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写真をなぜ撮るのか?_a0158797_22502942.jpg

なぜ写真を撮るのか?写真を日常的に撮っている時は、そんなことをいちいち考えて撮っているわけでもなく、強いて言えば「撮りたいから撮る」という理由だけだかなのだが、特にここ1年撮影頻度が激減した時に、「なぜ私は写真を撮らないのか?」という疑問を持ち始めたのです。

しかし、この疑問も結局「撮りたいものがないから撮らない」という単純な結論に至ってしまいます。
問題なのは「どうして撮りたいものが無くなってしまったのか?」ということなのです。

それを常にではないが、時々考えてしまう。
すると、それまで見た自分以外の方々が撮った写真が脳裏に甦る。それはもうそれなりの機材でそれなりの技術を駆使して撮られた素晴らしい写真ばかりなのであります。そのようなものがSNS他で大量に見ることができ、そんなものを見せつけられたら、お腹いっぱいになってしまって何かを撮りたいなどとは思わなくなってしまっていました。
本当に素敵な写真はいっぱいあります。それは素直に認めますし、そのカメラマンもその人なりのセンスと技術と努力のたまものをネット上に出して表現をしていたら、自分なぞとても敵わないと考えてしまうのは当然の流れであります。それでは、自分はもう撮る側ではなく「観る側」に回ってもいいのではないか、持っているカメラやレンズを売却するとちょっとだけリッチな旅行もできるのではないか、そんなことを考えたこともありました。

ですが、まだ手元にはカメラやレンズがあります。なぜなのだろうか?もちろんせっかく買ったのに手放してしまうのはもったいないという未練たらたらの気持ちもあるのですが、どうもそれだけではないようなのです。それが何かと言うと、自分が表現したい手段の大切なもののひとつであるからなのです。それを手放したらもう私は隠居することだけを考えるただのジジイになるしかありません(笑)
ところが、仮に先ほど言った素晴らしい写真を撮っている方と同じカメラとレンズと技術が自分にあったとしても、恐らく同じ写真はきっと撮らないだろうなという確信がどこかにあるのです。つまり、素晴らしい機材と素晴らしい技術を持っている方の中で、私が表現したい世界を写真という形にして世に出している人がいないということのです。もちろん自分が表現したい世界とは、自分だけのものであるので、それと同じになるように誰かに撮ってくれということは筋違いのものです。

そうです。だからまだ私はカメラを持っているのです。でも、完璧に私が表現したい世界を写真にできる人が現れたら、もう万歳して撮影はやめるでしょう。しかしながら、少なくても私が見て来た写真でそれを表現してくれているものはありません。だからカメラを捨てるわけにはいかないのです。

現在、instagramに毎日「#函館写真」「#hakodate」「#monochromephotography」で過去に撮った函館の写真を一枚ずつ投稿しています。面白いもので、過去の「カメラ小僧」だった頃の写真は、技術的な細かいことは別にして、なりふり構わず自分の表現をしたいと撮っていたなぁ、と懐かしく思います。
当時、あるカメラマンから、私が撮った写真は「見ればすぐわかる」くらい特徴があると言われたことがあります。こちらはがむしゃらに撮っていたものですから、誰の写真に比べてすぐわかるのかはわかりませんでしたが、まぁ、今思えば、それがその時の私が表現したい目一杯の成果だったのでしょう。
確かに今でも自分が好きな写真はあります。でも、それに似たような雰囲気で今撮ったら、ただ自分のコピーをしているようで、自分が許せないのであります。だからといって、instagramなどで投稿されている素晴らしい高精度な写真を目指したいかと言ったら、決してそうではないのです。知人に画家さんが何名かいますが、作品を作り始めたら、しばらく家に閉じ籠って絵作りに没頭するという話をよく聞きます。
写真作りもそうならなければ、いいもの、自分の納得に近いものできない。そう考えるようになりました。たまたま、幸いに、そのような作品を作れるかもしれないチャンスが今訪れようとしています。

どうやらかなり久しぶりに「カメラ小僧」になれるかもしれません。自分でもワクワクしています。
それを挙げるのは、恐らく今のinstagramアカウントではない、違うアカウントで発表することとになると思います。
その新しいアカウントでの写真は世界中の人が見ていただけるものになればいいと願っています。

さぁ、活動開始!





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16日から函館蔦屋書店で開催されている牧野潤さんのmegショップに昨日行ってまいりました。私の目的はそれまで使っていたお茶碗にひびが入ってしまったために、同居人から新しいの変えなさいというミッション(あるいはプレッシャー)を受けていたためで、ちょうどタイミング良く蔦屋書店で販売すると聞いて(本人にお茶碗があるかどうか)休日だった昨日伺った次第です。

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それほど広いスペースではないのですが、私がいる間、ほとんど人が絶えることはありませんでした。
牧野さんと色々話していると知人の女性も訪れたり、と大忙しの様子でした。

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思えば、牧野さんの作品と出会ったのはもう9年近く前であったように記憶(あてにはなりませんが)していますが、当初はちょっと地味かなと思えた作品でも実用面を考えると自己主張し過ぎず、そっと食卓に器という華を添える役目に逸しているのが今の人気を維持しているのでしょう。
私は茶碗はたぶん3000円くらいするだろうなという思って訪れましたが、購入したものは2300円しかしませんでした。いつも牧野さんと話す度にもっと高く売ってもいいのでは、と偉そうにアドバイスするのですが、なかなか踏み切れないようです。
きっと東京で売ったなら3000円上でも何のためらいもなく買う方がいらっしゃると思うのですが。

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ちょうど私がいた時、牧野さんのファンと思われる女性がある書物を牧野さんにお見せしました。何と、武蔵野美術大学の学校案内の在校生の研究照会に牧野さんの陶器を取り上げている学生がその方の娘さんでした。

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ちょっとピンとが合っていませんが「器と私」というタイトルのものがそうです。

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このような歳が離れた世代にも共鳴を受けられるということはとても素晴らしいことですね。私もいちおう写真というものをネット上で表現している立場として、彼女と同じように嬉しくなりましたる

しばらくまともに写真輪撮っていなかったためか、今回の写真自体はパッとしませんが、どうぞみなさまは25日まで開催しておりますので、語ご覧になってみてください。その内、牧野さんが全国区になってしまったら、なかなか函館でもお目にかかれないかもしれなくなりますよ。これは大袈裟な話ではありません(笑)




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3年~4年前、私は女性モデルさんの撮影をかなりの数撮らせていただいた。みんなそれぞれの個性は違ったけれど、その人の魅力が出ているものに仕上がったつもりでいた。しかし、当時の写真を見返してみると、こちにの作りたいコンセプトが優先して、そのモデルさんのいいところを際立たせるのには不足していた。このモデルさんであったらもっと素敵な写真を作れたのではないかと、振り返って反省せざるを得なかった。

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なぜなら、本番の(私が撮りたい写真)よりも、休憩でリラックスしているモデルさんの姿の方が素敵だったからだ。それは全て私の責任だと思った。

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それでも撮影に付き合ってくれたモデルさんたちには本当に感謝したい。

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ここ最近は声をかけることすら無くなったが、もと今度モデルさんを撮影できることがあったら、その女性の内部(心)まで写せる写真に仕上がるようなものにしたい。
そう、写真は姿を撮るのではなく心を撮るものだから。



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何かで詰まった時は、「Amazing Grace」を歌おう_a0158797_23552805.jpg

ストレスでどうも前かがみになってしまっている時や、色々なことが詰まって出口が見えないような時、環境が許されるなら「Amaziong Grace」を大きな声で歌うと、体がスキッと、まるで体内の悪いものを全部出すような気がして心地良くなります。

メロディは簡単そうでちょっと節回しが微妙に難しいですが、ともかく美しい歌を声を張り上げて歌うのは体にいいとこの頃、私、一人で歌っています。



原曲は7番まであるようですが、私はせいぜい3番までが今のところ限度です。表現力も必要なこの歌、意外と歌ってみると体にいいはずですよ。


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たとえぱウディ・アレンのように_a0158797_23433825.jpg

若い頃、ウディ・アレンの映画が好きだった。きっかけは後にアカデミー賞を獲得した「アニ―・ホール」を誘われて観に行ったことだったが、当然のように次作の「マンハッタン」も観たが、彼の映画の面白いところのひとつが、ストーリー以外に、劇中で交わされる登場人物の会話だった。
その会話は、ある程度アメリカの文化を知らなければ理解できないような比喩を交えたものだったり、辛辣な社会風刺だったり、ウィットにとんだものだったり、自虐的なものだったり、ストーリーよりも会話の方が観ていて楽しめた作品を彼は多く手掛けた。
彼が会話に使用する言葉は、彼自身が幼い頃ブルックリンで育ったことを連想させるようなものや、ユダヤ人であるが故に出てくる言葉、様々な文化人などを利用して、本来であれば二、三回後の会話になるべきものをちょっと考えて予測し、的確な受け答えをするという、ちゃんと観ていなければよくわからなくなるものだったが、それが私の頭脳を刺激した。

本当は、私はそのような会話が好きなのだ。しかし、仕事柄、一般のお客さんにはわかりづらいことを、できるだけわかりやすく伝えることを必要とされ、そういう会話を続けていると、ウディ・アレンのような会話をする機会はほぼ皆無に近くなった。だいたい、私が長年の習慣でわかりやすい話題しか話さなくなってしまったため、今更そんな会話ができるかどうかも怪しいものだが、例えばたまたまそういう話ができそうな知的な女性とバーで「マンハッタン」を飲みながら話せたら、だんだんぼやけて来ている頭脳が多少活性化するかもしれないと思う。
以前、そのような会話ができた女性が一人いた。それは東京大学を卒業した会社の同僚の女性だったが、今までの人生の中で最も会話を楽しめた方だった。
しかし、そのような方にもし再び出会えたとしても、私の脳が回転するかどうか、かなり怪しい。

せめて、ウディ・アレンの映画を再び観て、スロー回転になった頭脳を多少なりとも刺激して、老化を防ぐことに役立てるしかないのだろうか。
ちなみに、映画「マンハッタン」には、有名な女優がすらりと登場する。ダイアン・キートンはもちろんのこと、アーネスト・ヘミングウェイの孫にあたるマリエル・へミングウェイや、まだ映画出演3作目のメリル・ストリーブなどが出演している。「マンハッタン」の次作の「スターダスト・メモリー」にはかなりの脇役でシャローン・ストーンが映画初デビューしている。

やはり、ウディ・アレンのセンスはただものではない。






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ジュークボックスおじさん_a0158797_22461868.jpg


これを見なければ、いゃ、乱入しなければ夏が来ないという気持ちにまでなった毎年恒例の「はこだて国際民俗芸術祭」に、毎年ほぼ定位置に陣取っているのがジュークボックスおじさんだ。

芸術祭に行ったことのない人(行ったことがある人は知らないわけがない)のために簡単にご説明いたしましょう。
まず、普段は写真中央の蓋が閉じており、おじさんはこのボックスの中に密かに身を隠している。ところが、誰かが200円を投入口から入れると、蓋がカパッと開いておじさんが顔を出す。そして、お金を入れた人にリクエスト曲を(と言っても何でもできるわけではなさそうだが、そのために可能演目が記されている)演奏し始めるというシンプルな仕組みになっている。
でも、このジュークボックスおじさんの凄いところは、必ず満面の笑みで出現すること。
そうか、そりゃそうだよね、人々を楽しませるためにやっているのだからくそまじめな顔をして登場してもつまらない。これだけで食べているのかどうかはわからないがねまさしくプロとして自分の役目を見事に演じている。

それほど面白いパフォーマンスなのだが、会場内全体で行われている演奏・踊りなどに比べたらかなり地味だ。
でも、もし何かの理由でこのジュークボックスおじさんが芸術祭に参加しなくなったら、何かこの芸術祭の大きな歯車を失ったように感じるだろう。
普段いつものようにそこに存在して、まるで空気のような位置関係にあるものは、その存在が続いている時はあまり何も感じないだろうが、失った時の失意は大きい。

人ってそんなものだ。当たり前のよう存在しているものには目もくれず、それを失った時に初めて、その存在の大きさを知る。
そうならないように、来年ジュークボックスおじさんがいたら200円を払い、演目にあろうがなかろうが、「サマータイム」をリクエストしよう。



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元町のバーで写真を撮る_a0158797_23132282.jpg

この写真、元町のシェアーズヒシイで撮ったものですが、仕上がりが、今札幌の道立近代美術館で展示会が開催されているカラヴァッジョの絵のようになりました。
この夜隣で飲んでいた知人が、「今見た風景がいいなと思って、カメラのシャッターを押すんですが、写ったのは自分が見たものとは全然違ってがっかりすることがけっこうある」と話していました。

こういう話は彼だけではなく、色々な人から聞きます。それはなぜか?
様々な要素があると思いますが、こういう話に対して私が常にお答えしているのが、「人間の視界は広い。きちんと見えているかどうかは別にして、視覚情報は180度近くまでに及ぶために、その全体の視野の中でいいなと思えても、ファインダーという限られた視野で同じものを見ても全然素敵だとも美しいとも感じなくなくなる時があります。だから、いいなと思ったら、まずファインダーを覗いてみることです。その限られた視野の中でいいものが見つけることができたら、初めてシャッターを押すんです」
と、まぁ、偉そうに話すわけですが、実際私も同じような経験を嫌というほど重ねてきました。今では、いいなと思ってファイダーを覗いても、しっくりする構図が定まらなければシャッターを押さずに、カメラを下ろすようにしています。でも、どうしても撮りたい被写体がある時は、構図が決まるまでファインダーから眼を離さず、焦点を変えたり、ズーミングを変えたり、自分の立ち位置を変えたり、色々なことを試して納得できる構図になったらやっとシャッターを押します。それまではずっとファインダーから眼を離したりすることはありません。

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元町のバーで写真を撮る_a0158797_00081867.jpg

今ではスマホで簡単に写真を撮れたりしますので、わざわざカメラを買わない方が増えているようですが、スマホしか写真を撮っていなかった人は、(ファインダー付の)カメラを持つと、どこを撮ったらいいのかわからなくなってしまう人もいます。その理由は、やはり視野の違いです。そのため構図を作るのにものすごく困ってしまうようです。それはコンデジのファインダーなしタイプのカメラも同じです。
しかし、ファインダーを覗いて写真を撮る習慣がある人にとっては、液晶画面のモニターに映る画像を見て構図を決めることはそれほど困難ではありません。

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元町のバーで写真を撮る_a0158797_00175691.jpg

まぁ、こんな講釈をたれても、酔っ払ってしまえば、あとはカメラの性能任せで、えぇいと撮ってしまうことがほとんどですから、あまり説得力がないはなしではありますが、テキトーに撮ってもそれなりの画像の写真になってくれるのは、やはりそれなりのカメラとレンズで撮っているからでしょう。決して技術ではありません。
という、結論がありそうで結局なさそうな、特に酒を飲んでから写真を撮る場合においては参考にならない話となってしまいました。





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仏様に合掌(絶妙な光のバランス、長勝寺庫院)_a0158797_12185291.jpg

長勝寺の山門(長勝寺では三門となっている)をくぐる前、私は静かに合掌した。

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それは、単に観光スポットを訪れるという気持ちで見学するのではなく、津軽の重要な寺院を訪れるのだという畏れの気持ちからだった。

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仏様に合掌(絶妙な光のバランス、長勝寺庫院)_a0158797_12254214.jpg

庫院は、その施設の役割の性質からかもしれないが、とても簡素だが、まるで計算したのではないかという光の入れ方をしていた。

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仏様に合掌(絶妙な光のバランス、長勝寺庫院)_a0158797_12293704.jpg

その見事なバランスで彩られている明と暗の空間の先にあった三仏にまた合掌した。
とても自然な気持ちのまま、畏れ心を持って。

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土偶はなぜつくられたのか?_a0158797_00141042.jpg

何度もその隣の青森県立美術館には行っているが、道路を挟んで向かいの三内丸山遺跡には訪れたことがなかった。
この度の旅の全体的な気持ちの流れとしては、美術館よりも遺跡を選ぶ方向に心が向き、初めて入った。
知らなかったのだが、たまたま特別展が開催されており、各地に保管されている土偶がそこで拝見することができた。

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そもそも土偶について深い知識や関心などほとんどなかった私であったため、ただ見るだけとう安易な観賞に終わってしまったのだが、ただ、ひとつだけ気になったのか、縄文式時代になぜこういうものを創らなければならなかったのだろうか?という疑問だ。
一般的には神事的なことに使用されたのではという、ざっくりとした意味合いくらいしか、私にはなかったためだ。

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そんなちゃんとした予備知識を持たずに土偶を見てみると、これらは当時の人間たちの芸術作品なのではないかと思えてくる。
土から物を創り出せることを知った彼らは、その特性を使って土で何かの表現をしたかったのではないかと思えてしまう。子供が教えもしないのに何かを造るように、当時の人々も何かの表現のためにこれらのものを創出しのではないか?

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さてみなさまは、これらの「作品」を見て、何を考えるでしょうか?





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その後もインスタグラムの投稿、地道に続けています。

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でも、まだこれだけですけどね。7





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