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このブログで開設当初の2年間ぐらいに語っていた函館の「こうならなくてはならない」姿、つまり街並について、多く語って来た。
そしてある時からあまり話さなくなった。

その理由の一つは、あまり同じことをしつこく語っても効果がないだろうと思ったことと、言葉だけでは根本的に帰ることができないだろうとと考えたからだ。

だが、その自分の思いが「現実のこと」として行われる可能性がが出て来た
街を変えるためには二つのファクターが必要だ。ひとつはソフトの面。それは個人でもできる街に対して自分の思いを具現化していくこと。例えば西部地区でカフェなどの店舗を開業すること。
しかし、それと同時並行してハード面、つまり、街そのものの形態をを変えること。例えば30坪の土地を3つ集めて90坪の土地に何か施設なりを作ること。あるいは、現代のトレンドに合わせた住宅街を出現させること。
そのようなソフト面では補えないことも、また、ハード面では補えないことが同時に行わなければならない。

もちろん、口外できないことが山ほどあるが、今私はそのハード面に関わろうとしている。
すぐに結果が出るものではない。しかし、確実に函館市も他の団体もその方向に向かっている。

ちょうど、スロートレインがゆっくりと、でも着実に目的地に向かっているように



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函館のガタガタ道とそれによって自動車の劣化について私なりの見解を述べようと思いましたが、連日の雪かきによる疲弊とカーリングの大接戦鑑賞のため機会がありましたら詳しく述べたいと思います。
それにしてもカーリング惜しかったですね。よくやった!


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函館のみならず全国的に大雪が降り様々な障害や混乱が生じていることは誰しもご周知でしょう。

約半月前から本格的に積もった市街地について、この半月間は他の都市に行っていないためにわかりませんが、私が居住し、仕事上市内あちこちを車で走って見ていて思ったことを話してみたいと思います。

1. 外国人観光客の車道歩行の危険性
昨日のことですが、西部地区の電車通りを走っていましたら、自車線を向こう側から中国人観光客と思われる若い男女が、何の悪気もなさそうに車道を歩いて来ました。私の車が信号待ちで停車していた時、まるで私の車の助手席のドアを開けるのではないかというくらい接近して通り過ぎて行きました。
言うまでもなく、とても危険です。たまたま停車していたからいいのですが、たとえ低速走行だったとしても、今の路面積雪状態であれば、歩行者を避けようと道路上の雪山(車両が走らず積もったままの高い部分)に乗り上げた時に、たまたま横滑りしてその歩行者に当たってしまったら一大事だ。
それでも責任は運転者側にあるのだろうが、非積雪時でも危険極まりないのに、積雪時はその危険性が3倍、4倍になる。
これは、函館だけのことではないと思う。他の観光地でも起きている現象であると思われますので、国レベルで注意喚起をしてもらいたいことです。
「あなたは日本で死にたいのですか?」

2. 旧亀田市街地の道路状況
元々、きちんとした都市計画を作らず、地主や土地を買い取った不動産会社が開発が先行した地域であったため、幹線道路以外は車道幅が狭く、今回のような大雪が降ると、車1台分しか通行できない道路が多数ある。先日もそのような道路を走っていたら対向車が来た。対向車は途中で左側に寄せて私の車が通過するのを待ってくれていたのですが、わたしがその車をかわすためには、左側の住宅のきれいに除雪していた土地を利用しなければなりませんでした、もし、1か所だけの「自分の土地の雪を道路に接する部分まで除雪している場所」がなかったら、私か対向車のどちらかがバック走行し広い道で曲がってどちらかを通さなければならなかったでしょう。
旧亀田市街地にはこのような道路がたくさんあります。また、全員とは決して言いませんが、そのような道路に接する土地に住んでいる方々の除雪の意識はどうなのかな、と思ってしまいます。場合によっては無理に交差しようとして、誤って塀や駐車している自家用車にぶつかってしまうかもしれないし、もし歩行者がいたら、もっと危険であります。
ここで、函館市の除雪がなってないからだと言われる方もいらっしゃるでしょう。確かにその通りだと思います。
先日(ここ2・3日の大雪の前)ある場所で市長が除雪費をケチっているわけでは、函館の場合はすぐ融ける可能性があるので様子を見ているという発言をしたのを聞きましたが、今回の雪は様子見のレベルでないことは明らかでありますが現在のところ(全市を見渡しているわけではないのでわかりませんが)あまり除排雪が進んでいるとは到底思えません。道道・国道は進んでいますが。
まぁ、これからやっと重い腰を上げるのかもしれませんが、当然経費も膨大なものになりますし、全ての市道まで完全にできるということはないでしょう。それは市街地の面積が隣接する市町に比べてもはるかに多いのにもかかわらず、納税者が少ないからです。また、北斗市や七飯町から函館の企業に就業している人は、函館市の道路を頻繁に利用するにもかかわらず、函館市に納税していない。そして函館市の人口は全国的にも注目されるほど毎年減少を続けている。つまり、納税額は減少を続ける中で、除排雪などの地域サービスはもっとできなくなるでしょう。

ですから、市街地を凝縮しなければならないという結論に達するのですが、現在函館市がプランしている産業道路から内側に市街地を凝縮するということが実現できたとしても、人口減少率を考えるとまだ市街地が広いと思います。もっと狭めても函館市の人口は収容できるはずです。そしてその方が地域サービスの品質向上につながるはずです。
さて、実際に函館市民はどういう選択をするのでしょうか?目先の便利さを優先して自滅の道を選ぶのか、まとまって将来的な住み心地の良さを選ぶのか。それは行政が強制的にやることではなく、市民一人一人の意識にかかっていると思います。




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函館に足りないもの。それは函館にまつわる物語だ。
全国色々な街で、その街を舞台として繰り広げられた物語が存在している。もちろん函館にもさまざまな知られざる物語があるが、残念ながら全国的な知名度がある物は少ない。私は、ライフワークとして、その物語を書きたいと思っている。ある程度の構想はあるが史実をある程度取り入れなければならないため、まだ素材としては不十分なものが多数ある。そもそも主人公すら決めていない。

年表の物語版のような書籍は地元にも意外とあるが、日本の中での重要な歴史の分岐点と人の思いを交えた「創作物」は残念ながらない。
その「物語」を死ぬまでの間に完成させなければと思っている。もし傑作ができたなら、大河ドラマの候補にでもなればいいと自分でも思っているくらいの「函館のドラマ」を書いてみたい。

今、函館に最も不足しているのは、市内各所にある案内板(決して不用と言っているわけではない)ではなく、それらがつながって壮大なドラマとなる小説であると思っている。どのような内容を頭にストックしているかは今のところ言えないが、時代に翻弄された一族の悲哀を中心に描いて函館が過去に繁栄した様を物語にしたい。

そんな告白をワインを飲みながら話してみました。

物語のキーワードとなるのは津軽海峡でしょう。



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既にご報告した通り、私はお盆休みに東京に行き、その大半を銀座で過ごすことになった。と言っても、ほぼただ街をぶらぶらするだけの「銀ブラ」状態だったのですが、函館に帰って来てからふと思ったことがあった。

それは、そのブランド店舗名に銀座という文字が入っているケースがとても多いということだった。
私がまとめてお土産を買った「松屋」の紙袋にも「MATSUYA GINZA」という文字があった。街を歩いても「〇〇銀座」という店舗名を飽きるほど見た。また、そのブランドの日本の本店機能を持たせているものも銀座には多い。ある有名ファッションブランド店では、銀座通りと並木通りにわざわざ2店舗も持っているところもあった。

それほど銀座という地名は魅力的なのか?はっきり言って私はそう思う。それは東京の繁華街の人気がその時代時代で流動したとしても、凛として銀座の「立ち位置」は変わらず、常に日本の最高峰の街として存在し続けたことにあると思う。高額の商品を購入する者、高額の料理を嗜む者、高額のお酒を飲むことができる者の目は厳しい。そのような人たちの評価を得ることをできる商品・料理・サービスを銀座に出店した者には求められる。ちょっとした成金や親の遺産で多額の金を得た者たちを満足させることができる街や店は全国どこにでもある。だが、(おそらく)研ぎ澄まされた眼を持っている者を満足させることができる店舗がこれほど多く存在している街はやはり銀座だろう。
ごまかしはきかない。だが、そのようなお金を使える人に認められる商品・料理・サービスを提供できたら、彼らは躊躇なくお金を出すだろう。そして、認められたお店はその金で潤い、同時に知名度も得る。だから銀座に店舗を構えることを目標にして努力する者が現れる。もちろんそれは一人や二人ではない。一社や二社ではないだろう。また、従前より評価されている店舗も、その地位を失わないように努めるだろう。その互いのパワーが、とても静かに水面下で蓄えられ、いつまでも銀座が銀座であるという街のスタンスが保たれる。絶妙なパワーのバランスや世代交代がその位置を不動のものとしている。
そのような場所は東京でも銀座しかない。
だから、〇〇GINZA、〇〇銀座という名称を自らの店舗に付けるのだろう。

では、函館にはそのような場所はあるのだろうか?もちろん規模やグレード等は銀座と比べることなどできないが、少なくともその街の名を冠した店舗名が人から違和感なく受け入れられる町はあるだろうか。例えば、今多くの市民が「便利」だとして利用されている(同時に居住されている)美原・昭和・石川という名前を冠した店舗があったとしたらどうだろうか?おそらく多くの人が違和感を感じるだろう。カフェ○○美原、レストラン○○石川、○○屋昭和というような名前の店舗があったとしても重みと高級感を感じるだろうか?
もちろんこれは私の感覚であるが、函館で唯一町名を冠して許されるのは元町だけだろう。それはおそらく多くの人が最も違和感を持たない名称となるだろう。だから、自分が高いレベルで挑戦したいと考える者は元町やその周辺の場所に店を構えようとするだろうし、そのようなパワーがあるうちは、函館は全国的にも評価される函館として存在するだろう。しかし、観光客だけで経営を維持するのは実際には難しい。地元の人々が好んで利用できるような店舗にならなければならない。

店舗だけの問題というわけではないが、函館の中での元町の「位置」がもし失われたら、おそらく函館は函館でなくだろう。また、そのようにならなければただのどこにでもある街になってしまうだろう。元町をいつまでもその位置づけできるかどうかは、決して観光客がするものではない。既に遠くてなかなか行けないと言ってしまっている私たち市民によって左右されるものだと思う。



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実は機会があれば行政関係者に話していたことがある。
それは函館市の特別税として「観光税」を導入したらどうかということだった。

このブログではしつこいほどお話ししていますが、函館のかなりの企業収入は観光そのものと観光に付随する仕事(クリーニングやお土産、ホテルの食事の食材他)に亘って得られていると思われます。また、そのような仕事をしている方々が消費する日常品などで色々な産業も市民に利用されています。例えば美原の蕎麦屋さんと観光は関係ないだろうと思うかもしれませんが、観光関連参議用に従事している人が利用しているかもしれません。

つまり、もしも観光客が全く来なくなった場合、想像では連鎖的に市内の半分の会社・店舗などが閉鎖に追い込まれるかもしれないと言っても、全くの見当外れではないと思っています。しかし、その観光で何とか市民の生活が成立っているはずの「観光地」は年々姿が変貌しています。より雰囲気のある建物や店舗が増加していればいいのですが、それどころか市民はまるで函館市のお荷物・廃れた生活の拠点には到底ならない場所としての認識がない方が相当数いると思います。

観光のおかげで生活が成立っているのに観光地には無関心で街が廃れても全く気にも留めない。それどころか、ある出版物の記事では、ボーニ森屋の経営危機に際して、大門はもうどうしようもない街というような表現を使って切り捨てていました。
ここで良く考えてみましょう。

広い地域で見てみますと、函館市の企業で働きながら近接の北斗市や七飯町に住んでいる方々は住民税をそれぞれの市町に支払っているのです。遠回りながら函館の観光の恩恵を受けている会社で収入を得ていながら、納税するのは函館市ではない。
また、同じ函館市内で働いていても居住地を、観光地として維持すべき建物・地域には住まず、観光地の老朽した建物が滅び、その姿が年々みすぼらしくなってしまうことに寄与している人々が観光地以外で何食わぬ顔で暮らしています。

そこで、「観光地に居住せずに、観光地としての街並の保全に寄与せず、その恩恵だけ受けている観光地以外の住民に対して観光税を賦課する」という条例を作ったらどうかということです。これは、下水道の受益者負担と全く同じ発想です。今まで下水道が整備されていなかった地域に汚水管が新説されますと、その道路に面する土地の所有者から、「下水道が整備されて生活が便利になるだから」という理由で下水道受益者負担金をどこの市町村も徴収します。

それと全く同じ考えです。

観光で直接的にあるいは間接的に経済的恩恵を受けている市民・あるいは市内の企業に勤務している他市町の住民で、観光地の街並の形成に寄与しない人は、その整備の費用の収入源として「観光税」を支払うべきだと私は考えます。
これは、私が密かに考えていたことですが、実は函館市でも真剣に考えたことがあるようです。内容が全く同じかどうかは別として観光以外に主幹となる産業がない函館にとって、それは必要に迫られる選択になるかもしれません。

これも以前このブログでお話ししましたが、函館の観光地は明治から昭和初期に建設され、何とか今でもその姿を維持している建物・街並でできています。つまり、私たちは「遺産」で食いつないでいるのです。その「遺産」も放っておけばいつか崩壊します。
崩壊して函館が観光地としての魅力が無くなった時、産業は大幅に縮小するでしょう。雇用も縮小され、失業者が多数出ることとなるでしょう。そんなことをこれっぼっちも考えず、今上手く行っているのだから、目先の楽・便利の方を優先したいと無意識に思っている方々には、是非「観光税」という形で半ば強制的に函館の街並の意地の協力をしていただかなければならないと思います。
もちろんこれには課題がたくさんありますどこまでの地域を「観光地」とみなすか、税率を何パーセントにするのか、得た収入で具体的に何を行うのか、特に他市町からの労働者の徴収をどうするのか。などなど検討すべきことは山積みですが、「失ったもの」を再び得るためにはそれ相応のお金が必要なのです。
このままでは、新幹線効果が薄れて来た頃から、観光してもつまらな街・街並になって行くことでしょう。

そのようになる前に、「函館を捨てた人たち」は観光という恩恵を受けているのですから、「観光地」に対しての「受益者負担金」を支払ってもおかしくはないのではないでしょうか。



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ここ何年間もの間、ほんのたまにしか函館にのことについて話してはいない。それはある程度意図してそうしていたのですが、ある程度は話しても仕方ないかという諦めや絶望感を持ちながら日々を過ごしていた部分もあったことも理由としてあった。
でも、だからと言って何も話さなければ、たとえほんのわずかな人に対してでも何かを考えていただくことはできない。

水をたった一滴落とすだけにしかならないかもしれないが、一滴でも波紋はできるはずだ。とてもとても小さな波紋かもしれないが。

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このブログを始めた頃とは違い、1日に長文を書くパワーは持ち合わせが無くなっているけど、できる限りで何度かに分けて話して行こう。
逆に言うと、それほどの危機感を最近感じ始めているからだ。

さて、何から話して行こうか?
とりあえず、今晩約1か月ぶりとなる飲み会がある。若い方や妙齢でも元気な方にはわからないかもしれませなが、酒を飲みに行くということもパワーが必要なのです(笑)ここ1か月ずっと会社と自宅の往復だけしかしていなった(そうするしかなかった)私にとっては、飲みに行くということもとても貴重な時間となるはずです。




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皆さんは近年の室蘭の測量山麓の街をご覧になったことがあるだろうか?そこには室蘭駅や室蘭市役所や胆振総合振興局や青少年科学館や室蘭総合病院や、少し離れて日鋼記念病院などがある。これだけの公共的施設があれば便利でさぞかしそれなりの賑わいがあるのではないかと思われるだろうが、実際は全くその逆だ。
これらの中心部に近い中央町の商店街アーケードは函館の大門よりも悲惨な「シャッター街」となっている。

その原因として推測できるのが、鉄鋼業の変化と推測してみた。室蘭寄りにある「日本製鋼所」よりも東室蘭近くに存在する「新日鋨住金」の方が繁栄しているからでは?と思われたが、調べてみるとそれぞれの従業者数(関連会社は除く)は日本製鋼所が約800人に対して新日鋨住金が約1000人(双方とも当該会社のHP参照)と200人の差はあるものの、街が変化するほどの大差はない。

では、何が中央町をシャッター街化させたのであろうか?もちろん地元でずっと街を見て来た人間ではないので自信を持って言えることではないが、東室蘭には大型商業施設が集中しており、また、高校通学も東室蘭が便利であり、東室蘭駅には特急も停まり、国道37号線も走っている。つまり、日常的な生活をするためには東室蘭の方がずっと便利であるということだ。
それでは人口はどのようになっているか?室蘭市の人口が最大になったのは高度経済成長真っ最中の昭和44年の約18万3千人であり、その後徐々に減少を始め、ついに平成17年には10万人割を起し、平成29年5月末現在ではたったの8万6千人程度の人口しか擁していない。製鉄業の不振やその他の要因がいくつもあるだろうが、乱暴な言い方をすると、室蘭は死に東室蘭はかろうじて生き残っている、ということができると思う。

そして、これは函館と似ていないだろうか?中心部が山の麓にあったのが、その先の向こうに街が拡がり、やがて中心街が逆転する。そして市全体の人口は目を見張るほど減少を続ける。私は函館山と西部地区を見て時々室蘭の測量山と中央町周辺を重ね合わせしまう。このブログで何度となく書いているが、中心部が移動する地方都市はだいたい衰退の一途を辿っている。そのように考えるのはたまたま仕事で全国や道内の街をあちこち見て来たからだ。
しかし、何度書いても人々は「目先の便利さ」を選択する。地方では人口減少が止まることがなく、大都市はまだ人口が増加している。このような現象は異常としか思えない。社会の色々なバランスが狂っているとしか思えない。

さて、今まさに函館市民が殺そうと思っている西部地区をビバリーヒルズ化しようと市長が宣言した。どのような具体的構想があっての発言なのかわからないが、簡単に考えても相当な障害・弊害が待ち構えていることが想像できる。想像というより、それはそこにまさに存在しているのだ。その存在をどのように調整できるか、近々担当部署に計画内容の詳細を聴取したいと思っている。





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ずっと思っていて、でも、ずっと発言を控えていたことに函館のランチパスポートのお店のことがありました。なぜ控えていたのかと申しますと、私自身ランチパスポートを購入して食べ回ったことがないためでありまして、実体験したことがない者が何かを発言したりするのは自分でもあまりにフライング的な要素が強いのではないかと思えたからです。
そのため、昨年の第1回目の時もかなり控えめに少しだけ発言させていただきました。今年も思うことがあったのですが、それでもやはり控えていました。

でも、昨日、さすがにこれは私の「推測」だけでも充分発言してもいいと思えるようなことを体験してしまったのでランチパスポートについて述べさせていただきたいと思います。

昨年、ランチパスポートについて疑問を感じたのは、果たして飲食店は500円で美味しいものが充分提供できるのだろうかというものから始まっていました。いや、参加店の中にはその限られた金額の中で試行錯誤しながら頑張って美味しいものを提供しているところもあるかもしれない。そう考えると、私の疑問もとりあえず保留状態にしておこうと考えていました。
ところが、その昨年、たまたま知らずにランチパスポート参加店(ラーメン店)に入って昼食をとったことがあるのですが、そこは初めて入るお店であったためどんな味のラーメンを提供してくれるのか、まぁ、とりあえず味わってみましょう、という感じで入りました。ところが、それなりの料金のラーメンを食べたのですが味が・・・・
これなら自分で家で作った方がいいのではないかとも思えるようものでした。
あっ、この店失敗だっだなと思っていた頃、ランチパスポートを巣縦に入って来た女性客がありました。その時初めてそのお店がランチパスポート参加店なのだと分かったのですが、私がゆっくり(我慢しながら)食べている間にさっと食べてパスポートを見せ500円を支払って去って行きました。その際、「ここ美味しいですね、また来ます」と言って出て行かれました。
「えっ、これのどこが美味しいの?」という根本的な疑問を持ったわけなのですが、まぁ、人の味覚はそれぞれですので、それはそれでいいのではと思い直しても、ふと、まともな料金で美味しいとは言えないラーメンを食べた私は、何とも言えない不条理な感覚になりました。
そう、ここであれば500円で充分なのではないか、いゃ、500円だったらこの味でやっと我慢ができる。そう考えると、通常料金を出した私がものすごく損をした気持ちになったのです。もちろん通常メニューとランチパスポートメニューは違うでしょうが、ランチパスポートメニューの方が美味しいのだとしたら、本末転倒であるわけですから。

これは去年の1例だけ。ですが、その1例があってから今年はランチパスポートを実施しているお店は避けるようになりました。先ほども言いましたように、美味しいとは言えない料理を通常の価格で食する可能性があるお店は何となく損をした気分になってしまいます。また、仮に私がランチパスポートを購入して500円でそれなりの味を楽しめたとしても、通常料金に戻った時に「ここのお店500円で食べれたのに」という気持ちになってしまいそうになりそうなので、ともかくできるだけ参加店での食事は避けていました。

ところが、以前から気に入って時々昼食をとっていたあるお店が今年ランチパスポートに参加し、そのイベントが始まった頃に駐車場が全て埋まってことがありました。すぐにランチパスポートのお客さんだとわかりました。なぜなら、それまでは何度行っても多少混んでいても1台から2台分の空は必ずあったからです。仕方なく私は近くのお店に行って通常の安いとは言えない料金の食事をしました。(そのお店はいつもそれなりに美味しい料理のですから、もちろん料金は納得しております)そのお店はランチパスポートに参加していなくても相変わらずたくさんのお客さんが入っておりました。やはり、美味しいところは何もしなくてもお客さんが入るのだなと思ったわけです。駐車場のいっぱいで入れなかったお店も私は気に入っていたのですが、立地と店内のインテリアが芳しくなかったためにきっと好印象を持たれていないのだろうなとずっと思っていました。

それから1か月以上経って、昨日久し振りに前回入れなかったお店に行ってみました。さすがに最初の頃に比べてランチパスポート客も一段落したようで、今度はちゃんと停めることができたのです。そして、もちろん通常の料理を注文しました。しかし、周りを見ると今まで見たことのないプレートで食べているお客さんが何組もあり、あぁやっぱりランチパスポート客が大半を占めているんだな、とその影響力には改めて驚いた次第です。
それはある程度予想して入ったのですから、それはそれでいいのですが、最も重大なことは、出て来た、今まで通常料金で美味しいと思って食べていた料理の味が変わっていたことでした。結論から申しますと、味が明らかに薄くなっていたのです。すぐにこれはランチパスポートのために薄めたのだなとわかりました。それはそうでしよう、500円だからと言ってその分料理を減らすわけにもいかないでしょうから、500円対策としては、同じ量の原材料でよりたくさんのものを作らなければならないのですから。そうしなければ店側にとってはかえって損になってしまうのですから。それは理解できても、その味は私が好きだった味ではありません。最初からその味であれば、私は何度も行くことはになかったでしょう。

これで私の行くお店が1軒減りました。ランチパスポートで初めて来たお客さんはそれがそのお店の味だと思うでしょう。美味しいと感じたかどうかはその人次第でしょうが、少なくとも私はランチパスポートによって美味しくなくなったお店としか映らなくなりました。もちろんそのお店の考え方・方針、はっきり言えば、とにかく誰でもいいから来たくさんてほしいという切羽詰まった事情もあるかもしれませんが、もし、自分の作っている料理の味に自信があるのなら、それを大切にして欲しいなと思うのです。それはきっとランチパスポートの期間が過ぎて通常料金に戻った時に、どれだけ期間中に来たお客さんがリピートされたかを注視していればわかることでしょう。

こんなことを話している私はさぞかしいつも高い料金の食事をしているのではないかと思われる方もいるかもしれませんが、けっこう500円以下の昼食もとったりしています。でも選ぶ基準はその料金でこれだけのものだったら納得できるかどうかという所にあります。500円以下で高級な料理は最初から期待していません。その限られた価格帯で納得できる料理でしたら、私は喜んで食べに行きます。でも、たまには本当に美味しいものを食べたい、と思った時は1000円以上のランチを採ったりします。常に安くなければならないとは考えていません。
その使い分けで日々の昼食を出費的なバランスをとりながら楽しんでおります。

何度か書いたことがありますが、本当にその店の味が気に入ったのなら、いつもとは言いませんが月に1度か2度行ってそのお店にお金を落とすことが最も大切なのではないでしょうか。新しいものに目移りばかりしているうちに、お気に入りのお店が閉店していたということもあるのではないでしょうか。ちょっと大袈裟かもしれませんが、結果的にはそれが函館の食文化に大きく影響してくると、私は思います。





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つい先日、「私が函館のことを話さなくなった理由」という文章を書いた直後で何ですが、少しだけ話します。

色々な街に住んでから函館に「定住」して7年を超えましたが、住み始めて函館での社会生活を開始した頃に感じ、今でもずっと変わらない函館のイメージがあります。それは、函館という地域社会は学校と似ている、ということです。
どういうことかと申しますと、地域社会を構成する人々の関係が、学校での生徒の関係と変わらないということであります。それは学生時代の大部分を函館で過ごしたからそう思うのでは?疑問を呈する方もいらっしゃるかもしれません。確かに他の街よりはるかに同窓生と遭遇する確率が高いのは間違いないのですが、単純に、だから学校のように感じるというわけではありません。いくら同じ学校に通っていた者でも、何十年も社会で様々な経験をしていますと、それなりの人間関係の作り方というものを体得して、親しき仲にも礼儀あり的なお付き合い、より正確に言えば、ちょうどいい距離感を保って人間関係を構築するということを覚えるはずなのですが、函館の社会は、相手に学校的な関係を求めているのではないかと思われて仕方ないのです。

学校的な人間関係の真っただ中にいる方々の間では噂はあっという間に広がります。ほんのちょっとしたどうでもいいことまで、当の本人があまり知らない人間にまでその噂が広がっていることがあります。それも事実とは異なった内容で伝わったりとか。人口が26万人以上も住んでいる街の中でのことです。5000人くらいしか住んでいない町の中でのことではありません。
こんなことは、100万人以上住んでいる街の中では、当人がよほど著名な人物であるとか、特定の狭い業界内での話以外はあまり考えられないことです。確かに中途半端な人口であることは理由のひとつとしてあげられるでしょう。しかし、私が思うのは、函館の人々は「学校的な人間関係」を望んでいるということです。学校と言っても、せいぜい高校までのことです。大学生になって全国各地で新たな生活を始めた人とは全く違った、1学年何クラスで何百人というコミュニティを人口26万人の社会にも求めているということです。

もう少しと詳しく話しますと、函館でずっと住んでいる方々は、函館という「学校」で何らかの成果を収めると(例えば社会的地位や名声・経済力など)、もうそれから上を中々見ようとはしない人が多いような気がします。それはそうです、「学校」中には限られた数の生徒しかいないわけですから。その中での立場を確立すると、「学校」の中でいい成績を取ったのだから凄いね、満足してしまうのです。後はその地位を失わないようにすることが最重要課題となってしまい、「学校外」のことはわからなくなってしまいます。「学校外」のことがわからないから、「学校外」ことは自分には関係のないことだと処理をして、注目しないようにしてしまうのです。

たまに大都市からの転校生がやって来ると、「えー、札幌の○○高校からなの?東京から来たの?」とちょっとした話題になって、すぐ関心がそちらに移って何となく田舎者っぽくなりたくない人は、転校生をもてはやします。転校生がもたらす「今までの学校内では知らないこと」には興味津々で、何となくそれが「学校外」での全てを知るかのような関心を示します。ですが、その転校生は全国各地どこにでもいるような生徒なのです。転校生は全国各地に散らばっている同じ学校の出身者なのですが、そういう者に憧れてしまうのです。だから転校生がいる場所にみんなが集まって来ます。今まで1組と2組が安定的な人間関係を築いても、転校生が来た3組や4組に関心が移ってしまうのです。
しかし、学校全体の基本的なコミュニティは変わらないため、結局3組も4組もいつしか今までの「学校」という枠内での価値判断をしてしまうわけです。この「学校」の中でちょっと音楽が上手だと、この人が一番だと盛り立てます。例えわざわざ「学校外」から優れた技術を持った方が演奏に来ても見向きもいないことがあります。「学校外」のことにはあまり関心がなく、ともかく学年テストで上位の成績を取れば何となく「できる人」となってしまうのです。
これでは、全国各地あるいは世界各地の「学校外」で生まれている新しいものには目もくれずに、あくまで「学校」での自分の立ち位置が重要となってしまいます。

「学校」の中では、「学校外」のことを知っている人をよく馬鹿にします。それは「学校」で当たり前のことを「学校外」の人を「学校内」の基準に合わないおかしい人と思うからです。あくまで「学校内」での基準をもとにしていますから、「学校外」のひとの言動は受け入れがたいものとして一笑に付すのであります。そんな学校を卒業したい人は函館という「学校」から転校します。「ここにいても狭い学校内のことしかわからないから」と。そうすると残された者は余計に「学校内」の基準でしか物を考えなくなります。
「学校外」の人は、日本全国や世界を知っています。広い世界を知って、自分より数段優れた人が星の数ほど世の中には存在していることを嫌でも思い知らされます。ですら、謙虚につまらない自己顕示をせずに、自分の進む道を全うしようとします。目が日本全国やせかすに向いているからです。しかし、「学校」の中ずっといる人は、情報としては入って来るけど、それは別世界のものであって自らがそれに類似した世界を作ることができないと、最初からあきらめています。

もちろんそうでもない人もいます。そういう人は「学校外」で活躍しています。決して「学校内」には留まったりしません。残された「学校内」人たちは、あいも変わらず噂橋で誰かがへまをしたとか、めくでもないことをしたとか、そんな「失敗者」の噂をすることで、相対的に自分は「善良なる学生」であることを確かめるわけです。ですから、函館の人は、他人をよく馬鹿にしたかせるのです。人を馬鹿にすることは、同時に自己への肯定という祖業をしているわけですから。

私は、進学校と呼ばれる函館の高校を卒業してから、大学・社会人として生活を重ねているうちに、それまで「学年でちょっといい成績」をとって優秀だ、と自己暗示にかかっていた妄想みたいなものを木端微塵に粉砕されてしまいました。世の中には自分より優秀な人間が数えきれないほど存在しているのだと。でも、だからこそ、目は「学校外」の広い世界に向いてしまうのです。
例えば、小説を読んでいると、この作者以上の作品を作ることができないか、そのようなことを頭に浮かべしまい、「学校新聞」にお願いして載せてほしいなどとは思わないのです。「日本の新聞」に取り扱われるようなものを創りたい。そんなことしか考えません。
「学校内」で評価されていた者が全て実社会でも活躍しているとは限りません。ちなみに、高校で3年先輩の方が、今ある道内大手銀行の副頭取の役に就いていて、次期頭取候補となっているようですが、高校時代は全く地味で目立たない生徒だったそうです。きっと密かに「学校外」ことを頭に入れていたのでしようね。だから「学校内」ではおとなしくしていたのではないかと、勝手な想像をしてしまいます。

久々に長く書きましたが、学校の関係を求めていては、「学校」という枠から飛び出すことはできません。どんなに「学校内」で人を比較したとしても、それはやはり「学校内」にしか通用しないものなのです。函館がよりよい街になるためには、「学校を卒業」することが必要だと思います。
まぁ、学校であれば、「港内新聞」に載るとちょっと別の目で見ていただけるというのはありがたいことですが、それでも「学年で一番優秀」だと言われるよりも、やはり私は日本で「ちょっと面白い奴だ」と思われるのが望みであります。そういう人間がたまたま「学校」に住んでいる。私の7年はそんな感じでいつも過ごしてきた毎日であります。




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