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唐草館と青柳町叙景_a0158797_025577.jpg
この唐草館が喫茶店だった頃、帰省して来た親友とよく待ち合わせをした。
違う待ち合わせ場所を提案しても、友は必ずここにしようと言った。

そういう私もいつもアップルティーを注文していた。

友と話をしながら飲むアップルティーは格別に美味しかった。
伝統的建造物の指定を受けている日和坂の伊賀邸がどのように変わったか、ご紹介します。

まずは昨年撮影した1棟2戸の伊賀邸。
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次にご紹介するのは建替えた後の、つまり今の伊賀邸です。
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完全に分離した形となっており、日和坂側は店舗となっています。店の名前は「茶ろん 喜平」としてオープン準備を整えています。いつオープンするかはまだわかっていません。
また、その店内の一部が玄関からちょっと見えたので撮影しました。
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どうやら、2階席もあるようです。

ところで、伝統的建造物なのにこのように形状の異なった建替えはできるのでしょうか?
過日、季節を感じないという主旨のコメントを書いた。
それから何日後かに、泉谷しげるの『春夏秋冬』の歌詞を思い出した。

春夏秋冬_a0158797_22424566.jpg

「季節のない街に生まれ」

春夏秋冬_a0158797_22453154.jpg

「風のない丘に育ち」

春夏秋冬_a0158797_22464242.jpg

「夢のない家を出て」

春夏秋冬_a0158797_22495636.jpg

「愛のない人に会う」

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ
明治・大正が残る末広町の一角_a0158797_23535025.jpg
この建物の素晴しいところの一つに、後ろの自宅?まできれいに手入れしてあることがあげられます。
明治時代後期の写真を見ると、この末広町はこのような美しい建物が多く並んでおり、とても日本とは思えません。
明治・大正が残る末広町の一角_a0158797_0105845.jpg
これらも、よく残っていた!とおおいに讃えたいものです。
弁天町の小路_a0158797_21594512.jpg

高校卒業までの大部分をこの小路近辺で過ごしました。
もちろん、当時はこんなに車もなく、道路も舗装されていませんでした。
でも、それ以外はそんなに大きく変わっていない風景です。

あなたの函館の思い出の場所はどうですか?
(昨年7月撮影)
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末広町の街並。昨年6月撮影。

ホテルニューハコダテが閉館した。今わかっているのは閉館の事実だけだ。理由はわかっていない。
オーナーが大袈裟にしたくないという意向を持っているようだが、それゆえに余計にこの建物の今後を考えてしまう。

ひよっとしてこの重厚な建物が無くなってしまうのか?違った使い方をするだけなのか?
弥生小学校のことがあるだけに考えるなというのは難しい。

しかし、これは民間企業のことであるので、弥生小学校のように批判はできない。ただ願うのみだ。
それでもやはり公有施設の耐震調査が進む中、敏感にならざるをえない。

例えば旧函館市立図書館もそうだ。(昨年4月撮影)
イカール星人は函館在住者?_a0158797_2220412.jpg

この建物には言葉で表せない重みと静寂さがある。中央図書館の機能性しか知らない人には、この図書館で一歩ずつ歩む時に肌に感じる厳粛な空気の流れはわからないと思う。学ぶということはとてもストイックな行為であり、君に本当に学ぶ気があるのか?と問い質されているような空気だ。

それは、やはり重厚な存在感のあるもののみから発せられるオーラだ。

それをいとも簡単に壊そうとするイカール星人は、宇宙からやって来たのではなく、もともと函館にいたのだと思えて仕方ない。
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現在建築中の大町の賃貸マンション。

その方、K氏と出会ったのは約7年前、仕事の関係でご挨拶するためだった。その時既に80歳を過ぎていたが、話してみると感性は私よりずっと若かった。
K氏は元銀行マンだったのだが、退職する時に知人からススキノにある飲食店ビルを引き取ってくれないかとの相談を受けた。K氏は迷ったが、銀行マンとしての分析と経営試算と最後には「困ったけれど、まぁやってみるか」というチャレンジ心で引き受けることにした。これが彼の賃貸経営者としてのスタートだった。

飲食店ビルの経営状態は決して良くなかった。そこで彼はまず玄関の改装から手を付けた。K氏によるとその玄関は狭く風水上でも決して栄えることのない造りだったとのことで、玄関の向きを変えホールを大きくした。その他細かな所に手を加えると、次第に滞納ぎみだった賃料がきちんと納められ始めた。「きちんと家賃が納められるということは、商売が順調だということ。それは店子さんたちにとってもいいことなのです」と、K氏は言った。確かに私もそのビルの何軒かのスナックに行ったことがあるが、ビル内は古さは仕方ないとしても飲食店ビルにありがちな汚さ・暗さはなかった。

このビルの再生に成功したK氏は、その後札幌市内に賃貸マンションを持つことになる。その中で最も新しいマンションに彼は住み、私はその1階で面会したのだった。

そのマンションは当時の賃貸用建物としては考えられない要素を持つものだった。まず、管理人の常駐。彼は不動産管理会社も経営しており、そこが管理という形で賃貸としては珍しい常駐を実現させた。そして、立地。そのマンションは札幌では、誰もが住みたいけど一部の人しか住めない高級住宅街、地下鉄「円山公園駅」の徒歩圏にあった。K氏は、これは重要だと言った。次に大手ゼネコンで建築させた。デザインは高級住宅を多く手掛けている設計事務所に発注した。そして、極めつけは可変性のある設計にしたことである。

普通、鉄筋コンクリートのマンションは間取変更や配管の変更を行おうとすると、多大なる手間と金がかかる。堅固である故の欠点であるのだが、彼はそれを容易にした。
まず、部屋の配列を2LDK・1LDK・2LDKの順に交互にした。そして、時代の変化で1DKのニーズが無くなった時に、1LDKを二つに分け、両側の2LDKに組み込むことによって3LDKが生まれ変わらせることができる。これで一人当たりの居住床面積が年々増加しているトレンドが続いても充分対応できる。その際、床下の配管を組み替えなければならなくなる。そのために、階と階の間に60㎝の人が作業できるスペースを作った。これは、現在の「長期優良住宅」の基準に適合する方式だ。
つまり、K氏は今から10年も前に既に将来を見据えた建物を建築していたことになる。

この建物ははっきり言って金がかかりすぎている。前回までに述べた収益性とは正反対の発想だ。収益性を考えるなら、建築費・維持費は低い方がいいに決まっている。
どうしてそんなことをしたのか、私は尋ねた。

「建物に入居している人の家賃で食べているのですから、建物を愛して大切にしようとしているのです」

K氏は優しく笑ってそう答えた。K氏には私などには想像できないほどの金がある。しかし、金持ちのおごりは全く見せない。息子より若い私に身を低く、色々不動産の現状について尋ねてくる。80歳を過ぎてもまだ勉強したいのだ。とんでもない。勉強させてもらったのはこっちの方だ。こんな素晴しい言葉を話す人に出会えただけで私は幸せだ。神に感謝したいくらいだ。ちなみに、そのマンションは空室期間が殆ど無いそうだ。

さて、写真の建築中の賃貸マンションだが、施工している会社のHPを拝見すると、外張断熱施工等工法に工夫を加えているようだが、外観はパースを見る限りでは「あぁ、よくある鉄筋マンションだな」と思えるものでしかない。せっかく歴史的価値のある建物の間に建てるのだから街並に溶け込む外観も有してほしい。
少々金がかかったとしても、本当の収益性は長く入居が絶えないことから生まれてくるのだから。函館にはこのことを証明する建物が多くある。
賃貸物件と街並(数字に迷走する街)_a0158797_21565965.jpg
大正10年築の旧目貫商店(現北斗ビルディング)。賃貸物件としてまだまだ現役だ。

さて、利回りの話の続きだ。前回投資額とした5000万円だが、これは定期預金で言うと元本(預金額)である。そして、利回りとは元本が変動しないとしての収益割合である。つまり、土地建物そのものが何年経っても5000万円で売却できるという前提でしか成り立たない数字なのだ。
これはバブルまでは通用した。土地神話があったからだ。建物は年数が経つと価値が目減りするが、その分だけ地価が上昇すると当初の取得費(元本)は変わらない。賃料収入全てが収益となる。

ところが、バブル崩壊後地価は下落した。建物は年数とともに価値は下がる。つまり、元本がマイナスになるのだ。仮に築10年で売却することにしたとする。評価は今の土地の下落率他を勘案すると良くて3000万円くらいで売れるかどうかだ。これで元本は-2000万円減っている。その間の賃料収入は1年600万円として10年で6000万円となるが、既に元本が2000万円目減りしているため、10年間の収益は4000万円となる計算だ。これで利回りを出すと、年12%が8%にまで下がってしまう。

またまたところがだ、今までの数字は説明しやすくするために単純計算したもので、実際には税金支出・メンテナンス費用・空室損失といったマイナス要素が伴う。それらを引くと利回りはもっと下がる。この要素を加えて現実的な収益率を計算するDCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)という計算方法もあるが、空室率やメンテナンス費用の設定の仕方でいくらでも収益率が変わるので信用できるというまでには至っていない。
話を戻すが、空室率が高くなり収入が減り、収益物件としての価値も下がると元本はより減って実質的利回りは5%以下になる。それも売りたい時に売れればの話だ。実際、収益性が悪くなり所有していることに魅力を失ったオーナーが売却を考えるケースが多い。ところが、そんな収益力のない物件を買う投資家はいない。そして邪魔物を処分するかのごとく建物を解体して土地として売却する。そうなると賃貸物件をずっと所有しても結局たいして儲からなかった、という落ちになる。

そんな経過の中でオーナーが考えるのが、メンテナンスをしないこと。つまり放ったらかしで、階段等の金属部分が錆びようが、外壁の塗装が剥がれようが一切手を付けず、ただ収入だけを考える。これでみすぼらしいAP・MSの誕生だ。そんな物件に誰も高い家賃を出して入居しようとはしない。だから、家賃を下げる。その家賃で新たに入居する者には部屋や玄関を綺麗にしない人間が多い。建物やその周辺は乱雑になる。それは街並の雰囲気にも影響する。

これが、目先の金の計算だけで安易に賃貸経営を行った時の結末だ。

このような見方で街を歩いてみると、私の言っている意味がわかってもらえると思う。
その反面写真の建物のように、古くなっても現役の賃貸物件として人気があるものもある。どうしてなのか?
次回は、札幌で出会った賃貸経営の鑑と呼べる素晴しい方の話をする。
賃貸物件と街並(余剰金の行方)_a0158797_229526.jpg
歴史的な建物の間にある空地。今ここに5階建の賃貸マンションが建築中である。

賃貸アパート・マンションは供給過剰である。このことは、いつも新聞を隅から隅まで読んでいる人ならわかるはずだ。なぜこのようなことが起こるのか。その理由は大きく分けて二つある。
まず一つ目は、いくら不景気と言っても金はあるところにはあるからだ。何しろ貯蓄残高世界一の日本である。その運用先を探している人間がごまんといる。その人間が、『リスクが少なく収益があがって資産も残せるもの』として賃貸経営に乗り出すから。しかし、これは大昔の考え方である。このことについては後述する。
二つ目は、そういう者が作った新しい賃貸物件に入居者が入ると、自動的に古い物件から入居者が減り、おまけに賃借人の主流を占める若年層の人口が減っているから。
つまり、年々賃貸物件の総数は増加するが、それを借りる人間が減っているため、結果として供給過剰となるのである。

これは特別な知識や分析力が無くとも、街を見渡して新聞で時折発表される人口関係の記事を読むとだれでも推測できることだ。では、なぜそれでも新しい賃貸物件が建つのか?それは、数字に囚われてしまった「自分だけは失敗はしない」と思った人間がより金を増やしたくて建てていることが多い。

賃貸運営に欠かせない数字に利回りというものがある。これは、投資した金に対してどれだけ手元に余剰金が入ってくるかという数字のことだ。AP・MSの場合、土地建物と諸費用を合計した金額、これが投資額だ。それに対して1年間の総賃料収入の割合が利回りとなる。例えば総額5000万円で取得したAPで年間収入600万円あったとしたら、利回りは12%になる。定期預金しても年1%にも満たない金利と比較するととんでもない差だ。ところがそうはいかないのが賃貸経営だ。

この続きは次回とするが、どうしてこんな面倒くさい話を始めたかと言うと、これが街並に関係してくるからだ。新しいものが作られると、同時に古いものが残る。残ったものが再利用されればまだマシだが、それができなければただ廃れるだけであり、街並に影響を与えるだけだからだ。
格式のある質店_a0158797_2241270.jpg
十字街の質店です。昔は人目をはばかるように小路を歩いて行った場所が、今ではきちんと駐車場まであります。質店を隠すはずの建物が解体されたことによるものですが、そのお陰で質店のどっしりと落ち着いた建物を簡単に見ることができます。
それがいいことなのか、悪いことなのか、わかりません。(撮影:昨年9月)