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1976年は私が高校3年生になった年だ。奇しくも新年のブログで昨年のことを「とんでもない1年」と話した辰年であり、やはりその通り色々なことがあった年だ。

この年、私が親しくしていた人との別れが相次いだ。同級生の休学、行きつけの喫茶店の閉店、大学受験勉強のために日常的な交流が減った者もいた。次第にどこか虚しい空気が自分の周りに漂っていた。だが、音楽だけは相変わらずであった。前年独立開業した「Sound Papa」のはいからコンサート、GreenGrassでのプライベートコンサートなどに出演し、今考えると馬鹿げているがプロのミュージシャンになりたいと漠然と思っていた。

その年、こんな曲がヒットした。



私たちがよく聴いていた、泥臭い音楽から都会のセンスに溢れた曲が代わって多く出現した。

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この前の年、函館ドックにゴライアスクレーンが建基された。函館の風景が大きく変わった。元々広くないが微妙なバランスで美しさを保っていた函館港が、ただの港になった気がした。
そして、大人同士の会話からドックの経営が思わしくないようだとの噂を聞いた。その話を聞くまでもなく、函館にはどこか影がかかっているように、子供ながらに感じていた。沈みゆく船に乗っているような気がした。函館を出たかった。函館を出なければ、函館と一緒に自分も沈みそうに感じた。

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その頃、西部地区のことを特別好きだとも思っていなかった。本町周辺の都会的な雰囲気が好きだった。だから都会に出たかった。どこの大学でもよかった。札幌に行こう、そう決めたのは1976年の初冬だった。

チボリでは荒井由実がひっきりなしに流れていた。おしゃれなデニムショップも本町にあった。生まれて初めてパーマをかけたのも本町であった。翌年、札幌で美容室に入ると、女性客から奇異の目で見られた。ひょっとしたら函館の方が札幌よりも感覚的には進んでいたのかもしれない。





何かか大きく変わろうとしていた。どこに向かってどんな風に変わっていくのかはわからない。
だが、多感だった10代の者にとって、1976年のはこだてはハード過ぎた。そんな思い出しかない。



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この季節に、あえて夏です。

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寒くなったせいか、猛烈に眠いです。


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今はオリンピックたけなわだ。
この記事も、男子サッカーの試合開始を待ちながら書いている。明日が休日であることがラッキーだ。

さて、オリンピックの思い出というタイトルで書き出し始めたが、私はオリンピッをは一度も現地で見たことがない。海外はもちろんのこと、国内で開催されたものもだ。
だから当然テレビ観戦であり、また、知人が出場したとかという特別な思いでのテレビ応援もない、ごく一般的なテレビ観戦者だ。

では、思い出とは何か?

日本で初めてのオリンピックである東京オリンピック開催の時は、まだ6歳であった。リアルタイムな記憶はない。しかし、小学校何年生だかの時に「東洋の魔女」と東京オリンピックで金メダルを獲得した日本女子バレーチームの大松監督の手記(子供向けの読み物だったと記憶しているが)を読んでからは、オリンピックというのは凄い舞台で行われる競技なのだと興奮したのを覚えている。

それからしばらくして1972年、札幌オリンピックが開催されることを知った。
函館と同じ北海道で開催されることに、にわかに自分の中で熱くなった。札幌オリンピックを題材にした、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」のシングルレコードを買い、盤が擦り切れるほど聴いた。ちょうどその頃ギターを買ってもらった私は、ろくに弾けもしないのに必死にトワ・エ・モアの真似事をした。

そんなこんなで、一人で札幌オリンピック熱を日を追うごとに高めて行った私は、とんでもない行動に出てしまった。何と、オリンピックの思いを作詞作曲してしまったのだ。それだけなら、単なる独りよがりで何ということもないのだが、今思い起こすと、まさしく穴があったら入りたいほど厚顔無恥なことをやってしまった。


1971年、オリンピックの前年の12月のことだった。


作った曲の音符と詞をしたためて、当時の道内向け深夜番組であった、STVの「アタックヤング」というラジオ番組に送ってしまったのだ。今思うと正気の沙汰ではないが、やっぱり当時は怖いもの知らずの子供であった。パーソナリティは「ジャンボの兄い」というニックネームのあった、小林アナウンサーの番組にだ。




そして、ある時、小林アナの番組を聴いていると・・・・・・私の作った曲がピアノ演奏され、詞を小林アナが朗読するという形でOn Air された。







身が急速に縮まった。
深夜で自分の部屋に一人しかいないのに、赤面した。そして、急いで録音をした。次の日から、そのテープをこれでもかというくらい聴いた。だが、家族には話したが、クラスメイトには一切話さなかった。

私は昔から態度はでかいが、こういうことは言いふらしたりはしない。この性格は今も変わらない。どうもそういうのは苦手なのだ。
まぁ、今から40年も昔の話だから、もうそろそろ話してもいいかと、オリンピック開催中の今日、書いてみた。

高校を卒業して札幌に住んだ時、初めて真駒内に行った。地下鉄を降りるとすぐに五輪のマークがあちこちに見える。選手村だった高層住宅が市営住宅に変貌していた。そのマークを見ただけで感動した。
本当にここでオリンピックが開催されたのだと、開催から4年経ってから実感した。



オリンピックは、選手だけではなく、私のような世間を知らない地方の子供にとっても、夢の舞台だったのだ。




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私が1歳の時から幼少期を過ごしたのが弁天町22番であった。何軒か続く長屋の一角の2間の部屋であった。そこに両親と私と妹の4人で住んでいた。昭和30年代のことであった。

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その長屋はとっくの昔に取り壊され、現在は上の写真のようになっている。微かな記憶では、左側の花壇のところが長屋への通路であったと思う。
この小さな通路は、長屋に住む歳の近い子供たちの遊び場になっていた。

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そしてもうひとつの遊び場がすぐ近くの「西浜岸壁」であった。今のベイエリア附近が東浜と呼ばれていたのに対して、ここは西浜と呼ばれていた。
もちろん当時はこんなヨットハーバーにはなっておらず、漁船が停泊するただの埠頭であった。だが、単純な一本竿でふぐやシマダイやチカが面白いように釣れた。鯖も釣ったことがある。鯛らしきものが引っ掛かったことがあるが、竿を上げる途中で針から逃げられてしまった。

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家と西浜岸壁の間には、ご覧の工場が現在でもある。当時、ここは網工場であった。北洋の蟹工船から帰って来た父は、ここで半年働いたこともあった。とても忙しいようだった。自宅で夜遅くまで網を作っていたこともあった。やはり、私にとっての函館は「海」だ。

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自宅のすぐ近くには、こんな倉庫がたくさんあった。この近辺で、アイ・ジョージが乞食役でロケをやっていたのをなぜか覚えている。また、この倉庫の壁は、私が野球を覚えてからは一人キャッチボールの相手となってくれた。
もちろん当時は知る由もなかったが、この倉庫、住友が造ったものだったんだな。

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弁天町22番の端には西浜旅館がある。今となっては貴重な建物のひとつであるが、当時は(近くに住んでいる者からすると)よく見るような建物のひとつにしか過ぎなかったような気がする。
小さな子供からすると、このあたりまでが「自分の縄張り」であった。

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西浜旅館から函館港に向かう道路を進むことは、幼少期の自分にとっては、大冒険であった。倉庫の間にある子供がやっと入れるくらいの隙間は、暗く湿っていて臭かった。一度入るとしばらくは入り込む気にはなれなかった。

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さすがに小学生になると行動範囲が広くなり、この幸坂下の通りも友達と一緒に登下校で歩いた。当時はまだ馬も歩いており、あちこちに馬糞が落ちていた。そして、ちょうど写真の手前側で私が転んで倒れた時、目の前に三輪車(三輪自動車)が近づいていた。とても怖かったが、静かに三輪車は止まった。当時の車のスピードは相当遅かったのだろう。今だったら間違いなく轢かれていただろう。

1歳になった私を連れて両親は田舎からこの弁天町22番に引っ越してきた。
両親からすると、都会暮らしの不安もあっただろう。それでも間もなく妹が生まれ、父は必死になって働いた。北洋から帰ってからの仕事がドックになった時、毎日油まみれになって帰宅した。徹夜になったことも何度もあった。

その父が昨日倒れて救急車を呼んだ。血圧が200まで上がり、自力では立ち上がれなくなった。何度も嘔吐をしたようだ。幸い症状は重くなさそうだが、私が病院から帰ったのは夜の11時を過ぎていた。
私が函館に戻った理由のひとつが、「その時」のためでもあったので冷静でいれたのだが、どこの家族でも思うように、できれば何もない方がいいに決まっている。

父が一大決意をして函館市弁天町22番に引っ越してから52年。その決意がなければ、私はこれほど函館にこだわってはいなかっただろう。西部地区にはこだわってはいなかっただろう。普通の観光客のように、ただ雰囲気のいい街と見て終わっていたかもしれない。

私は父の決断に感謝している。


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大森浜を撮ろうという気持ちになる時、または、最初から撮る予定だった時は曇り空がなぜか多い。この時はたまたまご覧の良い天気だった。

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石川啄木が、泣き濡れて蟹とたわむれたのもわかるような気がする、そんな浜だ。

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女性を撮っても、どこか憂いがあるように写ってしまう。

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最も最近撮った大森浜。こういう場所を歩く習慣がなくなったと、ふと自分の情緒の貧しさを嘆く。


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気が付いたら、私が小学生時代の一時期を過ごした借家が無くなっていた。去年の秋まではあったのだが・・・・。

またひとつ、私にとっての函館が失われた。


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大門・広小路。広小路は、地図では「さかえ通り」となっている。こうやって見ると、函館はやっぱり狭いですね。

3年前の1月7日、私は当時の「ハコダテ150」に写真を初投稿しました。最近あまり使わなくなったフィルム式一眼レフで撮影したものでした。その時、一眼レフで撮影したのは、フィルムで2本目という経験の浅さの状況で、こともあろうかネット上で公開してしまったのでした。今それらを見ると恥ずかしいほど、「ただ撮っているだけ」の写真でしたが、当時は構図だとか色合いだとか光の加減だとか全く考えずに、ただ他の人があまり撮っていないものを投稿しようとしていました。
ちょっと視点を変えると、面白い函館の写真が撮れるのではないか?それだけの気持ちでシャッターを押していたものでした。

どうしてこんな話を始めたかと言うと、冒頭の写真を撮った時に、これも自分が撮りたい正直な写真のひとつなのだな、と思ったからであります。単なるスナップ写真ですが、あと20年も経つと、どんな芸術的な写真よりも貴重になるかもしれない記録性を持った写真。そんな写真も、自分は撮りたいのだと、どこかで思っているわけです。
ただ、ちょっとだけ自画自賛すると、大門で撮影していながら、五稜郭タワーやその後ろの山々が、思ったより近くに見える。これはこれで面白い写真だと思っている次第であります。

さて、ここで前述の記念すべき投稿1作目の記念すべき写真をご覧になってみてください。
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当時はそのままカラーで投稿したのですが、今回白黒に変えてみました。主人公はもちろん弥生小学校です。こうやって見てみると、車さえなかったらけっこう面白い写真であったかもしれません。でも、今仮に昔の弥生小学校があって、同じ場所に自分が立ったとしても、違う写真を撮るのだろうな、きっと。

まぁ、人は時間とともに変わっていくのだから、撮る写真も変わるのも仕方ないが、今撮りたいのは、やっぱり人物写真なんだろう。人と背景がひとつとなって、初めて「表現」ができるような気がしてならない。例えば、手回しパイプオルガン製作者の谷目基さんを撮ったこの写真。
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これらは自分としてはけっこう好きです。

というわけで、今年はもっと人物写真を撮りたいと思いますので、男女問わずモデルになっていただける方を募集します。謝礼は昼食代くらいですが・・・・。
または、撮らせてくださいと声を掛けたら、どうかご協力ください。一生懸命撮りますので(笑)


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入舟漁港。

今日、ある場所のある場所の雪掻きをした。仕事関係の場所だ。休みが明けてから初めて雪掻きをする場所だった。
正月に比較的穏やかな天候が続いたせいか、表面の雪はすぐ掻けたが、その下に氷が顔を出した。そのその場所はお客様が歩く所だった。私はとっさにご年配者が歩いて転んだらたいへんだと、氷割りを始めた。だが、二つの問題があった。ひとつは、氷を割る道具が金属のスコップしかなかったこと。もうひとつは、決して氷の下を傷めてはいけない場所であるということだった。

そのため、私は金属スコップの側面で地道に、割るのではなく、叩いて氷を薄くする方向で作業を始めた。氷の下が多少傷付いてもいいのであれば、スコップの鉾先を使って氷を突き刺し、割れ目ができた所から地肌が見れるように、氷の下を掬い上げるようにして割っていけば、比較的短時間である程度の成果が得られるのだが、それは許されなかった。

結局、2時間もかけてやり、やっと滑らずに通れる道筋を作った。この間に、昔栄町に住んでいた時のことを想い出した。
その頃は単身者世帯が多いアパートに住んでいた。そのため、部屋は狭かった。だが、部屋から見える眺望は最高だった。角部屋だったおかげで、南側の窓からは函館山が見えた。西側の窓からは道路中央の緑地帯の木々と鳥が目に映った。夏には木々の上に花火が舞い上がった。

ところが、冬になると、単身者世帯のアパートの欠点に悩まされることが多くなった。それは、誰もが雪掻きをしないことだった。そのため、アパート前の歩道は他の家の前に比べて、特段の雪の盛り上がり方をしていた。つまり、通行人はアパートに差し掛かると、小さな雪の峠越えをしなければならなかったのだった。
その惨憺たる状況に、私は、仕事が休みの日は時間をたっぷりかけて雪掻きをやった。その日も、たっぷり雪掻きをして、これだけやったのだから、もういいだろうと、自己満足に浸っていた。その時、私の部屋の下の階に一人で住んでいる70歳くらいのおばあちゃんがアパートから出て来た。すると、雪から顔を出した氷に滑って手を付いてしまったのだ。幸い転倒までには至らなかったが、そのシーンに私はヒヤッとした。そう、高齢者はちょっとした転倒でも簡単に骨折をするからだ。
一人暮らしのおばあちゃんが骨折したら、生活に困るだろう。

そのおばあちゃんとは日常的な会話をしたことがなかった。顔を合わせた時に挨拶をする程度だった。挨拶の時、おばあちゃんは品の良さそうな笑顔で応えてくれた。
来客は少ないようであったし、人知れずひっそりと静かに暮していた。自分の子供と思えるような来客も見たことがなかった。
どうして、ここで一人でいるのだろうか?
結局、自分が引っ越すまでそれを知ることができるよう会話をすることはなかった。傍から見ると、本当に孤独に思えた。だからこそ、おばあちゃんに怪我をしてはもらいたくなかった。

その時から、私は雪掻きだけではなく、氷割りもするようになった。これは雪掻きよりも手間のかかる作業だ。毎日作業ができるわけではなかったので、休日の一日で終わりそうもなかったら、せめて峠の傾斜をなだらかにするまでは頑張ってやった。

それは、誰のためでもなかった。ただ、おばあちゃんに怪我をして欲しくなかっただけだった。他の住人はどうでもよかった。だいたい、アパートの中で雪掻きをしていたのは私だけだった。他の単身者がやったのを見たのは(あるいは、やっただろうと思われるような雪の減り方があったのは)1回あったかどうかだった。
アパートの住人は、だいたいが若い人たちだったので、まぁそれも仕方ない、自分が困るだけだ(もちろん、私も困るが)と諦めるしかない。だが、高齢者を巻き添えにしてはいけない。その思いだけで、氷割りは春近くまで何度も行った。

アパートの住人の一部からは、いつもありがとう、助かります、とお礼を言われることがたまにあった。私は愛想笑いをして応えたが、内心「あんたのためではないよ」と常に思っていた。困るのであれば自分もやれ、と思っていた。私がやったのは、おばあちゃんのためだけだった。
みんながその思いで代わる代わるやれば、何ともないことだ。そして、みんなが喜ぶことができる。それが平和というものではないか?

私は特別なことをしたとは思っていない。今もその時も。だが、世の中はそうでもないのだ。そのアパートで、雪掻きをしない住人のひとりは、結局結婚と同時に家を建てて引っ越して行った。私が今住んでいるアパートの隣の部屋に住んでいた家族も、雪掻きをほとんどしなかったが、何ヶ月前に家を建てて引っ越して行った。

結局、世の中ってそんなものだ。だから、世の中はややこしくなってくるのだと思う。


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場所を本町に移し、二次会が行われましたが、ここに来ると、もうみんな顔は50代でも心は完全に18歳に戻っていました。
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でも、同期生と思わずに見ると、ちょっと濃い雰囲気も(笑)。そんな風に宴もたけなわになると、カラオケが始まった。
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竹内力が歌っているこの曲を作曲した本人が、ノリノリで熱唱。

そして、私はもうひとつの同窓会を行うために、二次会の途中で何人かと一緒に大門に移動。ここには、高校時代に一緒に音楽をやっていた悪友が待っていた。そして、中島みゆきとポプコン北海道代表を競って、その後ポカリスウェットのCMソングを歌った二人の、本当に久々のツーショットが実現しました。
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ここでは音楽談義に華が咲いていました。デイブ・メイソンは凄いとか、ボビー・コールドウェルが凄いとか、そういう意味でも濃い話が。

そして、同世代の方々に朗報が。この二人、60歳になったら再び私たちの前で「還暦ライブ」を行ってくれると約束してくれました。もちろんオリジナル曲で。その時は、みんなで最高の舞台を作って楽しみたいものですね。

そう、Waiting for you


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