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昨夜いつものように遅い時間に「ビアバー山下」に立ち寄った。遅かったためかたまたま他のお客さんがいなかったため、ずっと山下さんと話をしていた。
すると、山下さんが「今日か明日で、うちは20周年になるのです」と話した。

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創業者が自分の開店日を覚えていないということは、開店当時を知らない私などはわかるわけがない。
ご本人も「確か6月になる前に開店したことは確かなんです」くらいのことしか覚えていないので、私としては「そうらしい」としかお伝えようがない。

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でもともかく20年もこのような商売を続けていられるのは素晴らしいことだ。
その記念として山下さんの笑顔を撮ったら見事にぼけていた。この写真を出すのは失礼かと思ったが、表情がとてもよかったので出すことにした。

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そして今日、昼食のためある蕎麦店に行ったら偶然隣のボックスで山下さんが食事を摂っていた。

・・・・・、どうやら長い付き合いになりそうだ(笑)

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昨年の4月10日、私は函館出身のある若者と会っていた。
その若者は本人が中学生だった時から知っていた。その若者は函館を舞台とする映画に出演し、映画関係者から注目を持たれていた。確かに他の普通の子供とは放つ光が大きく異なっていた。もともとこの若者の母親を通して知り合いになったのだが、ずっとその成長を見ていると、何だか自分のことのように嬉しくなったり考えてみたりしていた。
その若者は今、yoh!という名で活躍している。

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彼とは、あえて母親に連絡せず、一人の男同士として会う約束をした。その待ち合わせの場所が吉祥寺であった。どんな話をしたのかはもちろん言えないが、この頃彼の出演したMVが発表されたばかりで、そのMVで中心的な人物として煙草を常に吸っている役割を担っていた。そのためか、私がレンズを向けるとこのように必ず煙草に火を点けた。自分なりのイメージ作りに徹していたのだろう。そのMVがこれだ。



吉祥寺の喫茶店を出た後、私に付き合ってもらい、銀座シャネルで開催されていたSarah Moonの写真展に行き、夕食を共にした後、彼の渋谷路上ライブを拝見させてもらった。函館に住んでいた頃からやっていたビートボックスの路上ライブだ。その時彼は「今日は抜群に上手いベーシストが来れないから、ちょっと盛り上がらないかもしれないけれど」と私に話していた。しかしそれでも、彼のビートボックスは見事であった。実も函館在住の時に、コンテスト応募用として私のカメラで彼のビートボックスを録画したことがあるのだが、その時に比べて格段に上達していた。
そして先日、その時話に出たベーシストとコラボでオリジナルMVを発表した。ただただカッコイイ!それ以外の言葉が見当たらない。
ひょっとしたら今度東京に行く時、声をかけても会ってもらえないかもしれない(笑)そのくらい忙しくなっているかもしれない。それならそれで仕方ない。
私や彼を知っている函館の人々と、密かに見守って応援するだけだ。
そのMVはこちら。







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ある時、ふと思ったことがある。
それは、函館のオシャレなカフェに、普通に年配者がお客さんとしている、ということ。

函館市民にとってはそれが普通であるため、ほとんど意識したり、考えたこともないかもしれないが、他の街ではちょっと違う。もちろん私も全国各地のカフェを歩き回ったわけではないので断言はできないが、少なくとも札幌ではあまり見かけない光景なのだ。実際、札幌でそれなりにオシャレと言われているお店のお客さんは、だいたい30代くらいまでがなぜか多い。私もそういうお店に函館感覚でお気楽に入っていくのだが、周りを見回しても、私と同じような年代を見かけたことはほとんどなかった。
私は普段と変わらぬつもりでいても、何となく周りの雰囲気がちょっと違う。

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この写真を撮ったお店、cafe D'ici の店主さん(札幌居住経験あり)も同じ感想を持っていた。札幌ではあまり見かけないと。そして、年配者も若者も関係なく来ていただけるのはとても嬉しいとも。それを望んでいたとも。

札幌はどういう経緯なのかはわからないが、年齢別に「住み分け」ができているような気がする。もちろん年齢関係なく様々な年代層のお客さんがいるお店もある。だが、そういうお店は、コンセプトも店内の雰囲気もそれなりになっている場合が多く、特段「オシャレ」とは言えないお店が多い。若者が好奇心を持って行くお店は、違った角度で見た場合、我々年配者はきっと入りづらいのだろう。

きっと、それは珈琲の歴史が、札幌より函館の方がずっと昔から定着していたからではないからと思っている。明治初期から、当時高価で一般市民の生活の一部にはなりえなかった珈琲が、函館では当たり前のように普通の人々が飲んでいたと言われている。珈琲はとても身近で、だから時代とともに喫茶店からカフェなどと呼び名が変わっても、近くにあるちょっと雰囲気のいいお店に気楽に入っていける。きっとそんなものなのではないか。
私は思う。

でも、これから函館以外の街に行ったとしても、いいおじさんが函館と同じようにふらりとオシャレなカフェに立ち寄ったりするかもしれない・それは現地の人にしてみるとちょっと驚くことなのかもしれないが、函館では普通な光景なのである。そういう意味で、函館はカフェ文化としては他の街よりも成熟しているのかもかもしれないし、それが函館のやさなのかもしれない。




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さて、今年もランチパスポートのシーズンを迎えました。このシーズン、私にとって昼食をとろうとする時、きちんと調べなければならないとても面倒くさい時期であります。その理由は昨年もお話ししましたので、何度もしつこく書くつもりはありませんが、昨年題材となったお店には、その後ほとんど行かなくなりました。

さて、ランチパスポートに色々文句ばかりつけても仕方ないので、これは面白いのではないかと思いついたのが、ランパスのランチを1000円に統一するというアイディア。ランチパスポートのHPによると、「通常700円以上するランチを、本を提示すると500円になる」というのが謳い文句であるのですが、この500円という金額によって、掲載店やメニューなどに疑問を多く持ってしまう原因を作ってしまっているのではないかと思っています。
例えば、同じような料理を通常料金で食べてしまった者からすると何となく面白くない(それが美味しい料理でしたら、ランパス買っておけばよかったと思うのですが、そうではない料理に例えば700円も支払ってしまうのは納得がいかない)、掲載店の大多数が(全部とはいいません)日常的に行ってみたいと思うような魅力的な店ではないこと、そして500円でも採算が採れるように料理を改悪しているところもある等々で、ともかくいいイメージはありません。
ランパスを利用したいという方は、どの店でもいいからともかく安くたくさんのお店に行ってみたいという、「美味しいお店を探したい」という食べ歩きのモチベーションとはちょっと違うものが動機となっていると想像されます。
余談ですが、函館に戻ってから色々な人に美味しい店はどこかと訊いて、試しに行ってみると、「美味しい」とは味のことではなく、「安くて量がたっぷり」のことを言うのだとわかるまでに1年くらいかかりました。味は料金・量の次の三番目に大切なことなのだとわかりました。しかし、実際に安くて量があるものに、美味しさを期待してはいけないものです。それをある程度バランスよく成り立たせたのがラッキーピエロですが、でも、私の歳になるとラッキーピエロのあんかけ焼きそばは注文する気になれません。もっと量が少なくてもいいから、もう少し(贅沢は言いません。もう少しでいいのです)料理の質を上げたものを食べたいというのが本音です。

結局、私は今年もランチパスポートを買うことはないでしょうし、参加しているお店を避けて昼食をとることになると思います。でも、もしランパスのランチが1000円だったら、私はちょっと興味を持つかもしれません。普段は1200円~1300円するランチを1000円で食べることができたら、それは嬉しいことでしょうし、あるいは、通常食べやすい料金として700円~800円の価格設定していた料理をグレードアップして食材をよくしたり調味料も高級なものを使用したりして、そのお店の料理のポテンシャルを表現するということでしたら、是非一度買って今まで行かなかった所にも行ってみたいと思うでしょう。

この1000円という料金、もし通常価格に戻ったとしても、同じく美味しいものを食べることができるなら、1200円~1300円になったとしても納得がいくでしょう。また、通常の700円~800円に戻ったとしても、あれより安いのだからこれくらいは仕方ないよねと納得できるでしょう。
私個人としては、1000ランチのパスポートであれば興味をそそります。でも、たぶん販売冊数は激減するでしょうね。なにしろ、ランチパスポートを利用したい方々の目的は「安く、色々なや店に行ける」のであって、本当に美味しいお店を探したいというのとは異なると思うからです。でも、もし、1000ランチが好評を得たとするなら、函館の人々の料理に対する味はもっとうるさくなるでしょう。
それは、その先の函館の食文化にもつながることになるのですが、うーん、今はまだ難しいのでしょうか。





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私がひょんな出会いから15年くらい細く長くお付き合いさせていただいている建築士に、札幌の日野桂子さんという方がいる。いや、「という」というのは大変失礼にあたるほどの存在の建築士だ。私の図々しい性格のためか、札幌に行った時、突然電話して「これから行ってもいいですか?」と尋ねても本当に忙しい場合を除き会ってくれるとても素敵な女性です。もちろん手土産にはちょっと高級なケーキを携えて(笑)

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2017年、それまでビルの一室に事務所を構えていたが、中央区円山西町にもちろん自分設計のアトリエを建築した時も、少ししてから訪問し新しい仕事場を撮影させていただいた。上の写真は玄関を入ってすぐ目の当たりにするデコレーションだ。いかにも女性建築士らしい柔らかさを感じさせてくれる。

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この事務所は、当然仕事場拳でもあるがちょっとしたショールームも兼ねているようだ。

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この食卓テーブルでお客さんと打ち合わせをしたりするようだ。
違った角度で撮るとこんな感じです。

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彼女の設計は、一見無機質に見えるデザインの中にも女性特有の柔らかさ・優しさが込められてなぜかその場にいるとホッとしてしまう。

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彼女は親が転勤族であったため道内あちこちに住んだのですが、多感な高校時代は函館の女子高校に通っていたようです。そのためかどうかは知りませんが、たまに函館に来た時、西部地区を散策すると、「やっぱりいいですね」という感想を私に述べました。
彼女には、どこかで函館の風景を外からの目でしっかりと脳裏に焼き付けていると思う。

今では入手困難な経塚真代さんの作品にも共鳴し、彼女のアトリエに飾ってあった。なかなか注文しても完成までに時間がかかっていた経塚さんが頑張って作ってくけれた作品だ。

函館にはなぜ彼女が設計した家がないのだろうか?私は、函館で彼女の作品を見てみたい。きっとそれは街並に溶け込みながらも、斬新なデザインでそっと佇む住宅になるに違いない。




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いつものことながら、写真と記事は関係ありません。

さて、日常的に目にする函館市民の「ちょっと困った習慣的な行動」について、少しだけお話ししてみる。

まず銀行のATM。今日のような給料支給日には、けっこうな数の行列ができる。これは仕方ないことだと思う。みんな給料をもらうために働いていたのだと思うし、その支給日となればATMが混雑するのは当然のことであると思う。だが、その中でちょっと困ったことがよくある。一人で1台のATMを長時間占領している人がいることだ。
えっ、そんなの当たり前と思っている方もいるかもしれませんが、大都市部の混雑しているATMでは、数回の取引を行ってもまだ用が完遂しない場合は、一度ATMの前を離れ、最後尾に並び直して再度続きの手続きを行う人が度々見られる。
しかし、函館でそのような並び替えをした人を今まで一度も見たことがない。気配りがないのか、自分さえよければ他人の都合などどうでもいいと思っているのか、延々と5分以上「占領」している人を、特に金の動きが集中する日には目立つ。
ATMの操作がスムーズにできない高齢者は仕方ないとして、それ以外の長時間占領者は、例えば必要以上にゆっくり車を走らせ、後ろに何十台もの車を引連れて渋滞を起していることを何とも思わない人と同じように、他の人の「時間」を奪っているという意識が皆無なのだと思う。とにかく自分の用を済ますことが最優先、つまり自分ファーストの発想しかできないのではないかと民度の低さに困ったな、思うことがあります。

次に運転。

ひとつめは、信号のない交差点の優先道路がわかっていない。誰でも自動車学校で勉強したと思うのですが、「止まれ」の標識のある道路とそれがない道路の交差点での優先通行権は標識がない方にあるのですが、その道路を走って来た人が、なぜか「止まれ」でもないのに一時停止をしてしまうのです。一方「止まれ」の標識のある道路側の車は交通ルール―を守り、優先道路の車が横断するまで待たなければならないのですが、優先道路の車が一時停止をしてしまうと、結局「お見合い」状態になり、酷い時は10秒以上それが続くことがある。
私は心の中で「こっちはルールを守りたいのだから早く行ってよ」と心で願っていても、相手は微動だにせず、結局お見合いが続くことになってしまい、ここでもお互いの人生の大切な時間を浪費してしまうことになっしまうのです(ちょっと大袈裟な表現ですが)
もちろん交差点で事故は最も多く発生しますので用心に越したことがないのですが、まず自分がどのような道路を走っているのかくらいは理解してほしいものです。

そういう意味では、一方通行。特に函館市役所の出口専用の駐車場から出る市道は一方通行となっていることに、しっかり標識があるにも拘らずそれを認識していない人々が多く存在するのではないでしょうか。駐車場を出ると右折しかできません。それは今説明した通り一方通行だからなのです。そしてこの一方通行路、楽々2台並走できるくらいの道路幅員があるので、車線はないけれど、実際2車線の一方通行道路となっています。
さて、この道を走る車で、一方通行なのになぜか左側を走り、次の交差点で右折をする車両があるのです。私は元々次の交差点で右折する予定の場合は右側(庁舎側)を走り、右側に寄って右折をします。それが普通の一歩通行の走り方であるはずなのが、なぜかそのように走っていると、並走している左側の車からクラクションを鳴らされたり、窓越しにジロっと睨まれたりしてしまうのです。
そのような方々は一方通行の左側から右折をしています。クラクションを鳴らしたいのはこちらの方なのですが、どうもその方々は一方通行であるという認識がないためなのか、右折する時でも左側に寄らなければならないと思っているのかわかりませんが、でも、考えてもみてください。片側2車線の同眼の左側車線を走っている車が、交差点に近付いたら右折のウィンカーをあげて交差点を右折することくらい危険なことはないはずです。それでも、クラクションを鳴らす方は、今走っている道路にどんな規制があるのか、きっとわかっていないのだと思わざるを得ない次第です。
駐車場の出口の向かい側にしっかり「一方通行」の標識があるのですが。

本当に函館市民の間では、ちょっと困った慣行があるようです。


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昨日、よく行くカフェでアルバイトをしていたベトナムの男の子が仕事最後の日になった。
たまたまその日に訪れたのだが、それまでは顔を合わせてもあまり話をしなかった。なぜなら仕事を一生懸命やっていて、気軽に声を掛ける雰囲気ではなかったからだ。
枯葉留学で函館に来て、アルバイトでD'iciに勤めた。
顔を合わせたのは、それまで3回ほどだった。そして多少まともに話したのは昨日が初めてだった。

少し話した中で、私がベトナムに行きたいと言った。
もし行ったら色々連れて行ってほしいとお願いした。実は私が今行きたい東南アジアの国はベトナムとタイなのだ。
たとえとても薄い関係だったとしても、彼が、彼女がそこに住んでいるから行ってみたい。そして、そこから色々な人々と話の和が広がることができるのは素敵なことだ。
そういう旅がしてみたいし、旅をするモチベーションとなる。

4月に東京で泊まったホテルのエレベーターで一緒になった人々の大部分が外国人の若者だった。話しているのを何となく聞いて判別できたのはフランス語くらいで、その他のグループはラテン語なのか、はたまた私の大きな勘違いでドイツ語なのかさっぱりわからなかった。少なくとも英語ではなかったことくらいは私にもわかった。
それぞの宿泊している階でエレベーターが泊まり、外国人たちは降りて行くのだが、降りる際のアイコンタクトが心地良かった。もちろん、友好的な表情であった。

世界は、世界に出かけなくても日本のいたるところで感じるようになった。
そして、何かきっかけがあれば、一日本のおじさんとして何かを彼らに伝えたい。無理をする必要はない。普段の自分のままでいいのだ。

それに共鳴してくれたなら、いつかどこかで必ず会えるような気がする。

ベトナムの彼は最後にこう言ったようだ、「函館に必ず戻って来る」

これまでの人生よりももっと短い今後の人生の中で、それまでではありえなかったほどにすてきな外国人と知人となることができるような気がする。

大都市以外でそういう機会が作れることも函館のひとつの魅力なのだ。





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初めての最終日で閉会式までいました。
今年やっと行けたました。やはりこれを見ないと函館の夏を楽しんだ気がしない(笑)

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明るいうちはバックの函館港が絵になるんですよね。

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また来年も是非行きたいものです。



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今回の青森の旅でどうしても行ってみたかった場所にやっと行った。それはちょっとだけ思い切りが必要だった。新青森駅でレンタカーを借りて目的地まで何時間かかるのだろうか?そのために宿泊地に到着するのがかなり遅くなるのも嫌だった。私の旅の流儀として、夕方までにはホテルに着くというものがある。つまらない流儀かもしれないが、ホテルでの滞在も楽しみたいという私の旅のスタイルを変えたくないからだ。

それはそれとして、今回その迷いを断ち切ってその場所に行ってみた。青森県の地図を思い浮かべることができる方は頭の中で想像していただきたい。青森駅の西側にある新青森駅から陸奥湾を北東に進み、有名な浅虫温泉を過ぎ、野辺地を通り越すと、陸奥湾を西側に見ながら北上を続ける。
しばらくの間ただひたすら陸奥湾を北上する。出発して2時間以上走るとやっとむつ市内に入る。すると、国道はその地形に合わせて、今度は西に向かう。その一番最初に目にすることができるのが大湊に停泊している「軍艦」だ。函館ではあまりお目にかかることができない、本格的な戦闘用の軍艦が静かに停泊している。

本当はそれもじっくり見てみたかったのだが、距離感覚がわからない私にはとりあえず目的地に向かうことを優先した。大湊を過ぎてなお西に向かう、そう、それは函館方面から見ると、視認できる下北半島の裏側、陸奥湾に面した道路である。40分程度で行きたかった「青森県むつ市川内町蛎崎」にようやく到着した。午前中に出発したが、昼食はタイムロスを考慮してコンビニでサンドイッチを買い、それを食べながら運転を続けて要した走行時間だった。

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蛎崎の海。これを見るために私はやって来た。ここから北海道は見えない。たぶん青森すら見えていないだろう。津軽半島と下北半島に囲まれた陸奥湾しか見ることのできない、この場所、私の母方の祖先は住んでいた。

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いちおう蛎崎城に住居を構えていたようだが、今から約560年前、蠣崎氏の謀反により討伐され、この地を去って北海道に渡り、上ノ国町に花沢館を作り次の棲家とした。この館は道南12舘のひとつとして数えられ、そのうちのひとつが箱館であった。北海道に移り住んでから間もなくコシャマインの乱が勃発し、それを客奨である武田信弘が平定させ、蛎崎家はやがて道南一の館となり拠点を現在跡地が公開されている勝山館に移した。1514年本拠を松前に移し、やがて蠣崎から松前と名を変えた後、豊臣秀吉に取り入れられてもらい、それまでの安東氏の支配下から独立。その後徳川家康の時代に蝦夷地の支配権を認められ、それから約100年もの後に正式に松前藩として認められた。この時、松前家の中から家老職を担う一族は再び蠣崎を名乗り藩の終焉まで代々松前藩の政に関わることになった。

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簡単に書くと、従来の機銃地を追われ、新天地で成功を収めた話に聞こえるかもしれないが、決して盤石な基盤に立った藩ではなかった。全国の中でも年貢を米で納めなくてもいい特別な藩として扱われたのはいいが、経済基盤は海産物などの漁によって左右され、決して安定的とは言えないものだった。また、兵隊組織も盤石ではなく、旧幕府軍の北海道上陸の際にはあっさりと敗北している。その前にも2度ほど幕府直轄の支配地となってしまっている経緯がある。

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その蠣崎家が記録として登場する最初の地が、下北半島の蛎崎という小さな集落だ。何も知らずに車で走ると、あっという間に過ぎてしまうほど小さな街だ。近くの川内の街の方が昔栄えた面影が残っている。広大な屋敷らしきものも見られた。
本当に蠣崎家はこの場所で川内方面に勢力を及ぼしていたのだろうか?そんな疑問をどうしても持ってしまう。今回はただこの街を少し歩いただけだったが、今度来る時は時間を充分取り、簡易郵便局の方などに尋ねて少しずつ紐解きをしてみようと思った。

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今回時間をとれない強行軍で訪れたのは、蛎崎の海を見てみたかったからだ。蠣崎家はこの浜から北海道を目指したのだろうか?実際に現地に立って考えてみると、どうもそうは思えなかった。色々なパターンを考えてみた。蛎崎を追われた蠣崎家は下北半島の北側、つまり津軽海峡に面したどこかから蝦夷に向かった。だが、このルートであると蠣崎家が現在の戸井・恵山などの箱館より東側方面(太平洋側)に漂着し、そこに居を構えた方が自然に思えるが、実際は正反対の西側(日本海側)である上ノ国に移住している。そこから推測されるのは、一度下北半島から八戸南部の目が届かない津軽半島に向かい、それから日本海ルートで上ノ国に上陸したのではないかということだ。

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いずれにしても、約560年前、蛎崎家がこの地から蝦夷を目指したことによって現在の私がここにいる。
蛎崎家は松前藩解体後、藩の家老の中でも最も貧乏になった一族と言われているが、何となく今の自分を見ると納得してしまう(笑)
それでも、自分の中にどこか武家の心が残っているような気がする時がある。それはきちんとした理念などの言葉で表せるものではない。でも、仙台や弘前などの城下町を訪れた時に、「ここは訪れるべき場所だったのだ」と頭のどこかで感じてしまう曖昧な感覚はいつも感じる。そして、たまたま私はそのような場所に旅することが多い。蛎崎を離れてから向かった先は八戸南部藩があった八戸だった。




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