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えー、60年も生きていますと、色々な人を拝見させていただいたり、お付き合いさせていただき、色々なことを気付くわけで、今回のタイトルのようなこともある時からずっと教訓として私の中に細々と存在しているわけです。
成功者と失敗者いう言葉を使いましたが、何が「成功」なのか、何が「失敗」なのかというとはっきりした定義などないわけですので、この言葉自体が誤解を招くものです。例えば、社会的には名声を得て、経済的にも満たされいるけれど、プライベートでは孤独感で救いを求めている人、という方もいるでしょう。仕事のために家庭を壊してしまった方もいるでしょう。反対に何をやっても仕事がうまくいかないけれど、とても理解のある家族や友人に囲まれていて、精神的に満足している方もいるでしょう。

ですから、断定的には言えないのですが、ここでは、成功者は「その道で為すべきことを成した人」、失敗者は「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」という意味合いとして使い話してまいります。

まず成功者は、基本的に謙虚です。いわゆる威張っているとか、威圧的であるとか、そういう人はそういません。なぜこういう人を成功者と呼べないかと申しますと、そういう方は、人間関係の中で自分の立場をより上位にするために、相手を「見下す」ことによって事をスムーズに進めようとするからです。相手がその威圧にに負けて従ったら、本人は「成功した」と思うでしょう。しかし、その人がやったことは人間関係で上位に立ったことだけであり、何かを為したわけではありません。
成功者は、常に上を目指していますから、どうして自分は今以上のことができないのだろうか?自分が自信を持って行った事が、実は間違いなく失敗であったのではと反省したりしていますと、人に対して大きな態度はとらないものです。
実際にそのような人はたくさん拝見しております。おごることなく、過去の失敗を教訓に常に上を目指している。その結果が「その道で為すべきことを成した人」になりえるのではないかと考えます。

今夏の甲子園の地方予選が盛んですので、野球を例にとってお話ししましょう。地区予選で優勝し代表として甲子園に出場できるようになった。それはとても素晴らしいことですし、大変名誉なことですし、出場校の地元は大いに盛り上がるでしょう。そうです、その地域にとっては甲子園出場校の選手はスターになったのです。しかし、これで満足した人はそれまでです。地方大会よりもハイレベルな甲子園で勝ち上がるためには、相当の技術力と精神力が必要となります。そういう舞台で、出場だけで満足した人は実力を出すことなく、敗れてしまいます。甲子園で勝ちあがったチームはハイレベルなチーム同士の戦いを余儀なくされます。地方大会とは雲泥の力の差を見せつけられるかもしれません。そして、甲子園で勝ち残ったチームはからはドラフト会議で指名を受けることがよくあります。で、めでたく入団。ここでもそうですが、プロ野球選手になることだけが目標だった人はそれに満足して1軍のレギュラー選手になることができないかもしれません。そのレギュラー選手の中でも、とびきりの実力を発揮した選手だけが高額所得を得、大リーグから注目され世界最高の舞台で挑戦を続けます。

そうです、上を見たら気の遠くなるような果てしない先まで到達しなければなりませす。そこに辿り着くためには失敗を克服する努力が必要となるでしょう。だから謙虚に上で括約している人々から教訓を得て、努力するわけです。しかし、もう既に地方大会を勝ち抜いただけで満足してしまった人たちは、、それ以上にならない可能性があります。結局1回戦ないし2回戦で敗れる結果が待っています(もちろん、全てがこの方式に当てはまるという訳ではありません)。
それでも甲子園出場を果たしたら、それはもう地元のヒーローです。中には、甲子園出場をいつまでも得意げに話す人もいるでしょう。それがここでいう「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」であるのです。

経済界に置き換えますと、それまでパッとしなかった業績が、あることをやったことによって急激に売り上げが伸び、あちこちから注目を浴びた、という方もいます。
そういう方の一部は、セミナー講師として全国あちこちの会場でお金をとって自分の成功談を話すのですが、私はそういう話を聞くたびに、人に教えるよりも自分でその事業を拡大して世の中にその会社の素晴らしさが黙ってても知れ渡るくらいにした方がいいのでは、と思うのです。そんなに素晴らしいノウハウを持っているのなら、是非そうすべきだと思うのです。
結局、成功が一時的だったから、そうしたのか、もうそれ以上の「その道」を追わなかったのか。理由はわかりませんが、そういう方のお話を聞いてもあまり心に響かないものです。人間、自分という存在に不安(どう見られているだろう、怪しく思われていないだろうか?)を感じている時は、自分が評価されるかもしれない自慢話を多くするものです。みなさまもそういう人に出会ったことがあるでしょう。(有名な)誰々を知っているとか、本当はたいしたことをしていないのに何々に関わったとか。

残念ながら函館に多いのは後者の方です。函館だけで自分の「位置」が確立できればそれで満足。そういう方を多く見受けます。

さて、こんなことを偉そうに話している自分はどうなのか?これから奥入瀬で一人ぽっちになって見つめ直したいと思います。






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昔、私はベイエリアの写真を日常的に撮っていた。レンガ倉庫や海岸などの風景ももちろん素敵だったのだが、ある時からそこを楽しそうに歩いている観光客の姿がとても素敵に思えてきた。西部地区の素敵な魅力のひとつにこれがある。歩いている人々(主に観光客)が楽しそうにちょっとおしゃれをして解放されたような表情で街歩きを楽しんでいる。これは他の日常生活しか感じることのできない市内の他地域では見ることのできない、とても素敵な風景だ。

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大門で飲んだ後、ベイエリア経由で歩いて帰ると、ホテルの客室に灯された光がとても羨ましく思えた。きっと函館の1日を楽しんだ家族や友達やカップルが、ゆったりと客室で旅でなければ得ることのできない時間を楽しんでいるのだろう。

「自分も旅人になりたい」

しだいにそう思い始めた。

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そして時々旅に出るようになった。でも、私の旅は、自分の関心や好奇心に任せるものだった。それは、普段接することができないとても奇妙な自然のきれいで残酷な姿であったり、美術館で絵画を鑑賞するためのものだったり、とてつもない被害をうけた東北地方の街を自分の目で確かめるためであったり、札幌では決して感じることのできないパワーが密集した日本の首都であったり、いわゆる「観光」を目的としたものは数少ない「旅」に出るようになった。

旅に出るということは、自分にとって非日常の中に一人身を置くことであり、旅でなければ不可能な空間で自分を見つめ直すことであり、函館の日常生活ではありえない刺激を受けることだった。
旅の一シーンとしてホテルは重要だ。毎週毎月のようにどこかに旅行しているのなら別だが、1年に何度しかない旅をする時は、予算が許せる範囲でできるだけくつろげる広めの部屋をチャージする。もちろん部屋のデザインや空間なども大事だ。極端に言えば、夕方から外出しなくても決して惜しいとは思わなくなるような部屋が理想だ。(そうはいっても、もちろん出かけてしまうのだが、笑)

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旅人になりたい。旅に限らず、ずっと思っていると、それをかなえられるチャンスは必ずやってくるものだ。
さて、前回もお知らせしたように、ここ5年毎年訪れている奥入瀬に来週行ってまいります。
同じ場所に6年も連続で行くなんてなぜ?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それが旅だと私は考えています。





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また、奥入瀬が誘って来る季節になりました。
今年で6年連続です。

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今年は広域を歩くのではなく、限られた範囲で深く風景と語り合い、写真を撮りたいと考えています。

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そして、久し振りに弘前の寺町にも・・・・。




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今度の日曜日に投開票が行われる参議院選挙ですが、私は不在者投票を済ませてまいりました。その証拠がこの写真です(笑)

さて、投票前であるにも拘らず、報道では自・公で議会の3分の2に達する勢いであるなどの分析が報じられていますが、どうしてそう言い切れるのだろうかと大きな疑問を持っている私でありますけれど、でも、たぶん結果はその傾向に動くのではないかと危惧しております。
危惧という言葉を用いたのは、より日本は一党独裁の色が濃くなってしまうという意味での危惧であります。そう、日本は中国のようになってしまうのでしょうか?よく安倍首相が、「民主党政権の悪夢の時代」という意味の発言を何度も発しますが、問題は民主党にあるということよりも、政権を執った政党が戦後ほとんど自民党だったということなのです。つまり、自民党は政府の仕事をやった経験が豊富ですが、その他の政党は(公明党を除く)仮に今何らかの理由で政権を取ったとしても、いわゆる初心者なのです。初心者が何から何までそつなくこなすことができるでしょうか?普通に考えても無理だと思います。
民主党政権はまさにそれだったわけで、あちこちにボロが出ても致し方ない部分はあるでしょう。何せ初心者だったのですから。しかし、皆様ご存知の通り、初心者はやはり上手く政権運営ができず、結局短命で終わってしまいました。そして、その後はずっと自民党政権が政治を担っています。

大きな問題はこれなのです。政治を運営できる政党が一つしかないということは、これはかなり不健全な国家の状態であると言わざるをえません。たぶん、今回の選挙でも、自民党以外を考えてもちょっと頼りないから自民党にしようか、と考えている方も多くいらっしゃると思います。そういう方には大変失礼なのですが、それが国家の不健全化を助長していることになってしまうのです。
それは国会や街頭演説で、よく安倍首相が「どうせ次の選挙も自民党が勝つのだから」という前提の思い上がった話をしているのも、自民党を脅かす存在が残念ながらないからなのです。私たちはそこまで馬鹿にされ舐められても、自民党を第一党にしてしまうという国民なのです。これが健全な社会といえるでしょうか?
今まで見習いの仕事しかできなかった者に、急に「店を任せるから」と言われて訳も分からないうちに右往左往してやっているうちに、「やっぱりあんたダメだね」と首を切ったのは私たち国民です。

よく経済界では競争原理という形で品質や価格を競い合うことが多いのですが、政治にはそれが適用しない、また、させることのできない不思議な世界です。
以前もお話ししたと思うのですが、だいたい政党というものがあることそのものが不健全化を助長しているのではないでしょうか?例えば、よく大臣になった途端問題発言をして解任あるいは辞任すると議員がいますが、そのような議員が当選してしまうのも○○党公認候補だからというだけで当選してしまうからなのではないでしょうか?
どんなに政治家としての資質が劣ったとしても○○党から選挙に出れば議員になれる。それは選ぶ私たち国民の大きな過ちです。
まして、比例代表区制度があるのもおかしな話です。○○党の政策を支持したいと思っても、比例代表の上位にいる候補には議員になってほしくないという民意は全く伝わらない、これこそおかしな制度であります。

私は政党など無くなって、立候補者ひとりひとりの能力によって選び、そのような優れた政治家が国会で論じ合うのが最も健全な政治だと考えています。以前からそう考えていましたが、より確信になってきました。それ以外に、このバランスの崩れた日本の政界を正す方法は無いでしょう。かといって、今すぐ急に政党は無くならないでしょうから、私たちにできることとして、この人であれば国会で活躍してくれるだろうと思われる人を選ぶことなのではないでしょうか。

函館のある省庁系出先機関の方がこんなことを言っていました。「本当はもっと予算が欲しいのだが、与党の議員が国会議員に選ばれていないからなかなかお金がもらえない。与党議員だったら入って来るのに」
この言葉を知って皆さんはどう思うでしょうか?あぁ、やっぱり与党議員がいいのか。それとも、議員の所属する政党によって地方を差別することがまともなことなのか。ともかく今の日本政治のバランスは崩れています。中国のように一党独裁で色々な統制を強いられる国に近付きつつある日本を変えることができるのは政治家ではなく私たち国民である、と私は考えています。




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毎年、7月になると彼女はスウェーデンから函館にやって来る。その度にヴァイオリン演奏を函館でやり、私は彼女を撮る。

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だから、毎年7月の写真フォルダには必ず彼女の写真が残っている。

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彼女の演奏を目の前で見たのはたぶん5年前だったと思う。以前から知っていた函館在住のピアニスト高実希子さんの昔からの友人で、7月に函館に訪れるのが毎年の年中行事のようになっており、その際間に二人のライブをのが恒例となり、私はいつも見るようになった。

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最初はワイルドな印象が強かったが、歳を重ねるごとにより繊細な音を追いかけているのが聴く側にも伝わってきている。

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毎年会っているが、実はそれほど多く彼女とは話していないような気がする。でも、どういうわけか何かが伝わっているのか、演奏が終わると笑顔を見せてくれる

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彼女の名は田代裕貴。スウェーデン・ヨーテボリオペラ管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者。

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今年の函館での最後の演奏は、私の会社の1階にあるレストランで行われた。演奏が終わった後、彼女はわざわざ私の勤めている事務所に訪れて来てくれ、短い会話をした。
これから東京に行き、大きな演奏会を二つこなし、スウェーデンに帰るそうだ。その中のひとつがあの「もののけ姫」で一躍有名になった米良美一さんのコンサートのバック演奏だそうだ。

今度は是非私がスウェーデンに行って、普段の練習風景などを撮影させてもらえたらいいね、という話をした。それがいつになるかはわからないが、私はそれを楽しみにしている。
きっと来年も彼女は函館に来てくれるだろう。そして、さらに私たちを唸らせる演奏をしてくれることを期待している。






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函館市民でも入舟町という町があることを知らない人もいるでしょう。名前は知っていてもどこからどこまでかというのも知らない人も数多くいるでしょう。だいたい西部地区は駅前・大門地区から函館山方面だと思っている人もたくさんおります。よく言われていることですが、函館のことを函館市民が一番知らないというのは、あながち誇張とも言えないと思っています。
ちなみに西部地区育ちの西部地区在住者の所見では(おそらく西部地区在住者はみんなそう思っていると思いますが)、十字街付近から函館山麓周辺を西部地区と呼ぶのが通例であると言えます。

と、偉そうなことを申し上げましたが、その西部地区の一角である入舟町に都会と田舎があること(正確にはあったこと)を知りませんでした。これは主に高齢者の間で話されているようです。決して私の私見でも何でもなく、実際に入舟町民の間で交わされている話であるということです。

さて、その入舟町の都会と田舎とはどこのことを指すのでしょうか?正直言ってここからがその境界だということは言えませんが、話されている雰囲気の内容から、入船漁港(正式呼称:函館漁港)からどつく前電停付近までが「入舟町の都会」で通称山背泊あたりが田舎だそうです。
おそらく、明治時代から昭和のある時まで、入船漁港は魚介類の水揚げで大いににぎわっていたのでしょう。そこから当時の函館の中心地であった十字街方面に向かう一番近い街として商業が盛んであったと容易に推測できるわけです。道路もそれなりに整備されていたのも一つの要因かもしれません。ところが、山背泊は知っている方は知っていると思いますが、車がやっと1台走れる程度の狭い道路で、その先は穴澗となっているため、広がりようがなかったのではないかと思います。

そんな理由で、入舟町にも都会と田舎があったのだと言われているのではないかと思います。函館の歴史をある程度知っている方であると、なるほどと頷けると思います。
確かに「入舟町の都会」には、昔商店や問屋であったのではないかという形態の建物が現在もたくさん残っています。

このように、函館は少しだけ顕微鏡的に見るととても面白い街なのですが、それを伝えるべき函館市民がそのことを知らないのが実情です。例えば江戸時代から現在まで消えずに残っている町名が、弁天町と大町だけなのですが、そもそも江戸時代の函館は入舟町・船見町あたりからせいぜい現在の豊川町あたりまでしかなかったのです(かなり大雑把に言っての話です)元々函館山麓には川と呼べる川がなかったため、ほとんど住民が井戸を掘って水を得ていたようですが、開国による人口増加で日本で2番目に上水道の整備がおこなわれたもののそんなに簡単にあちこちまで網羅できずにいたところ、石塚氏が谷地頭に自宅を構えるために井戸を掘ったところ、温泉が出て、それを市に寄付し、ずっと長い間市営温泉として(現在は民間委託していますが)市民のくつろぎの場となっています。

函館の歴史をちょっと調べると、とても面白いことがざくざくと掘り出されます。そんな函館はいくつもの面白い物語が作れそうな街なのですが、顕微鏡を持っている市民がそうそういるわけでないのがとても残念です。と、人のことを言っても仕方ないので、私もちょっと古びた顕微鏡で、また函館を見てみたい、そんなことも考えたりしています。




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いいもの、それは多くの人たちに認められたものであるということに疑問を挟む余地はない。
例えば、苦心の末創り上げた、カップに入った即席麺のカップヌードルは、ずっと昔から全国はもちろんのこと、世界中でも食べられている。
かつては札幌市内の、格安だがそれなりにインテリアに馴染む家具を販売していたニトリだが、北海道どころか全国各地に店舗を持つまでになっている。
ここではわかりやすいように高級品ではなく身近にありそうな物を取り上げたが、これらのものは「いいもの」だから世の中に認められ手販売規模が拡大されてきた。

そう、「いいもの」は私たちが意図的でも何でもなく「いいもの」として認め購入している。

では、いい街とは。
先日テレビを見ていたら、京都市街地に全国的には撤退してしまっている「公共ゴミ箱」が観光地の道端に設置されているという。それは大切な観光地をゴミで汚されないようにという京都市の施策であるそうだが、それでも落ちてしまっているゴミは近隣住民が定期的にゴミ拾いをして「ゴミひとつも落ちていない美しい街」として外国人観光客からも驚きの目で見られているようだ。
そこには古代から街並を守り続けていた京都市民の意思を感じざるを得ない。

それに比べて函館は、ひとりひとりが函館の「いいもの」を守るため、あるいは創るために努力しているだろうかという疑問が浮かんでくる。決してゴミのことを指して言っているわけではない。いゃ、西部地区に住んでいない人はわからないかもしれないが、定期的に書く町内会で道端のゴミ拾いを行っているのを何度も見ている。
どうだろうかという疑問はゴミのことではなく、自分たちの街の優れていて誇れるものを守り時代に従って変化させ、いつまでも京都はやっぱり京都あると我々にその姿を誇り高く見せているのに比べて、函館はどうなのだろうか、ということだ。

よくテレビに出る「今でしょう」の林修氏、ある番組で大変参考になる言葉を発してくれた。
「やりたいことをやって上手く行く人はいいが、それはごくわずかの数で、その人がやるべことは、人からこの人はこれが似合っていると言われたことだ」
林修氏も今のようにテレビで有名になる前、ある出版社から「こんなことについて書いてみませんか」と誘われて、本当はそれほど書きたい種類のものではなかったのだが、書いてみたらベストセラーになり、そのシリーズを何冊か出した後、今度こそ自分の書きたかった本を書いたら、彼の出版物で最低の売り上げ部数になったという。

話しはちょっと逸れたが、では函館の「いいもの」とは何だろうか?
それは地元市民が住みやすいと思う街を作り上げたところが、誰もが認める「いい街」なのだろうか?でも、それは林修氏が最も売れなかった出版物と同じようなものなのではないだろうか?
全国や世界から来る観光客が認める「いい函館」はそういうところではないはずだ。いいものを創り出せない街は、自然と衰退してしまう。衰退は大門・西部地区というが著しいと言われているが、私は何度も話しているように、「人を受け容れず、自分たちの目先の便利さに走ってしまっている市民」がその最も大きな原因となっていると考えている。一見便利そうで、周囲に新しい住宅が立ち並び、住みやすそうに見える街は、全国どこの衰退型地方都市にもある定番の風景なのだ。

「いい函館」は、守り・創り出すという相反する行為を同時になってやっとその姿を誇りを持って全国の人たちにお見せできるものではないかと考えている。





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