、下準備的に撮るようにしています。

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イメージを凝縮して、それを写真という表現媒体で表す。ただそれだけのことなのに、写真にはその人の持つ底辺が必ず見えてしまうので、シャッターを押す前に、「おい、これでいいのか?」という問いかけを自分に訊くようにしています。

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その繰り返しをやることによって、ひょっとしたら自分にしか撮れない写真が出来上がるかもしれない。そこに至るまでには試行錯誤の数が最も確かな教科書だ。
妥協を許さない写真をどれだけ撮れるか、いいものになるかどうかはそれにかかっていると思う。



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