カテゴリ:その他雑感( 999 )

お知らせ~ブログ以外の発信_a0158797_23255131.jpg

ここしばらく、過去に写した写真を眺め整理していました。
今、その中で、Instagramは2種類のアカウントで投稿しています。

ひとつは函館写真に特化したアカウント  hide1969jk →  https://www.instagram.com/hide1969jk/?hl=ja
もうひとつは写真作品に特化したもの   jhm1996iphoto → https://www. instagram.com/jhm1996photo/?hl=ja

その他にも函館写真をまとめて4枚投稿しているのがtwitterです。

@jhm_hakodate → https://twitter.com/jhm_hakodate

なお、instagramの函館写真のアカウントページには、毎日1枚ずつ(今のところ)投稿しています。

その他にもfacebookpageもあるのですが、こちらは写真展などの具体的な行動を起こす時に更新しています。

よかったら、どれかご覧になっ見てください。特に、instaのhide1969jkは将来相当の数の写真数になると思います。
なお、冒頭の写真は、instaのjhm1996photoに投稿したものです。こちらの更新はたぶんそれほど頻繁ではないと思います。






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写真をなぜ撮るのか?_a0158797_22502942.jpg

なぜ写真を撮るのか?写真を日常的に撮っている時は、そんなことをいちいち考えて撮っているわけでもなく、強いて言えば「撮りたいから撮る」という理由だけだかなのだが、特にここ1年撮影頻度が激減した時に、「なぜ私は写真を撮らないのか?」という疑問を持ち始めたのです。

しかし、この疑問も結局「撮りたいものがないから撮らない」という単純な結論に至ってしまいます。
問題なのは「どうして撮りたいものが無くなってしまったのか?」ということなのです。

それを常にではないが、時々考えてしまう。
すると、それまで見た自分以外の方々が撮った写真が脳裏に甦る。それはもうそれなりの機材でそれなりの技術を駆使して撮られた素晴らしい写真ばかりなのであります。そのようなものがSNS他で大量に見ることができ、そんなものを見せつけられたら、お腹いっぱいになってしまって何かを撮りたいなどとは思わなくなってしまっていました。
本当に素敵な写真はいっぱいあります。それは素直に認めますし、そのカメラマンもその人なりのセンスと技術と努力のたまものをネット上に出して表現をしていたら、自分なぞとても敵わないと考えてしまうのは当然の流れであります。それでは、自分はもう撮る側ではなく「観る側」に回ってもいいのではないか、持っているカメラやレンズを売却するとちょっとだけリッチな旅行もできるのではないか、そんなことを考えたこともありました。

ですが、まだ手元にはカメラやレンズがあります。なぜなのだろうか?もちろんせっかく買ったのに手放してしまうのはもったいないという未練たらたらの気持ちもあるのですが、どうもそれだけではないようなのです。それが何かと言うと、自分が表現したい手段の大切なもののひとつであるからなのです。それを手放したらもう私は隠居することだけを考えるただのジジイになるしかありません(笑)
ところが、仮に先ほど言った素晴らしい写真を撮っている方と同じカメラとレンズと技術が自分にあったとしても、恐らく同じ写真はきっと撮らないだろうなという確信がどこかにあるのです。つまり、素晴らしい機材と素晴らしい技術を持っている方の中で、私が表現したい世界を写真という形にして世に出している人がいないということのです。もちろん自分が表現したい世界とは、自分だけのものであるので、それと同じになるように誰かに撮ってくれということは筋違いのものです。

そうです。だからまだ私はカメラを持っているのです。でも、完璧に私が表現したい世界を写真にできる人が現れたら、もう万歳して撮影はやめるでしょう。しかしながら、少なくても私が見て来た写真でそれを表現してくれているものはありません。だからカメラを捨てるわけにはいかないのです。

現在、instagramに毎日「#函館写真」「#hakodate」「#monochromephotography」で過去に撮った函館の写真を一枚ずつ投稿しています。面白いもので、過去の「カメラ小僧」だった頃の写真は、技術的な細かいことは別にして、なりふり構わず自分の表現をしたいと撮っていたなぁ、と懐かしく思います。
当時、あるカメラマンから、私が撮った写真は「見ればすぐわかる」くらい特徴があると言われたことがあります。こちらはがむしゃらに撮っていたものですから、誰の写真に比べてすぐわかるのかはわかりませんでしたが、まぁ、今思えば、それがその時の私が表現したい目一杯の成果だったのでしょう。
確かに今でも自分が好きな写真はあります。でも、それに似たような雰囲気で今撮ったら、ただ自分のコピーをしているようで、自分が許せないのであります。だからといって、instagramなどで投稿されている素晴らしい高精度な写真を目指したいかと言ったら、決してそうではないのです。知人に画家さんが何名かいますが、作品を作り始めたら、しばらく家に閉じ籠って絵作りに没頭するという話をよく聞きます。
写真作りもそうならなければ、いいもの、自分の納得に近いものできない。そう考えるようになりました。たまたま、幸いに、そのような作品を作れるかもしれないチャンスが今訪れようとしています。

どうやらかなり久しぶりに「カメラ小僧」になれるかもしれません。自分でもワクワクしています。
それを挙げるのは、恐らく今のinstagramアカウントではない、違うアカウントで発表することとになると思います。
その新しいアカウントでの写真は世界中の人が見ていただけるものになればいいと願っています。

さぁ、活動開始!





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再び「赤いブルドッグ」_a0158797_23490270.jpg



「赤いブルドッグ」


沙耶子は日傘を肩に掛け ワンピースのスカートの裾がめくれていた
子供が笑い ガードレールが曲がり 傘には汗が降ってきた
門番が お嬢さん、とまで言い 口をつむぐ
ドブから這い出たカメラマンは 太陽にレンズを向けて曰く
駄目だ ストロボが届かない
すぐ近くの元町の坂を 赤いブルドッグが駆け下りていく

沙耶子は傘を捨て スプーンをオールにして 大森浜から沖へ向かう
老婆は涙ぐみ ご飯仕度がなければ 私も行くのにと悔やむ
監視員が叫ぶ 近海で人間を密漁してはいけない
馬搬送車の運転手は 慌てて幌を密封するが幌は透明だ
いいかい旦那 ちょっと聞きなよ
この街のテトラポットは 赤いブルドッグの骨でできているんだぜ

沙耶子は結局泳ぎ 暖かい川が流れる岸に着くと鎮痛剤を飲む
ベルボーイが迎え チップをくれるか 服を引きちぎられるか
どっちなんだと心で思い 笑顔で沙耶子を担いでいく
コーヒーサーバーを首からぶら下げた 市議会議員は
いいんだぞ これに金を入れても
大丈夫だ心配するな 赤いブルドッグには気づかれやしないから

沙耶子は星の形をした 公園に搬送され 櫓で鐘を叩く
布団に包まった男は 転がりながら叫ぶ ゴジラが降って来る
慌てて警官が男の口を塞ぎ 気持ちはわかるがなと言う
壊れたガラス窓から 少女が顔を出し 血みどろの笑顔で
花瓶を放り投げ 両手を叩いて喜ぶ
すると少女の背中から 赤いブルドッグが走り去って行った

沙耶子はパジャマに着替え 東の山に三段跳びで登っていく
牛の背中から吹く風は くびれを舐めて 東の山で渦を巻く
風は人が息をする度に 色は七変化 針まで飛ばす
町内会長は 市役所の年金相談員に抗議する 何とかしろ
困ったわ では はっきり言うけど
何でもかんでも全部 赤いブルドッグのせいなんですよ 





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この頃人生が大きく変わる出来事が起きている_a0158797_11353983.jpg

最近、ネット上での知人等に色々なことが起きている。
本人はまだ気づかないだろうし、また、それは後に振り返って分岐点だとわかることなので、今は現在の自分の置かれている状況に懸命に考え、行動をしているだけだと思うが、きっとこれから今までとは違う人生を歩むことになるだろう。

今はそんな「星回り」なのだ。

そんな人たちを見守りながら、自分にも来るかもしれない分岐点をしっかりと見定めたいと思います。
こんなバカみたいなことを書いている根拠は、いずれゆっくりと話すことがあるかもしれませんが、今はここまでとします。
これを読んだあなたにもそれは今年中に訪れるかもしれませんよ。

今のところ私は、Windows7のサポート終了によって、パソコンを変えなければと思っているのですが、なかなかどれにするか決まっていないのが問題です。
仮に決めたとして、今のPCのバックアップや色々なサイトのID・PWをクッキー任せにしていたため、それらを改めて書きとめたりするのがとても面倒で躊躇しているのもあります(笑)

また今晩、「切ない街、函館」続きを書きます。




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ブログ開設10周年(3) ~ アクセス数と自分_a0158797_22435645.jpg

前回述べましたように、これからどうなって行くのか、何年やるのかわからないまま始めたこのブログですが、ひとつの転機がやってまいりました。それは、当時函館からとても面白いメンバーが函館の「今」を発信している「ハコダテ150」というサイトに関連したことであります。このサイトは函館開港150周年を迎えた函館を(たぶん)日本中にインターネットという手段を通じて函館の姿を伝えていたことにとてつもない面白さとそのサイトがもたらすムーヴメントに共鳴して、その中のコンテンツにあった写真投稿にいくつもの写真をコメントを添えて投稿していました。
しかし、このサイトもあくまで開港150周年の事業として行っていたため、その年が終わるとともにサイトもいったん閉鎖されました。しかし、せっかく集まった面白いメンバーのパワーを途絶えるのはもったいない、というかたぶんまだ燃え尽きていなかったのでしょう、新たに「ハコダテ150+」というサイトを起ち上げようという情報を入手したため、当時のメンバーの方を通じて是非参加させていただきたい旨を伝えました。そして、そのサイトの主宰者の「面接」を経て、新しいサイトのメンバーに加えていただきました。メンバーに加わって、早速色々な函館の出来事・歴史・イベントなどを「記者」として記事を投稿するようになりました。つまり、何かの情報を得て、それを調査したり取材したりして記事にまとめ、サイトにアップし、その後にその日のブログの記事も書くという、(本来の仕事をやりながら)今では到底考えられない離れ業をやっていました。有志による自主的運営サイトである「ハコダテ150+」に記事を投稿しても全くお金にはなりませんでしたし、もちろんこのブログも全くお金にはなりません。そんになことをやることが可能だったのは、今自分が伝えることができる函館を誰かに知ってもらいたいからという気持ちからのみのだったように記憶しています。

また、そのサイトメンバーの参加資格に、自分のブログを持っていてそれなりの内容でそれなりに更新頻度が高い者というのがあり、各自が自分のブログを更新するとそのサイトのメンバーブログ一欄みたいなものに自動的に更新された表示がされる仕組みになっていました。メンバーのどのブログも面白く、私もそれに肩を並べようと懸命に記事を更新していました。
そのサイトは訪問者が非常に多く、その流れで私のブログもたくさんの方々に読まれるようになり、アクセス数は急激に増加しました。すると私もどこにでもいる浅ましい人間ですので、もっとたくさん読んでほしいという欲が出て、「日本ブログ村」というランキングに参加してアクセス数をより増加させたいとしました。すると、そのうち、ブログ村経由のアクセスも増え、ついに「in」つまりブログからブログ村に入って行く数と、「out」ブログ村から個人のブログにアクセスされた数の両方が、「函館情報」カテゴリーで1位になったこともありました。それに伴って、私が利用しているexciteブログの「写真」部門でトップ10に入ることもしばしありました。これは全国での順位です。

さあ、そんな風になると私も浅ましい人間ですから、もっと強烈な記事を書こうとか、人受けされやすい記事を書こうとかして何とか1位ないし上位を維持しようと、よせばいいのに無理やり自らの理念を脱した記事を書き続けた期間もありました。また、訪問者数が増えると、様々な方からのコメントをいただくようになり、それが必ずしも好意的ではなく、痛烈な批判を伴ったもの、面白おかしく上げ足をとったようなコメントなどで炎上したこともしばしありました。
そのようなコメントにも真摯に答えていましたのですが、さすがにひどい、ただ攻撃性だけしか感じないコメントが絶えなかったため、読者からのコメントを承認制にいたしましたところ、コメント数は激減しました、しかし、たまたまその頃、「ハコダテ150+」も記事数の減少により、サイト維持の目的が希少となり、閉鎖することが決まりました。そんな時期を経て、次第に閲覧数も減少し、「ブログ村」の順位を落とし始めることになりました。ちょうどその頃私自身も、当初の函館歩き調べ人から情報を得て記事にするという方式から、より自分の内面的な内容の記事に移行を始めた時期でもありました。

自分がランキングの上位にいることにそれほどの関心も持たなくなり、ただ「いったい自分は何を伝えたいのか」というものに向き合うことが多くなりました。
多くの人々は、函館の情報を入手したくてご覧になっているのですから、私の個人的な感傷や考えなどどうでもいいのは理解していました。ですが、無理までして「受け狙いの」記事を書くつもりはなく、上位とは言えない位置にランキングしています。それはそれで十分だと思います。
今の私が望んでいるのは、ちょっとした情報を得るための手段として見られるブログになることではなく、ちきんと函館を考えて読んでくださる人にだけ読んでいただければいい、そのためにしつこく気が付けば10年も続けてしまったというのが正直なところです。

このブログのタイトルは「I shall be released」というBob Dylanの曲のタイトルを借用させていただきました。それには意味がありました。このインターネットという世界で、どれだけ自分を解き放つことができるのか、その実験をこのブログで自分で実行しようとしたわけです。
今では、ブログを毎日更新しなければならないという抑圧から解き放つために、更新を頻度を下げるようにしています。都合よく解釈していますが、どちらも「I shall be released」なのであります。

さて、今までがそうであったようにこれからも先がどうなるかはわかりませんが、自分がもういいや、やめようと判断をするまではこのブログは続けてしまうと思います。このブログの影響かどうかはわかりませんが、かつては観光客がせいぜい電停でいうと末広町までくらいのエリアしか歩いていなかったのに、「大町」や「函館どつく前」まで足を伸ばしている方々を散見します。

そんな大袈裟なものではなくても、かつて「ハコダテ150+」が実現したムーヴメントを再び起したいと密かに胸の中で描いています。
きっとそれが効力のある形である程度の年数続けることができ、それを継ぐ若い人たちが活躍できる環境が整ったら、私はこのブログを静かに閉じたいと考えています。
さて、それはいったい何年後のことになるのでしょうか?SNSには限度がありますし、常に出てはいつしか忘れているのがSNSです。
今でも、過去の記事で描いたことを覚えて、あるいは遡ってご覧になって、私が発した言葉に共鳴をいただいてくださる方がいらっしゃいます。それが可能なのがブログです。

この「記録」を私がもうその必要がないだろうと判断する時まで、よろしかったらそれまでお付き合いいただける方はお付き合いください。






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ブログ開設10周年(2) ~ ブログやって思ったこと_a0158797_22095211.jpg

そんなわけで先のことなど深く考えずにこのブログを開始したわけですが、当然の如く、当初はほとんどアクセスがありませんでした。
既知の方々にちょっとお知らせしたぐらいで、そもそも宣伝などもできるわけでもなく、「いったい誰に読まれるのだろう?」という暗中模索のような中、ただただ自分が決めたルールを守って記事を書いていました。

そのルールとは、
1.毎日更新すること。
 現在では、体力的にそれはかなっていませんが、当初何年かはほぼ毎日記事を更新していました。よく人からあんな長文を毎日書けるねと言われましたが、PCに向かうとまるで泉のように文章が湧いて来て、止まりませんでした。何かの課題について書き始めた以上、ひとつの帰結まで至らない文章ではいけない。そういう考えで、誰が読むかわからない文章も黙々と書き続けてまいりました。

2.ブログ上の人格を統一すること。
 ネットで匿名やハンドルネームで発信する時、人によってはその匿名性を利用して、あるいはいくつかのアカウントを作り、通常では人に言えないこと、または人を誹謗中傷すること、あるいは自分を美化したことを発信したりすることは容易にできます。そうです。ネット上ではその発信者は「想像上の人物」でしかないのですから、どんな「自分」にもなることができます。しかし、それをやってしまったら、読んでいる人はいずれ「何だ、こいつはおかしい」と気付くことになるでしょう。そんなに人は愚かではないし、いずれ自分がネット上のどこかに逃げるか、あるいはまったく発信しなくなったりするしかなくなってしまうと思いました。ですから、私は表現方法は変えることがあっても、その時に考えていたことや気持ちなどを正直に発信することに努めました。それによって「実在する想像上の人物」になりえるだろうと信じていました。これは、とても大切なことだと思っていました。私たちはインターネットによって、自由な発言をできるチャンスを与えられたわけです。こんな自由で機会平等なシステムは今までありません。自由で平等だからこそ、自分を律しなければ、いずれ混乱の渦に巻き込まれてしまう。そう考えていましたし、正直に話さない人間の文章には誰も魅力を感じないだろうと考えたからです。

3.個人攻撃は行わない。
 これも自分を律するために決めたことであります。人間生きていれば面白くないこともたくさん経験します。不快に感じる相手ともそりゃぁかなり出会うことでしょう。ですが、そこでいちいち個人名や店名を晒して攻撃するようなことは決して書かないことにしようと決めていました。そんなことをしても、自らが汚く落ちて行くだけだと思っておりましたし、何よりもそんなことをしても決して面白いブログにはならないだろうという想像ができていました。ただし、ひとつだけ例外がありました。それは、二十間坂のある自由の女神問題の時でした。さすがに函館市内でも、この問題は関心を集められ、実名も報道されていることから、私も店名・社長の名前を示して批判しました。ですが、たぶんこの1回だけだと思います。これ以外は、ちとえ誰か特定の人物なり会社なり団体なりを頭に描きながらも実名は挙げずに一般論的な問題という形で表現していました。

そんな自分のルールをきちんと思っても、それは相手にすぐ伝わるわけでもなく、アクセス数はパッとしませんでした。
ところが、転機が訪れて来ました。





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ブログ開設10周年(1) ~ なぜブログを始めたか_a0158797_00402338.jpg

もうすぐこのブログを始めて丸10年となります。
最初始めた頃は、まさか10年もしがみついて(笑)ブログを続けているとは思いませんでした。
続けても3年か、せいぜい長くても5年やっていれば自分でも上出来だと思っていました。それが10年続ける(続けてしまう)なんてその頃は考えもしませんでした。

では、そんなブログをなぜ始めたのか?
ここで簡単に記してみます。
函館に戻って来て、職に就いて2か月ほどたった頃、仕事も始めたこともあり、いよいよ函館定住の仕組が出来上がった頃、以前から拝見していた函館のブロガーのような記事を書いて、ますます函館市民としての立場から何かお話をできるのではないかという気持ちになったこと。
インターネットという媒介は間近な知人と話をするのとは別の事柄を自ら選択して話すことができ、それも日本はもちろんのこと、世界中に発信できることができるとても便利なツールであります。つまり(読まれるかどうかは別として)私の書いた文章が世界中で読まれる可能性があるということを知りました。だから、私はPCの画面の奥に広がる「世界」を意識して書いていました。どんなローカルな話題だとしても、少しくらいは共鳴してくれる人もいるのではないかという気持ちで書き始めました。また、それまでは「一般市民」という特定の誰かしか世の中に対して発言できなかったのが現実でしたが、インターネットという世界は誰でもその気になれば自分の考えを発信できる、本当の「民主的な」ツールであると知ったからでもあります。こんな便利で素晴らしいものを使わない手はない。私はインターネットという道具を使い、自分の考えを不特定多数(多数になるかどうかはわからないけれど)の方々に向かって話し始めました。

また、自分が素敵だと思った函館の姿を写真で表現してみたいとも考えていました。ですから、時間さえあれば首からカメラをぶら下げて西部地区を中心に歩き回りました。それはもう、とても新鮮で、奥行きがあり、味があり、切なさもあり、哀しさもあり、においもあり、光もある素晴らしい函館の「姿」を伝えたい。それもブログを始めた理由のひとつです。

その他の理由もあります。それは以前だいぶ前に書いたような記憶がありますが、ここで改めて書こうとは思いません。ただひとつだけお伝えできるのは、写真がその時のその光景を記録するのと同じように、「自分」という人間を記録できると考えたのも確かです。ですから、画面の右にある「以前の記事」は開始からずっと連なるように(設定によっては過去何年まで表記というできるが)記録の目次を設けました。

そんなこんなで、2010年1月10日このブログは静かに船出をさせました。どこの誰がご覧になるか、どれだけの数の方々が見てくださるのかもまったく見当もつかず、ともかくインターネットという大海原に出てみようと思ったわけです。




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色々ありすぎた2019年、そして2020年への希望_a0158797_22503530.jpg

2019年はなんと表現したらいいかわからない1年だった。
今まで生きて来た人生の中で、たった1年の間にこんなに多くのつらい出来事があった年はなかった。苦しいことを経験したことは今まで何度もあった。それも今振り返れば自分の至らなさに起因しているもの、と言えば聞こえはいいかもしれないが、早い話自ら墓穴を掘ったような失敗で苦しむ羽目に陥ったことや周りに迷惑をかけたこと。それは何度もあった。それは自分でしでかしたことであり、誰かにその原因を振りかざしても結局は自分に戻って来る類のものだった。

だが、昨年は当然のごとく(どんな形かはわからないが)いつしか必ずやってくるであろうという現象がまとめてたった1年の間に、人生という長い年月で数えるとほぼ同時にそれが起こった。また、何でこんなことに自分が巻き込まれなければならないのだろうという、今まで生きてきた中でも前例もないようなトラブルに引き摺り込まれた出来事もあった。仕事も想定外の忙しさの中、やっと仕事に慣れ色々なことを任せることができるようになった部下が、私とは全く別の原因で部署移動をしなければならなくなり、彼に任せていた仕事がどっと私に戻ってきたりしていた。

そんなこんなしている毎日を送っているうちに、自分がしたいと思っていたことをやる気力体力時間などは失せ、仕事が終わると真直ぐ帰宅し、ただ体を休めることを最優先にしていた。飲みに行くことはお付き合い以外は激減した。街に繰り出して写真を撮りたいと思うことも激減した。ただじっと日々の「やらなければならないこと」を終え、おとなしく次の日のために寝る。その繰り返しだった。

これらのことは、ごく一部の近い人たちには話しはしたが、もちろんこのブログでも具体的には一切話していないし、SNSで語ったこともない。そんなことを話しても、変に同情されるか、あるいは逆に誤解されるかのどちらかだけだからだ。だからじっと胸の中に潜めていた。今は人から評価してもらうべき時期ではない。自分のやるべきことを黙々と行うしかない。そんな1年だった。もちろんしんどいことばかりではなかった。毎年恒例のように行っている奥入瀬にも無事行くことができたし、少ないながらも新しい交流や以前からお付き合いのある方々の交流の継続などもあったし、素敵な新しい出会いもあった。

そんな1年を過ごし、来年はどうなるのだろう?
もちろん年が明けたと同時に何かが急に変わるわけはない。だが、少なくとも今年よりは良いことが起きるだろう。きっとそうなるであろうし、それを信じて生きるしかない。たぶん自分が待ち望んでいることは、そんなに簡単にはできないぞという教えなのかもしれない。

今年は自分を奮い立たせて行動に移す必要があると考えている。おそらく世界も今まで考えもしなかった大きな変化を見せるだろう。それがいい環境なのか、どうしようもない緊張関係が構築されてしまうのか。いずれにしても自分たちの力ではどうしようもない変化を体験しなければならなくなると思う。そのような「星回り」なのだ。
今まで常識だったものを当たり前のようにやっていたら世の中の動きに付いて行けなくなったり、時代遅れになってしまったりしてしまうだろう。その中で新しい価値観を持った人だけが積極的に行動出来るだろう。平成の時代はまだ昭和のやり方を残していても許容される部分があった。しかし、もうそろそろそれらが通用しなくなるだろう。
とても近い部分、例えば自分がお付き合いをする人々や自分が属する地域などと、遠くにあり自分とはあまり関係のないと思っていた「世界」を同時に見て行かなければならなくなるだろう。それを関連づけて思考できる人に活躍の場が与えられるだろう。

さて、私もそのように予想できる時流に乗ってみたいと思う。まだ何も具体的準備はできていないが、思いはずっと胸に秘めていた。あとは急がずじっくり行動に移すのみだ。

さて、皆様もそのような時代を迎える中で活躍できますよう、新年の初日にお祈り申し上げます。
なお、あと4日でこのブログも丸10年を迎えます。改めてこのブログについて、私の考えを述べさせていただきたいと思います。




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私はjhmである_a0158797_23125756.jpg

私はjhmである。
しばらくの間、それを忘れていた。

確かに、昔のように長文を一夜で書くことはできなくなってしまったが、まだまだ意味を凝縮して書けるはずだ。
写真も、カメラを首からぶら下げて街を歩くことが少なくなってしまった。

jhmという実在する仮想の人物として色々書いてきたが、そのバランスが崩れると、ただ長年に亘ってブログを続けているさえないジジイだと思われても仕方ない。
でも、やはり私はこれからもjhmであり続けなければならない。

もうすぐ10年の節目を迎えるが、ろくなことも書かないうちにブログを終了することだけはやめようという気になっている。

きっと来年は色々な意味で、面白い記事をかけるかもしれない、という期待を自分に持って、年末の今日この頃を過ごしている。




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神はなぜ人に死ぬ間際に苦しみを与えるのだろうか?_a0158797_00275083.jpg

ここで言う神とは、何かの宗教が定義する神ではなく、人の運命を握っている姿が見えない誰かという存在のです。
そういう「神」が存在するのかどうかも疑問なのですが、穏やかに静かにこの世の幕を閉じるかのように逝く人と、壮絶な苦しみを経験して亡くなる方もいらっしゃいます。
なぜそんな差ができるのか?

もちろん肉体という物理的なものに起因することは当たり前過ぎる話であり、あるいは事故や災害や争いによって死ぬのもそれが運命なのだからと言ってしまえばそれまでです。
死がいつ自分や家族や友人の身に覆い被さって来るのか、それは「長い時間をかけた穏やかな死」以外は誰にもわかりません。
昨日まで元気に生活をしていた人が突然何かの病気や事故あるいは争いに巻き込まれて死ぬということもあります。また、特にガンなどの多くの苦しみを伴いながら最期を迎えるという場合もあります。そんな時、その人はどんな思いで息をひきとるのか、経験したことのない私にはよくわかりません。

20代前半の若かった頃、ある日寝ていたら夢を見ました。その夢の中で、私はなぜか鳥になっていました。空を飛ぶというのはいくら夢とはいえ、気分のいいものでした。そして下を見下ろすと、動物たちや人間たちがたくさん動いていました。「あぁ、色々な生き物が地上にはいるのだな」鳥としての私はそう思いました。そんなことを考えている時、ある人間が私に向かって矢を放ちました。その矢は見事に私の体に突き刺さり、体から血が流れ、全身が思うように動かすことができなくなり失速した私は地面に向かって急降下を始めました。
「あぁ、自分はこのままだと死んでしまうんだな」夢の中でその実感を得ました。もちろん今となっては疑似的なものに違いありませんが、すーと意識が薄くなるような気がして、やっぱり死ぬんだ、と急降下の中で感じました。そして地面がかなり目前に迫った時、私は目を覚ましました。

鳥である私が急降下しなければならない状況を作ったのは人間でした。ライオンでもキリンでも鷹でも鷲でもなく人間だったのです。

さて、人間の死とは何なんでしょう。ひょっとしたら、人間に考える能力が付帯されたから、人間には考えることでしか判断できくなったのかもしれません。だから肉体的苦痛に加えて精神的苦痛を経験して死を迎える人もあるのかもしれません。

しかし、どう考えたって実際に死んだことがないので、結論は出ません。だから生きている者として神はなぜ人に死ぬ間際に苦しみを与えるのだろうか、という疑問を持ってしまいます。
いずれにせよ、ひとつだけ言えることは、考えるという能力に秀でたとされる人間には、他の生物では考えなくてもいいことを考えてしまうでしょう。
そのように思考を進めて行くと、「これからどう残された時間を生きて行くのか」ということと「どのように死んで行きべきなのか」という両極端な考えが交錯してしまいます。
あなたは「どう生きて行くのか」と「どう死んで行くのか」のどちらを考えてしまう題プなのでしょうか?




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