<   2013年 03月 ( 35 )   > この月の画像一覧

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ニトリにしか縁がない私にとっては遠い存在の家具を製造販売している「CONDEHOUSE(カンディハウス)」という企業が旭川にある。とても手が届かない高級家具だ。
いわゆるゴージャスだけど品がないものではなく、シンプルだが洗練されたデザインであり、質の良さが誰が見てもわかるような家具を作っている。

旭川と言えば日本でも有数の家具産地である。北海道の良質な木材を使い、婚礼家具などの高級家具を製造し、旭川の基幹産業のひとつとして隆盛を誇っていた。ところが、バブル崩壊後、ニトリなどの廉価な家具販売会社の台頭と生活様式・婚礼形態の変化によって、高級婚礼家具の需要は激減した。その結果、地元の大手家具製造会社とそこを支援していた道内最大手の家具卸会社が相次いで倒産した。
その時の経営者の言葉は象徴的であった。

「いいものを作っていれば売れると思っていた」

その激動の時代よりもずっと前、1968年に当時の家具界の常識とは一線を画した企業が旭川で産声を上げた。それがカンディハウスであった。(発足当時は㈱インテリアセンター)
創業者は当初から、「これからの家具はデザインだ」と熱く主張していたという。まだ昔から変わらぬデザインで、高級感が重要視されていた時代に、カンディハウスは欧州のデザインを取り入れた家具を製造した。ところが、地元の業界では異端児扱いを受け、おまけに販売を卸売業者を通さず、直に百貨店などに納入する方式をとると、旭川の家具業界から完全に孤立した存在となってしまった。

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だが、創業者の眼は確かだった。日本人の生活様式が大きく変わり、婚礼家具というスタイルにこだわらずに、生活空間にマッチするものを選択するようになると、カンディハウスの洗練されたデザインは富裕層を中心に受け入れられ、今では札幌・東京・名古屋・大阪・福岡などの全国主要都市とアメリカ・ドイツに店舗を持つまでとなった。
そして、当初は異端児扱いされた旭川の家具業界の中で、今やリーダーという存在となっている。ひょっとしたら、この世から「家具の街・旭川」という言葉がなくなっていたかもしれない危機を、異端児が救ったのだった。

カンディハウスの挑戦はデザインだけではなかった。自分たちが求めるデザインで製作するために、それまでの家具製造技術では不可能だった技術を革新し、新たな製造技術を3度も開発したのだった。製品の材料となる木材の選択はもちろんのこと、デザインの実現のためには技術までデザインしたのであった。

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似たような例にホンダの車がある。かなり古い話で恐縮だが、初代のシティのデザインを製作したスタッフが役員たちにお披露目した時、こんな質問があったという。
「いい形だね。それで、エンジンはどこに入るの?」
役員が想像もできないほど、エンジンルームは小さかった。そのデザインで実際に車としての性能を発揮するためには新たなエンジンが必要だった。ところが、何とか小さなルームに収まっただけではなく、そのエンジンは小気味のいい優れたものだった。

私はこの初代シティに20代の頃乗っていた。そして、勾配のきつい日勝峠の上り坂で、貨物の重量のために前をノロノロ走る大型トラックをシフトダウンもせずに、5速で一気に追い越すことができた。それほどの高性能のエンジンだった。そして、この時、リッターあたり19.8㎞という、当時では信じられない燃費を記録した。

デザインは性能を要求する。また、性能はデザインを要求する。

20代の頃、勉強して少しだけわかったことがあった。だが、その考えは今でも変わらない。それは、

いいものはいい形をしている

ということを学んだ。



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このブログを始めた頃に時々函館の食べ物について書いたことがある。また、食遊帳というハコダテ150+のメンバーが共同執筆できるブログにもお店を紹介していたことがある。函館の美味しい店を紹介することは、地元の方にとっても、観光などで来られた方にも参考になると思ったからだが、最近は書く気にはなれない。

実際、たいして美味しいものを食べていないこともあるが、正直言って特別これは是非紹介したいと思う店が少ないのも事実だ。たまに美味しいと思っても、その店に次に行く機会がなかったりするため、なかなか紹介することができないこともある。

ところが、私も参加しているブログ村のOUT順位の上位を見ると、食べ物を扱ったブログが占めているのに驚いてしまう。そして、店と料理の紹介の中で、必ず美味しいという言葉が出てくる。毎日のように飲食店の紹介をしているのだから、何名かのブロガーが紹介している総数はかなりの数になる。
ということは、函館は美味しいものだらけということにならなければならない。本当にそうなのだろうか?

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もちろん私もお店を紹介したら、その店の料理がまずいなどとは書かない。社会全体のことはあーだこーだと強く書くが、個人を特定したようなものについては書こうとは思っていない。これは一貫しているつもりだ。
そして、自分に正直でいたい。だからあまりお店について書かないのだ。

こんなことを書くと、ランキング上位になれない者のやっかみだと思われるかもしれないし、そう思われても結構だが、これからももし書くとしたら気に入った店だけを書こうと思っている。
なぜなら、タウン情報誌のようなお付き合い的なおだてを書いても、函館全体の食文化には決してプラスにはならないだろうと思っているからだ。

もし、函館がそれほど美味しいものが揃っているのなら、とっくの昔に六花亭を凌駕する、北海道を代表するようなお菓子が誕生してもおかしくはないはずだからだ。また、観光客が「函館に行ったら、この店は絶対外せないね」という店があってもおかしくはないはずだからだ。
ところが残念ながら、そのような話は聞いたことがない。そして、実際私もそう実感している。

そこで「美味しい」と無理に言って、何となく現状のままでいいのではないかという錯覚を函館全体に起こさせるのは不本意であるから、そうそう簡単には書こうとは思っていない。

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どうしてそこまでこだわっているかと言うと、食というのは文化だと思っているからだ。文化である以上、料理だって作品だ。作品である以上、地元に限らず誰からもいいと言われなければならない。そこまでではなくても、わかる人にはわかるような作品を仕上げなければならない。

作品を作るということは、お付き合いや馴れ合いでできるものではない。真剣勝負だ。自分と葛藤しながら、形として表現する。味として表現する。だから文化なのだ。

北海道は本州などにはない、圧倒的な食材の宝庫だ。新鮮で美味しいものが何でも揃っている。気候などの環境のお陰もあるかもしれないが、素材に関しては他地域の追従を許さないものを持っている。そこには農業や漁業の従事者の努力もあるだろう。素材に関しては憧れの地だ。
函館も例外ではない。だが、昔関西のある人が言った言葉が払払拭できずにいる。それは、「北海道は素材の良さに頼り過ぎて、調理の奥深さがない」この言葉は、私が関西に行った時に実感した。

それは、やはり文化の違いなのだ。食文化は他の文化全体にも影響を及ぼす。函館の魅力のひとつである、異国情緒漂う街並みは、当時の先進的な文化から生まれたものだ。
もう函館にはそのような文化はない、とは個人的には言いたくない。だから私はそう簡単には、「ここは美味しいですよ」という紹介はしたくないのである。


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今日、函館では午後あたりからみぞれがちな雪が降り始め、次第に強くなり夜には吹雪となった。普段はこのような時は、写真を撮らないようにしているのだが、車の中でふとある撮影方法を思いつき、写真を撮ってみた。

ご紹介する写真の画像は、レンズにフィルターを付けたり、特別な編集ソフトを使用したわけではなく、通常行っている、色やコントラストや明暗の編集だけによるものだ。なるほど、こうしたらこのような画像を自然に撮れるのだということを発見した。個人的にはけっこう気に入っています(笑)

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昨日の記事は、やはり説明不足であった。書いた本人が全く意図を伝えていない文章であったと自覚してしまった。

人を馬鹿にしたり、いじめが発生したり、様々な争いごとが起きるバックボーンに、人間が持つ「価値」と「善悪」が潜んでいることを説明しなければならなかった。
これらが最も厄介な人間が持ってしまった基準なのだ。

物事の判断をするとき、人はその「価値」や「善悪」という尺度を使う。一見、当たり前の自然な行為によるもののように思われる。例えば、「自分の社会での価値を高めたい」として仕事やその他のスキルを高めることは素晴らしい、と誰でもが思うだろう。また、世の中の「悪」と呼ばれる行為を一切せず、真面目に心優しく生きることができたなら、誰もが人間的に完成された人だと思うだろう。

ところが、これらの素晴らしい行為や人間が存在するためには、逆の、社会に迷惑をかけ、ずるくて、人を傷付けるとんでもない人間がいるという事実があって初めて可能となる。もし、すべての人が、先ほどの善人になったとしたら、その場で「善人」はいなくなる。「悪人」がいるからこそ「善人」という相対的な存在が可能となる。

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つまり、自分が善人になりたかったり、ハイスキルを身に付けようとしたら、同時にとんでもない非道な人間や無能な人間を誕生させなければならなくなるのだ。
これらは、冒頭に述べた人が持つ「価値」や「善悪」という判断基準によってもたらされる「切っても切れない」自然発生するものだ。違う言い方をすると、「相対性を持った行為を行うと、そのメカニズムの中では、どちら側に自分がなったとしても、そのシステムの加担者(加害者)当人となる」ということだ。

それを前回の記事で「99.9%の人は加害者である」という言葉で表現した。
だが、現実問題として、相対性のないものはなかなかこの世の中にはない。実際どうしたらいいのだろうか、ということを考えた時、人間として可能なのは、その相対性をできるだけ希少にすることだけだろう。
それはどのようにしてやったらいいのか?それは、現在の価値観での「善人」を意識からなくすることだ。そうすると価値観としての「悪人」はなくなる。多くの人がそれに気付き、自然と意識できるようになったら、善人と悪人の区別ができなくなり、善悪という価値が不要になる。
そこで初めて、人間はやっと意識の中で平等になったと言えるのではないかと思う。

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バブルが崩壊してから、人員整理の大義名分として便利な「能力主義」というシステムが多くの会社で採用されるようになった。このシステムをカモフラージュするためにかどうかはわからないが、「頑張って成果を上げた者には高待遇で」という謳い文句が踊るようになった。これは同時に「そうでない者には価値がなく、底辺で沈んでもらうか辞めてもらうしかない」ということを意味する。
そこから、日本全体が鬱状態になった。自殺者毎年のように3万人を記録した。このようなことは、価値という相対性の両対極の差が大きくなれば、顕著な形で出現する。

本当に私たちがより良い平和な社会を望むのであれば、価値や善悪という相対性を極力希薄にするしかないのではないかと思う。それを目指したのが、仏教で言う「無」であると、私は考えている。


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以前、「人を馬鹿にする」というタイトルで、人を馬鹿にしたがる人のことについて書いたが、もしあなたが誰かに馬鹿にされたらどう思うだろうか?きっとムッと来て、馬鹿にされないようにしようと思うだろう。あるいは、ショックを受けて落ち込んだりするだろう。または、自分を馬鹿にした相手を、「馬鹿にする」だろう。

よく、人に馬鹿にされないためにはこうした方がいい、というような意見もあるが、仮にそのようなことに努力して馬鹿にされなくなっても、その人は、世の中の「人を馬鹿にする」というシステムの中にずっぼり嵌っているだけにしか過ぎない。

それはいじめにも言える。よくいじめによって自殺した子供のことはニュースなどで取り上げられるが、その度にいじめ防止のための対策として、いじめの早期発見やいじめられた子供たちとのコミュニケーションを取るだとか、言われるが、肝心ないじめた子供の精神構造についてスポットライトを当てたりすることはない。また、見て見ぬふりをしている子供たちのことも取り上げない。

こんなことをしていては、社会全体のいじめの精神的システムを変えることはできない。誰かが悪い奴で、誰かがいじめの被害者にたまたまなるだけで、世の中からいじめがなくなるわけではない。

つまり、いじめた奴は悪い奴だと言っているだけでは、結果的に「いじめ」のシステムには何らの変化をもたらせることができるわけではないので、社会全体の精神構造を買えたことにはならず、結果的にほとんどの人は、間接的にせよ加害者となっているのだ。

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わかりやすい例が戦争だろう。誰だって戦争の被害者にはなりたくない。殺されるのは嫌だ。だから、殺される前に殺す。これでは戦いというシステムはしっかり世の中に維持されるわけだ。
そのシステムの理屈では、相手よりも強くなれば安全だという錯覚を起こしてしまう。それによって戦争が起きても大丈夫という気持ちになってしまうが、相手だってだまってはいない。自分の国を守るためには軍備を増強させようとするだろう。

それは、仮に自国を守るためという大義名分があったとしても、立派に戦争を肯定したことになる。仕方ない、も肯定だ。

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人はシステムの中でしか生きることができない。そのシステムの中で起きていることが嫌だと思ったら、システムを変えるしかない。馬鹿にされるのが嫌で、馬鹿にした人間以上の人間になろうとすることは、一見美談だが、本人がその気はなくても、優劣関係の中で上に立とうとしているだけにしか過ぎない。

システムを変えたことにはならないのだ。だから、その人間もやはり加害者なのだ。その人間の努力を立派だと思ったら、その人も加害者なのだ。
そういう意味で、私たちの99.9%は加害者となっている。どうして100%ではないのかというと、0.1%くらいの人はそのシステムの悪循環を見抜き、システム圏外に向かおうとしている人間がいるのではないかと思ったからだ。

本当はもっと詳細に書こうと思っていたが、本日休日出勤でおまけに明日も休日出勤しなければならないため、簡単に書いた。また改めて掘り下げて書いてみたいと思う。



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しばらくの間(今でもその傾向はありますが)、写真撮影が夜ばかりでした。休みの日も、昼間は閉じ籠り、夜になると出かけるというパターンが多かったためですが、おかげで夜の写真がかなり多くなりました。

ここでは、未公開だった西部地区の夜の風景をお届けします。

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いつだって、いつだって

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そこに、人はいる

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だから、私たちは生きている

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愛する人、愛すべき他人、愛すべき異邦人、愛すべき隣人へ

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昔愛した人、今愛すべき人、未来に知るだろう誰かへ

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Good Night



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これは私だけかもしれないが、いつも写真を撮っていると、女性を見た時に「この人をどのように撮ったらきれいに写るだろうか」と考えてしまうことがある。

別に撮ってと頼まれているわけでもないし、手にカメラがあるわけでもないのに、自然にそのように考えてしまう。

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100人の女性がいたら、100通りのその人の良さがあるはずだ。その人ならではの良さを見つけ、写真で表現できたらどんなに素晴らしいことか。それを考えてしまうのだ。

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例えば、何かの取材をしたとする。その取材の目的が、批判や攻撃的な内容のものでなければ、自然とその取材対象の良さを見つけようとするようになる。
女性の写真を撮るのも同じだ。その人の魅力的な部分を見つけ、写真というものに表現できたら嬉しい。

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別に年齢は関係ない。だが、最も注意するのは、その人の表情だ。どんな人でも、たまたま普段見るよりも冴えなく写ってしまうことがある。たまたまの一瞬だ。そのようなものは決して本人にもお見せしないようにしている。
その人の魅力を表現する。それは普通にどこかの風景を撮る時よりもはるかに緊張するものだ。真剣勝負だ。単に女好きというだけではないのですよ(笑)

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風景を表現するか、女性を表現するか。どっちも一緒ではないかと思っています。

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上の写真は、表現というために撮ったのではなく、たまたま撮っただけですが、できれば、このように指だけで女性を表現するとか、一部分で女性らしさを表現できたらいいなと思っています。

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シルエットだけでも充分女性を表現できますよね。この写真は、「杉の子」に飾っていただいております。

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女性に限らず、人を撮影するのは何よりも難しいけれど、その反面いいものが撮れたら嬉しいものですし、撮らせていただいた女性にとってもきっと喜んでいただけるのではないか、と勝手に都合よく考えてしまっている次第です。



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本日、仕事で八雲へ行った。普段は自分で運転するため、自動車専用道路である函館新道で停車して撮影などできず、いつも風景を横目で眺めるだけであったが、今日は助手席というお気楽な形での道中を大いに利用し、建設中の新幹線高架橋などを撮影してみた。

上の写真は、(仮称)新函館駅の手前で大きくカーブする地点を捉えたものだ。これほどのカーブであるのだから、きっとこの辺りではスピードがそれほど出ていないだろうということが想像できる。

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少し先を見やると、ご覧のような工事が行われている。高架の手前に見えるのは在来線なのだろうか。その間にある工事途中の下る架橋は、駅手前に予定されている車両基地への支線なのだろうか。

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再び横を見ると、のどかな田畑の風景が。越後平野を走る上越新幹線の風景を思い出す。

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先ほどの車両基地への支線と思われる地点を横から見た部分。

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新幹線駅に近づくと、路線が高架から地上に下っているのがわかる。

これらの風景を新幹線の車窓から見たらどうなのだろうか。私には、どうしても越後平野の田畑の真ん中を走る上越新幹線を連想されて仕方がない。上越新幹線で、このような場所にある駅の駅前が華やかだという所は知らない。
この風景から「函館」をイメージできる人は少ないであろう。ということは、新駅は空港と同じ役目に徹するしかないのではないかと思えてくる。つまり、広大な用地を必要とし、離着陸への障害物が少ない都市郊外の何もない場所に建設をしなければならない空港と同等だと思うのしかないのではないか。
それ以上の機能と期待は持てない、そんな風に感じる。

おまけとして、仁山と駒ヶ岳。まだ雪深いですね。

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