カテゴリ:その他雑感( 976 )

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えー、60年も生きていますと、色々な人を拝見させていただいたり、お付き合いさせていただき、色々なことを気付くわけで、今回のタイトルのようなこともある時からずっと教訓として私の中に細々と存在しているわけです。
成功者と失敗者いう言葉を使いましたが、何が「成功」なのか、何が「失敗」なのかというとはっきりした定義などないわけですので、この言葉自体が誤解を招くものです。例えば、社会的には名声を得て、経済的にも満たされいるけれど、プライベートでは孤独感で救いを求めている人、という方もいるでしょう。仕事のために家庭を壊してしまった方もいるでしょう。反対に何をやっても仕事がうまくいかないけれど、とても理解のある家族や友人に囲まれていて、精神的に満足している方もいるでしょう。

ですから、断定的には言えないのですが、ここでは、成功者は「その道で為すべきことを成した人」、失敗者は「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」という意味合いとして使い話してまいります。

まず成功者は、基本的に謙虚です。いわゆる威張っているとか、威圧的であるとか、そういう人はそういません。なぜこういう人を成功者と呼べないかと申しますと、そういう方は、人間関係の中で自分の立場をより上位にするために、相手を「見下す」ことによって事をスムーズに進めようとするからです。相手がその威圧にに負けて従ったら、本人は「成功した」と思うでしょう。しかし、その人がやったことは人間関係で上位に立ったことだけであり、何かを為したわけではありません。
成功者は、常に上を目指していますから、どうして自分は今以上のことができないのだろうか?自分が自信を持って行った事が、実は間違いなく失敗であったのではと反省したりしていますと、人に対して大きな態度はとらないものです。
実際にそのような人はたくさん拝見しております。おごることなく、過去の失敗を教訓に常に上を目指している。その結果が「その道で為すべきことを成した人」になりえるのではないかと考えます。

今夏の甲子園の地方予選が盛んですので、野球を例にとってお話ししましょう。地区予選で優勝し代表として甲子園に出場できるようになった。それはとても素晴らしいことですし、大変名誉なことですし、出場校の地元は大いに盛り上がるでしょう。そうです、その地域にとっては甲子園出場校の選手はスターになったのです。しかし、これで満足した人はそれまでです。地方大会よりもハイレベルな甲子園で勝ち上がるためには、相当の技術力と精神力が必要となります。そういう舞台で、出場だけで満足した人は実力を出すことなく、敗れてしまいます。甲子園で勝ちあがったチームはハイレベルなチーム同士の戦いを余儀なくされます。地方大会とは雲泥の力の差を見せつけられるかもしれません。そして、甲子園で勝ち残ったチームはからはドラフト会議で指名を受けることがよくあります。で、めでたく入団。ここでもそうですが、プロ野球選手になることだけが目標だった人はそれに満足して1軍のレギュラー選手になることができないかもしれません。そのレギュラー選手の中でも、とびきりの実力を発揮した選手だけが高額所得を得、大リーグから注目され世界最高の舞台で挑戦を続けます。

そうです、上を見たら気の遠くなるような果てしない先まで到達しなければなりませす。そこに辿り着くためには失敗を克服する努力が必要となるでしょう。だから謙虚に上で括約している人々から教訓を得て、努力するわけです。しかし、もう既に地方大会を勝ち抜いただけで満足してしまった人たちは、、それ以上にならない可能性があります。結局1回戦ないし2回戦で敗れる結果が待っています(もちろん、全てがこの方式に当てはまるという訳ではありません)。
それでも甲子園出場を果たしたら、それはもう地元のヒーローです。中には、甲子園出場をいつまでも得意げに話す人もいるでしょう。それがここでいう「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」であるのです。

経済界に置き換えますと、それまでパッとしなかった業績が、あることをやったことによって急激に売り上げが伸び、あちこちから注目を浴びた、という方もいます。
そういう方の一部は、セミナー講師として全国あちこちの会場でお金をとって自分の成功談を話すのですが、私はそういう話を聞くたびに、人に教えるよりも自分でその事業を拡大して世の中にその会社の素晴らしさが黙ってても知れ渡るくらいにした方がいいのでは、と思うのです。そんなに素晴らしいノウハウを持っているのなら、是非そうすべきだと思うのです。
結局、成功が一時的だったから、そうしたのか、もうそれ以上の「その道」を追わなかったのか。理由はわかりませんが、そういう方のお話を聞いてもあまり心に響かないものです。人間、自分という存在に不安(どう見られているだろう、怪しく思われていないだろうか?)を感じている時は、自分が評価されるかもしれない自慢話を多くするものです。みなさまもそういう人に出会ったことがあるでしょう。(有名な)誰々を知っているとか、本当はたいしたことをしていないのに何々に関わったとか。

残念ながら函館に多いのは後者の方です。函館だけで自分の「位置」が確立できればそれで満足。そういう方を多く見受けます。

さて、こんなことを偉そうに話している自分はどうなのか?これから奥入瀬で一人ぽっちになって見つめ直したいと思います。






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哀しみの時期が過ぎると愉しみの季節がやって来る。
哀しみの季節には、苦しくて寂しくてもがいている間に何かを生み出している。そして、それを愉しみの季節に消費してしまう。
だからまた悲しみの季節がやって来る。

ずっとずっとその繰り返しだった。



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生きていると思いもかけないトラブルに巻き込まれ、本人にはその認識がないのに不利な立場に陥られることがあるます。
私はその都度何とか最も適切な対処をし、問題を最小限にくいとめる努力をしてまいりました。
それが私の仕事であり役割であり立場であった。そういう仕事をしなければならないミッションがあった。

そのようなトラブル処理をする際に、一方的にこちらが悪いとされることもある。
そのような場合、第三者ははそれまでの経緯やことの内容を確かめることなく、その場の事象だけで判断してしますことがある。

つまり、ちょっとしたことで悪者にされていしまうことがあるということだ。





You could have done better but I don't mind
You just kinda wasted my precious time

But don't think twice, it's all right



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年齢と共に、傷付くことに鈍感になって来ている。
若い時、些細なことで大きく傷付き、まるでこれからの人生をダメにしてしまうのではないかと悩んでしまったことがよくあった。
結局その時は自分の将来に対して、加えて自分に対して自信なり確信なりを全く見つけることができなかったからではないかと思う。

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いい歳になった今でもそれは全くないとは言えないが、おかげさまでかなり鈍感になっている。
それはされである意味幸福なことなのだが、それと引き換えに残された人生の時間は着実に少なくなりつつある。

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そんな状況にいる中、心のどこかから時々「いい思い出をのこしてもいいんじゃないか?」ということだ。
いい思い出は、それは人によって違うだろう。これだということは誰にも定義できることではない。それは本人の問題なのだから。
でも、ひとつだけ言えるのは、本当に誰かを傷付けることがなく、迷惑をかけることがなければ、世の中の常識など関係なくやりたいことをやれるだけやっていけばいい。
多少のタブーやありきたりの倫理など度外視して、心の底から欲するものをやっていけばいい。

そして、素敵な思い出を作ればいい。でも、それは誰かに話す必要はなく、ずっとずっと胸の中にしまい、墓場まで持って行ってもいいものだと思う。
理想の自分の最期の言葉は「楽しかった」それを言って死ねたら、これほど幸せなことはないだろう。
そのためにも「素敵な思い出」は、まだまだ私には必要だる




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本日docomoショップに行って、6月から改定となるdocomoの新料金プランの相談に行ってまいりました。
現在の我家の総支払は、docomo光パックを含めて約2万円ちょっととなっているのですが、そのうち対象となるのは携帯回線のみ。
現在使用しているタブレットのプランは対象外であるため、比較検討対象となるのはスマホの2回線のみとなりました。

ちなみに我家で今まで使用していたのは、doomo withの割引(1台1500円×2=3000円)と5ギガのシェアパックという低料金のプランであったのですが、それでも光パックと併せて4000~5000円くらい安くなるのでは期待に胸ふくらませてdocomoショップに行きました。

しかし・・・・・。結論から言いますと、新料金プランにすると、docomo withが利用できずギガライトでシュミレーションしても、現在よりもたった1200円程度しか安くなりませんでした。それも、ギガライトの3GBプランを採用してでの話です。別の言い方をすると月の使用量が3GBを超えると、かえって割高になってしまう可能性もあるのです。

私の野望は見事に崩れ去ってしまいました。
今月使用するGBが3を超えるかどうかハラハラしながら利用する精神的リスクを考えると、結局現状のままの料金プランの方がまだましという結論に達し、新プランへの移行をしませんでした。

つまり今回のプランの目玉は、docomo withを利用しておらず、1家族3回線以上の携帯を持ち、そのうち誰かがたくさんのギガを使用しているパターンの方々のみが、大きな割引を得ることができるという内容だったのです。

うーん、困ったものです。私から言わせてもらいますと、ちっとも安くなっていません。新料金のプランは例えばスマホを日常茶飯事に使用している子供がいる家庭向けのプランであって、それ以外の人にとってはそれほど魅力のないものとなっているのです。

これにはたぶん不満の方が続々出現するなと思いました。家族(親子3名以上)docomoを使うとお得になる、つまりこの際だから家族みなさんdocomoにしましょうというプランに思えて仕方ないわけです。もう20年以上docomoを継続して利用していても、せいぜいポイントが付きやすくなるだけで、それほどのメリットが少ないように思えました。

よくある話ですが、長く使っているのにそれほどの恩恵を受けることのできない新料金プラン、きっとその内不満が出るのは必至と思われます。
どうか早速新新料金プランの企画を考えていただきたいと痛切に願うわけであります。





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元号が令和になって、逆に過去を遡ったものを題材にしたテレビ番組が多く見かけられる。

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そんな雰囲気の中、自分を遡ってみると、行く着くところはやはりこの曲だった。

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それも、The Bandのものではなく、私にとっては初めてこの曲を耳にしたパッピー・トウラムとのギター2本の弾き語りの曲だった。

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自らを省みると、結局この曲に舞い戻ってしまう。このバージョンはあまり聴けないのでとても曲だ。
そしてアコースティックギターが欲しくなった。自分好きな音楽を演奏してみたいという、ただ単純な少年の時のように、ギターを奏でてみたい。そこから何かが始まり、今に至っているのだから。

I shall be released







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セーヌ川の向こう岸でカジモドが何かを叫んでいる
それを聞こえたふりをしてエスメラルダが大きくうなずき小声でつぶやく
「あなたと私とはこのくらいの距離でいいのよ」
カジモドはともかく微笑んでいるエスメラルダに心を焦がしている
エスメラルダは「ともかくフェビュスの心が欲しい」と風にたなびく
そして「フロロさえいなければ全てが上手く行くのよ」
民衆は今何が必要とされているのかもわからず
ただただノートルダムに祈りをささげている

モランギュは今こそ革命の時だと民衆に叫んでいる
うつ病の民衆はオリーブ油をたっぷりつけたピーナッツをつまびく
「その方がこっちにとっては都合のいいことさ」
フロロは踊り子たちのスカートをたくし上げ脹脛のサイズをチェックしている
「君たちには選ばれる権利がないんだ」とフロロは口を曲げてうそぶく
エスメラルダはフロロに背を向け「これしか方法がないのよ」
民衆は誰の何の物語なのか、自分とのかかわりをわからず
ノートルダムの鐘を鳴らしているモランギュに顔を向けている

フロロはカジモドに向かいエスメラルダが欲しいとわめいている
カジモドは私が醜くなかったらエスメラルダにもっと近付けたといわく
「でも結局は力のある者の味方をするしかないのさ」
モランギュは誰を祭り上げ指導者に選ぶべきか試験管に試薬を混ぜている
エスメラルダは塔の上に登り風見鶏を北に向けるようにっまびく
「結局一番大切なことは民衆の顔をどこに向けるしかないのよ」
いや違う、大切なのは愛だとカジモドは最後の声を張り上げたにも拘らず
燃え盛るノートルダムの塔で二人は裁きを受けるかのように崩れ落ちていく





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誰も見知らぬ人の生きていた道のりなどそれほど興味はないだろうし、たぶん自分のことでいっぱいだと思うし、どうせこのようなブログを読むなら、今日の昼食に役の立つ食レポのようなブログやかなり誇張した騒がしそうなタイトルの記事を読むほうがいいのに決まっていると思います。
でも、長くこのブログを読んでいただいている方には、ちょっとだけ理解してもらえることもあるかもしれませんので、すこしだけタイトルにしたことについて話してみます。ひょっとしたら共感していただける方もいるかもしれませんので。

10代から20代までは何となく友達ができ、その年齢なりの(あるいはちょっと人より大人びた)遊びをして、楽しく過ごし、逆に言うと、そういう関係を保つことが心の支えとなっていました。ところが30代に入ると、みんな忙しくなり、あるいは家庭を持ったりして、一人になる時間が多くなりました。いつまでも馬鹿みたいによる遅くまで、または朝早くまで遊べなくなって来ました。仕事で夜の街を走ると、いかにも家庭の灯らしき光を放っている家を見るととても羨ましくなりました。
どうして自分はそこにいないのだ?そんな思いが胸に深く重たく、そして、夜の底に私はいつも沈んでいました。

ところが、家庭を持つことになり、常に家族がいることになっても、孤独を感じることが度々ありました。それは、結局どこかで自分が判断して結論を出さなければならない場面がいくつも訪れてくるからです。仕事でもそうです。30代後半以降になると、それなりの責任を負わされた立場になってしまうのは世の常ですが、その決断は最終的には私の言葉ひとつにかかってしまうことが多くなり。
だから私は海辺に行きねボーと海や空を見ながら考え事をめくらせながらる「さて、この問題はどうしようか」と考えをまとめることを試みるのですが、最終的には「えーい、やっちゃえ」と賭けに出ることもしばしばありました。

でも、何かに困った時、近くにいる誰かがアドバイスをしてくれたり、今はこの人に会いたいと思うと会ってくれる人がいました。それはとても幸運なことであり、だから決して自分は不幸などとは思うことがないのですが、けれど、誰でも同じように孤独感を持ってしまうことがしばしばあります。でも、その孤独感は大人である証拠の一つであります。
だからなのでしょうか、私は孤独になるために時々旅に出ます。そこには地元で培ってきた実績も何もない、ただの一人としての人間になるわけであります。その、ちっぽけな人間がどれだけ受け入れてもらえるのか。それはどれだけ孤独の時間に何を考えてきたかによるのではないかと考えています。





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世の中にも色々なことがあり、自分の身の回りに色々なことが絡みついて今日も生きて来た。

でも、今は寝よう。

good-night



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私は20代初めのころまで、自分が考えたことを言いたい放題話してきた。その話の内容は、その時点では間違いなく正しいと思っていたし、それなりの根拠もあった。例えばたまたま親しくなった人を洞察し、その人の潜在的なものが影響する欠点・困難などを指摘することもできた。それはある程度(絶対とは決して言えない)的を得ていたと思うし、そもそも私の考え方の根源的な考え方ができたのもその時期であった。

そして、私の話はけっこう的中していた。それ故に、私が頭の中に浮かんだものは「後から証明される」かたちで世の中の現象として現れて来た。
つまり、私が頭に浮かんだことが、世の中の現象として多くの時間をかけ現実のものとなっていたのです。まぁ、こんなことを話せば、おおよその見方としては「思い込み」「ナルシスト」と批判されてしまうのがオチになるでしょう、それが世の中の常であると思いますから、「意外と自分は凄いんだよ」ということは極力避けていました。
でも、不思議なことに、ずっと世の中を見ていたり、仕事をしていると、ある言葉やある数字がどことなり突然頭に浮かんでくるのです。
もっもと顕著だったのは、ある本州の地方都市の支店を任された時、「さて、この支店を経営ベースの売り上げにするためにはどうしたらいいか」と思いを巡らせていた時、ぱっとある数字が頭に浮かんできました。それはその街の主力産業の企業からの受注(契約)が14社になったら、この支店は経営上存在価値を示すことができるのではないか、ということでした。
こんななことを言うと変な宗教の誰かさんと同一視されるかもしれません、ずっと考えているとなぜかある時、根拠もない数字がすーと頭に下りて来るのです。まあ、それは私の経験からくるものなのかもしれないので、それはそれとして、日々仕事をしていたら、支店としての経営的分岐売り上げ(支店としてこれからも営業可能な最低売上)を達成した時、「ぁっ、最初にイメージで目標として14社との契約は知らないうちに達成していた」と振り返ることができた。

まぁ、それはそれとして今はこれでも言いたいことをかなり抑えてこのブログでも実生活、仕事でも控えめにして人生を送っています。でも、そのまま人生を終わろうと思っているわけではありません。たぶん社会との接点もなかり減少し、「しがらみ」や「忖度」を考えなくても、あるいは「もうそんなものどうでもいいや」という時期になりましたら、支持する人と非難する人が両極端に分かれてしまうような意見を述べることになるでしょう(その時まだ生きていた、あるいはまだPCで文章を書けていたのなら)

でも、20代前半までは「言いたいことを言った」ために軋轢もたくさん生じて来たし、そのためなのかどうかはわからないが、暴力をうけたことがあったが、そのことについては別の記事で詳しくお話ししますが、少なくとも「直接的な言葉で」で相手を気付付けないように、じっと我慢をしてまいりました。
どうしてそのような人間になったのか、近いうちにお話ししましょう。


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