タグ:叙情 ( 305 ) タグの人気記事

再び「赤いブルドッグ」_a0158797_23490270.jpg



「赤いブルドッグ」


沙耶子は日傘を肩に掛け ワンピースのスカートの裾がめくれていた
子供が笑い ガードレールが曲がり 傘には汗が降ってきた
門番が お嬢さん、とまで言い 口をつむぐ
ドブから這い出たカメラマンは 太陽にレンズを向けて曰く
駄目だ ストロボが届かない
すぐ近くの元町の坂を 赤いブルドッグが駆け下りていく

沙耶子は傘を捨て スプーンをオールにして 大森浜から沖へ向かう
老婆は涙ぐみ ご飯仕度がなければ 私も行くのにと悔やむ
監視員が叫ぶ 近海で人間を密漁してはいけない
馬搬送車の運転手は 慌てて幌を密封するが幌は透明だ
いいかい旦那 ちょっと聞きなよ
この街のテトラポットは 赤いブルドッグの骨でできているんだぜ

沙耶子は結局泳ぎ 暖かい川が流れる岸に着くと鎮痛剤を飲む
ベルボーイが迎え チップをくれるか 服を引きちぎられるか
どっちなんだと心で思い 笑顔で沙耶子を担いでいく
コーヒーサーバーを首からぶら下げた 市議会議員は
いいんだぞ これに金を入れても
大丈夫だ心配するな 赤いブルドッグには気づかれやしないから

沙耶子は星の形をした 公園に搬送され 櫓で鐘を叩く
布団に包まった男は 転がりながら叫ぶ ゴジラが降って来る
慌てて警官が男の口を塞ぎ 気持ちはわかるがなと言う
壊れたガラス窓から 少女が顔を出し 血みどろの笑顔で
花瓶を放り投げ 両手を叩いて喜ぶ
すると少女の背中から 赤いブルドッグが走り去って行った

沙耶子はパジャマに着替え 東の山に三段跳びで登っていく
牛の背中から吹く風は くびれを舐めて 東の山で渦を巻く
風は人が息をする度に 色は七変化 針まで飛ばす
町内会長は 市役所の年金相談員に抗議する 何とかしろ
困ったわ では はっきり言うけど
何でもかんでも全部 赤いブルドッグのせいなんですよ 





いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

ブログ開設10周年(3) ~ アクセス数と自分_a0158797_22435645.jpg

前回述べましたように、これからどうなって行くのか、何年やるのかわからないまま始めたこのブログですが、ひとつの転機がやってまいりました。それは、当時函館からとても面白いメンバーが函館の「今」を発信している「ハコダテ150」というサイトに関連したことであります。このサイトは函館開港150周年を迎えた函館を(たぶん)日本中にインターネットという手段を通じて函館の姿を伝えていたことにとてつもない面白さとそのサイトがもたらすムーヴメントに共鳴して、その中のコンテンツにあった写真投稿にいくつもの写真をコメントを添えて投稿していました。
しかし、このサイトもあくまで開港150周年の事業として行っていたため、その年が終わるとともにサイトもいったん閉鎖されました。しかし、せっかく集まった面白いメンバーのパワーを途絶えるのはもったいない、というかたぶんまだ燃え尽きていなかったのでしょう、新たに「ハコダテ150+」というサイトを起ち上げようという情報を入手したため、当時のメンバーの方を通じて是非参加させていただきたい旨を伝えました。そして、そのサイトの主宰者の「面接」を経て、新しいサイトのメンバーに加えていただきました。メンバーに加わって、早速色々な函館の出来事・歴史・イベントなどを「記者」として記事を投稿するようになりました。つまり、何かの情報を得て、それを調査したり取材したりして記事にまとめ、サイトにアップし、その後にその日のブログの記事も書くという、(本来の仕事をやりながら)今では到底考えられない離れ業をやっていました。有志による自主的運営サイトである「ハコダテ150+」に記事を投稿しても全くお金にはなりませんでしたし、もちろんこのブログも全くお金にはなりません。そんになことをやることが可能だったのは、今自分が伝えることができる函館を誰かに知ってもらいたいからという気持ちからのみのだったように記憶しています。

また、そのサイトメンバーの参加資格に、自分のブログを持っていてそれなりの内容でそれなりに更新頻度が高い者というのがあり、各自が自分のブログを更新するとそのサイトのメンバーブログ一欄みたいなものに自動的に更新された表示がされる仕組みになっていました。メンバーのどのブログも面白く、私もそれに肩を並べようと懸命に記事を更新していました。
そのサイトは訪問者が非常に多く、その流れで私のブログもたくさんの方々に読まれるようになり、アクセス数は急激に増加しました。すると私もどこにでもいる浅ましい人間ですので、もっとたくさん読んでほしいという欲が出て、「日本ブログ村」というランキングに参加してアクセス数をより増加させたいとしました。すると、そのうち、ブログ村経由のアクセスも増え、ついに「in」つまりブログからブログ村に入って行く数と、「out」ブログ村から個人のブログにアクセスされた数の両方が、「函館情報」カテゴリーで1位になったこともありました。それに伴って、私が利用しているexciteブログの「写真」部門でトップ10に入ることもしばしありました。これは全国での順位です。

さあ、そんな風になると私も浅ましい人間ですから、もっと強烈な記事を書こうとか、人受けされやすい記事を書こうとかして何とか1位ないし上位を維持しようと、よせばいいのに無理やり自らの理念を脱した記事を書き続けた期間もありました。また、訪問者数が増えると、様々な方からのコメントをいただくようになり、それが必ずしも好意的ではなく、痛烈な批判を伴ったもの、面白おかしく上げ足をとったようなコメントなどで炎上したこともしばしありました。
そのようなコメントにも真摯に答えていましたのですが、さすがにひどい、ただ攻撃性だけしか感じないコメントが絶えなかったため、読者からのコメントを承認制にいたしましたところ、コメント数は激減しました、しかし、たまたまその頃、「ハコダテ150+」も記事数の減少により、サイト維持の目的が希少となり、閉鎖することが決まりました。そんな時期を経て、次第に閲覧数も減少し、「ブログ村」の順位を落とし始めることになりました。ちょうどその頃私自身も、当初の函館歩き調べ人から情報を得て記事にするという方式から、より自分の内面的な内容の記事に移行を始めた時期でもありました。

自分がランキングの上位にいることにそれほどの関心も持たなくなり、ただ「いったい自分は何を伝えたいのか」というものに向き合うことが多くなりました。
多くの人々は、函館の情報を入手したくてご覧になっているのですから、私の個人的な感傷や考えなどどうでもいいのは理解していました。ですが、無理までして「受け狙いの」記事を書くつもりはなく、上位とは言えない位置にランキングしています。それはそれで十分だと思います。
今の私が望んでいるのは、ちょっとした情報を得るための手段として見られるブログになることではなく、ちきんと函館を考えて読んでくださる人にだけ読んでいただければいい、そのためにしつこく気が付けば10年も続けてしまったというのが正直なところです。

このブログのタイトルは「I shall be released」というBob Dylanの曲のタイトルを借用させていただきました。それには意味がありました。このインターネットという世界で、どれだけ自分を解き放つことができるのか、その実験をこのブログで自分で実行しようとしたわけです。
今では、ブログを毎日更新しなければならないという抑圧から解き放つために、更新を頻度を下げるようにしています。都合よく解釈していますが、どちらも「I shall be released」なのであります。

さて、今までがそうであったようにこれからも先がどうなるかはわかりませんが、自分がもういいや、やめようと判断をするまではこのブログは続けてしまうと思います。このブログの影響かどうかはわかりませんが、かつては観光客がせいぜい電停でいうと末広町までくらいのエリアしか歩いていなかったのに、「大町」や「函館どつく前」まで足を伸ばしている方々を散見します。

そんな大袈裟なものではなくても、かつて「ハコダテ150+」が実現したムーヴメントを再び起したいと密かに胸の中で描いています。
きっとそれが効力のある形である程度の年数続けることができ、それを継ぐ若い人たちが活躍できる環境が整ったら、私はこのブログを静かに閉じたいと考えています。
さて、それはいったい何年後のことになるのでしょうか?SNSには限度がありますし、常に出てはいつしか忘れているのがSNSです。
今でも、過去の記事で描いたことを覚えて、あるいは遡ってご覧になって、私が発した言葉に共鳴をいただいてくださる方がいらっしゃいます。それが可能なのがブログです。

この「記録」を私がもうその必要がないだろうと判断する時まで、よろしかったらそれまでお付き合いいただける方はお付き合いください。






いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

ブログ開設10周年(2) ~ ブログやって思ったこと_a0158797_22095211.jpg

そんなわけで先のことなど深く考えずにこのブログを開始したわけですが、当然の如く、当初はほとんどアクセスがありませんでした。
既知の方々にちょっとお知らせしたぐらいで、そもそも宣伝などもできるわけでもなく、「いったい誰に読まれるのだろう?」という暗中模索のような中、ただただ自分が決めたルールを守って記事を書いていました。

そのルールとは、
1.毎日更新すること。
 現在では、体力的にそれはかなっていませんが、当初何年かはほぼ毎日記事を更新していました。よく人からあんな長文を毎日書けるねと言われましたが、PCに向かうとまるで泉のように文章が湧いて来て、止まりませんでした。何かの課題について書き始めた以上、ひとつの帰結まで至らない文章ではいけない。そういう考えで、誰が読むかわからない文章も黙々と書き続けてまいりました。

2.ブログ上の人格を統一すること。
 ネットで匿名やハンドルネームで発信する時、人によってはその匿名性を利用して、あるいはいくつかのアカウントを作り、通常では人に言えないこと、または人を誹謗中傷すること、あるいは自分を美化したことを発信したりすることは容易にできます。そうです。ネット上ではその発信者は「想像上の人物」でしかないのですから、どんな「自分」にもなることができます。しかし、それをやってしまったら、読んでいる人はいずれ「何だ、こいつはおかしい」と気付くことになるでしょう。そんなに人は愚かではないし、いずれ自分がネット上のどこかに逃げるか、あるいはまったく発信しなくなったりするしかなくなってしまうと思いました。ですから、私は表現方法は変えることがあっても、その時に考えていたことや気持ちなどを正直に発信することに努めました。それによって「実在する想像上の人物」になりえるだろうと信じていました。これは、とても大切なことだと思っていました。私たちはインターネットによって、自由な発言をできるチャンスを与えられたわけです。こんな自由で機会平等なシステムは今までありません。自由で平等だからこそ、自分を律しなければ、いずれ混乱の渦に巻き込まれてしまう。そう考えていましたし、正直に話さない人間の文章には誰も魅力を感じないだろうと考えたからです。

3.個人攻撃は行わない。
 これも自分を律するために決めたことであります。人間生きていれば面白くないこともたくさん経験します。不快に感じる相手ともそりゃぁかなり出会うことでしょう。ですが、そこでいちいち個人名や店名を晒して攻撃するようなことは決して書かないことにしようと決めていました。そんなことをしても、自らが汚く落ちて行くだけだと思っておりましたし、何よりもそんなことをしても決して面白いブログにはならないだろうという想像ができていました。ただし、ひとつだけ例外がありました。それは、二十間坂のある自由の女神問題の時でした。さすがに函館市内でも、この問題は関心を集められ、実名も報道されていることから、私も店名・社長の名前を示して批判しました。ですが、たぶんこの1回だけだと思います。これ以外は、ちとえ誰か特定の人物なり会社なり団体なりを頭に描きながらも実名は挙げずに一般論的な問題という形で表現していました。

そんな自分のルールをきちんと思っても、それは相手にすぐ伝わるわけでもなく、アクセス数はパッとしませんでした。
ところが、転機が訪れて来ました。





いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

ブログ開設10周年(1) ~ なぜブログを始めたか_a0158797_00402338.jpg

もうすぐこのブログを始めて丸10年となります。
最初始めた頃は、まさか10年もしがみついて(笑)ブログを続けているとは思いませんでした。
続けても3年か、せいぜい長くても5年やっていれば自分でも上出来だと思っていました。それが10年続ける(続けてしまう)なんてその頃は考えもしませんでした。

では、そんなブログをなぜ始めたのか?
ここで簡単に記してみます。
函館に戻って来て、職に就いて2か月ほどたった頃、仕事も始めたこともあり、いよいよ函館定住の仕組が出来上がった頃、以前から拝見していた函館のブロガーのような記事を書いて、ますます函館市民としての立場から何かお話をできるのではないかという気持ちになったこと。
インターネットという媒介は間近な知人と話をするのとは別の事柄を自ら選択して話すことができ、それも日本はもちろんのこと、世界中に発信できることができるとても便利なツールであります。つまり(読まれるかどうかは別として)私の書いた文章が世界中で読まれる可能性があるということを知りました。だから、私はPCの画面の奥に広がる「世界」を意識して書いていました。どんなローカルな話題だとしても、少しくらいは共鳴してくれる人もいるのではないかという気持ちで書き始めました。また、それまでは「一般市民」という特定の誰かしか世の中に対して発言できなかったのが現実でしたが、インターネットという世界は誰でもその気になれば自分の考えを発信できる、本当の「民主的な」ツールであると知ったからでもあります。こんな便利で素晴らしいものを使わない手はない。私はインターネットという道具を使い、自分の考えを不特定多数(多数になるかどうかはわからないけれど)の方々に向かって話し始めました。

また、自分が素敵だと思った函館の姿を写真で表現してみたいとも考えていました。ですから、時間さえあれば首からカメラをぶら下げて西部地区を中心に歩き回りました。それはもう、とても新鮮で、奥行きがあり、味があり、切なさもあり、哀しさもあり、においもあり、光もある素晴らしい函館の「姿」を伝えたい。それもブログを始めた理由のひとつです。

その他の理由もあります。それは以前だいぶ前に書いたような記憶がありますが、ここで改めて書こうとは思いません。ただひとつだけお伝えできるのは、写真がその時のその光景を記録するのと同じように、「自分」という人間を記録できると考えたのも確かです。ですから、画面の右にある「以前の記事」は開始からずっと連なるように(設定によっては過去何年まで表記というできるが)記録の目次を設けました。

そんなこんなで、2010年1月10日このブログは静かに船出をさせました。どこの誰がご覧になるか、どれだけの数の方々が見てくださるのかもまったく見当もつかず、ともかくインターネットという大海原に出てみようと思ったわけです。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

神はなぜ人に死ぬ間際に苦しみを与えるのだろうか?_a0158797_00275083.jpg

ここで言う神とは、何かの宗教が定義する神ではなく、人の運命を握っている姿が見えない誰かという存在のです。
そういう「神」が存在するのかどうかも疑問なのですが、穏やかに静かにこの世の幕を閉じるかのように逝く人と、壮絶な苦しみを経験して亡くなる方もいらっしゃいます。
なぜそんな差ができるのか?

もちろん肉体という物理的なものに起因することは当たり前過ぎる話であり、あるいは事故や災害や争いによって死ぬのもそれが運命なのだからと言ってしまえばそれまでです。
死がいつ自分や家族や友人の身に覆い被さって来るのか、それは「長い時間をかけた穏やかな死」以外は誰にもわかりません。
昨日まで元気に生活をしていた人が突然何かの病気や事故あるいは争いに巻き込まれて死ぬということもあります。また、特にガンなどの多くの苦しみを伴いながら最期を迎えるという場合もあります。そんな時、その人はどんな思いで息をひきとるのか、経験したことのない私にはよくわかりません。

20代前半の若かった頃、ある日寝ていたら夢を見ました。その夢の中で、私はなぜか鳥になっていました。空を飛ぶというのはいくら夢とはいえ、気分のいいものでした。そして下を見下ろすと、動物たちや人間たちがたくさん動いていました。「あぁ、色々な生き物が地上にはいるのだな」鳥としての私はそう思いました。そんなことを考えている時、ある人間が私に向かって矢を放ちました。その矢は見事に私の体に突き刺さり、体から血が流れ、全身が思うように動かすことができなくなり失速した私は地面に向かって急降下を始めました。
「あぁ、自分はこのままだと死んでしまうんだな」夢の中でその実感を得ました。もちろん今となっては疑似的なものに違いありませんが、すーと意識が薄くなるような気がして、やっぱり死ぬんだ、と急降下の中で感じました。そして地面がかなり目前に迫った時、私は目を覚ましました。

鳥である私が急降下しなければならない状況を作ったのは人間でした。ライオンでもキリンでも鷹でも鷲でもなく人間だったのです。

さて、人間の死とは何なんでしょう。ひょっとしたら、人間に考える能力が付帯されたから、人間には考えることでしか判断できくなったのかもしれません。だから肉体的苦痛に加えて精神的苦痛を経験して死を迎える人もあるのかもしれません。

しかし、どう考えたって実際に死んだことがないので、結論は出ません。だから生きている者として神はなぜ人に死ぬ間際に苦しみを与えるのだろうか、という疑問を持ってしまいます。
いずれにせよ、ひとつだけ言えることは、考えるという能力に秀でたとされる人間には、他の生物では考えなくてもいいことを考えてしまうでしょう。
そのように思考を進めて行くと、「これからどう残された時間を生きて行くのか」ということと「どのように死んで行きべきなのか」という両極端な考えが交錯してしまいます。
あなたは「どう生きて行くのか」と「どう死んで行くのか」のどちらを考えてしまう題プなのでしょうか?




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

後ろ姿の母_a0158797_22465083.jpg


昨日、親しくお付き合いをしていただいている方から、その方のお母様が無くなったとの報せを受けた。
そして、即日私の母の介護認定の通知書が私の元に届いた。

以前から書こうと思っていた私の母のことについて少しだけ話します。

私の幼少期は他の子供たちに比べて体格はいい方だった。だからもし喧嘩をしたとしても1対1であればけっこう勝っていました。そのためか、喧嘩をしたら勝つことが明らかにわかる子供には私の方からは手を出さなくなりました。勝つとわかっている相手と喧嘩をしても何も得るものはなく、ただ相手を傷付けてしまうだけだからです。
ところが、なぜか私は上級生を交えた複数の子供たちからいじめを受けていた。その原因は、私が相手の年齢に関係なく、自分が正しいと思えば批判し主張したからだった。面白くない複数の子供は寄ってたかって私を袋叩きにしようとした。もちろん私もだまって攻撃を受けてばかりいるわけにはいかない。反撃したいのだが、そこには自分より体格のいい上級生が複数いる。多勢に無勢。やられるばかりだった。
そこで、私は手の近くにあった小石を摑んでそれぞれの相手に向かって投げた。それで相手方は逃げ、私としてはやっと複数からの暴力から解放されることになった。

家に帰ると、さすがに腕や足や顔に傷がつき、誰が見てもやられたということがわかるような状態だった。しかし、母は私に対して「誰と喧嘩して怪我したの?」などということはいっさい口にしなかった。もちろん私からもこんなに事があったなどということは口が裂けても言うつもりはなかった。すると少ししてから、私が投げた小石で怪我をした(と言っても私よりも被害ははるかに小さかったはず)本人とその母親が私の自宅にやって来た。
その母親は私の母に対して「おたくの息子がうちの子供に石投げてけがをさせた」というクレームだった。私の母はひたすら謝った。申し訳ありません、と何度も言った。私は内心そんなに謝る必要はないだろう、そもそも複数で暴力をしかけてきたのはそっちの方じゃないか、と思ったが口には出さなかった。やがてその親子が帰り、母と二人きりになった時、私は叱られると観念していた。だが、母は何も言わず台所仕事をしていた。

母はどういう心境だったのだろうか?それはわからないが、この出来事の場面は現在でも鮮明に覚えている。なぜなら叱られなかったことで私は何か救われたような気がしたからだ。叱られていたなら、私はひょっとしたらその男の子に仕返しをしたかもしれない。それを留めさせてくれたのは、母が何も言わなかったからだ。

小学校2年生の時、図工の授業で、「私のお母さん」というテーマで絵を描くことがあった。私はその時、台所仕事をしている母の後ろ姿を描いた。それが後日ボー二森屋の階段の壁に他の制度の絵と一緒に貼られてあった。コンテストでもないが、全生徒のものでもなかった。どういう基準で貼り出されたのかはわからなかった。それはともかく、その時ボーニ森屋で展示された「私のお母さん」の絵で、母親の後ろ姿を描いたのは私だけだった。

どうして私は母の後ろ姿を描いたのか、自分でもその理由は今でもわからない。

その母の介護認定通知書が昨日届いた。アルツハイマー型認知症。今まで心配をかけながら手助けをしてくれた母に、今、私は自分ができることをやっている。
人には、それぞれ母に対する忘れようがない思い出や、思い入れを持っているだろう。それには善悪もなく、優劣もなく、ただ家族としての貴重な場面を脳内で記録したものだ。誰かに話してもきっとうまく想い出の強さは伝わらないだろう。

昨日、親しくお付き合いをしていただいている方から、その方のお母様が無くなったとの報せを受けた。
そして、昨日私の母の介護認定の通知書が私の元に届いた。

昨日、凍えるような寒さの空から函館に初雪が降った。
そして、私たちの日々は生きている限り続いて行く。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

MARK珈琲倶楽部~One more cup of coffee_a0158797_00100738.jpg

ホテルで部屋を出る仕度をしている時からなにか調子が優れなかった。
何か片付け方がちぐはぐだった。いつものゆったりしたホテルの朝のシーンがそこにはない。別に既定のチェックアウト時間には2時間近く余裕があったのだが、何か落ち着かず、バッグへのしまい忘れがないか何度もチェックを重ねて、やっと身支度を整え、チェックアウトした。

MARK珈琲倶楽部~One more cup of coffee_a0158797_00392007.jpg

ホテルを出て、とりあえずJR札幌駅周辺を歩いたが、どうも体のだるさは去ってくれなかった。
では休息しよう。そう考えネットで調べて選んだのが「MARK珈琲倶楽部」だった。アスティ45のビルの4階にある「喫煙可」の喫茶店だ。

MARK珈琲倶楽部~One more cup of coffee_a0158797_00463079.jpg

そして店に入ったのはいいが、誰もいない。誰もいないというのは客だけのことではない。お店の人もいなかった。でも、営業中である雰囲気はほぼ100%あったので(店主さんが倒れて救急車で運ばれた後ということも考えられるが)、とりあえずこの辺りがいいという席に腰を下ろし、「すみませーん」とちょっと大きな声で呼んでみたけれど、しばらく反応はなかった。
結局はしばらくして店主さんが現れたのだが、それまでの音楽も人も何もない空っぽの時間がなぜか心地良かった。どうしてだろうと考えたがよくわからなかった。
その後、コロンビアを注文し、店主さんと他愛もない話をした。どうやらこのお店はアスティ45がオープンした時から営業を続け今年で31年ほど経っているという。
それは素晴らしいことだ。その話を聞いてさっきの心地良さが理解できた。典型的なその当時の喫茶店なのだが、31年続けることができる何かを感じさせてくれる。それは私の場合は心地良さだった。
喫煙できるからではない。非喫煙者でもこの心地良さはきっと理解できるだろう。そんな佇まいがあった。

MARK珈琲倶楽部~One more cup of coffee_a0158797_00073997.jpg

その空間を構成しているパーツのひとつがこの絵だった。かつて札幌で活躍した女性画家の大学生時代の習作だということなのだが、構図がとてもいい。そして線の崩れ方が面白かった。

そんな時間を1時間弱過ごし店を後にしたら、それまでの体のだるさは無くなっていた。

やはり珈琲をいいお店で飲むのは何かを変えてくれるものだ。若い頃金がなくて珈琲1杯で2時間3時間粘っていた時、夢だけは大きくあった。それだけで何かができるような気がしていた。たった1杯の珈琲を媒介にして、いや、そのお店が許してくれるだろうという空気感の中で、結局は完成しなかった小説を書いていた。
夢なら今でもまだ持っている。それが実現できるかどうかはわからないが、1杯の珈琲を飲んでいる間に夢は頭の中を巡る。

さぁ、もう1杯珈琲を飲もう。
函館行きの特急列車に乗る前に、駅構内で買ったテイクアウト珈琲を持ち、ホームに向かった時、Bob Dylanの「One more cup of coffee」が頭の中で流れていた。
「さぁ、谷に降りるのだ」と。






いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

たまにはナルシスト_a0158797_23265325.jpg

札幌・クロスホテルにて

たまにはナルシスト_a0158797_23280520.jpg

たまにはナルシスト_a0158797_23284297.jpg

このシャンプー・コンディショナー・ボディソープのブランドは北海道ではここが初めての導入だそう。

たまにはナルシスト_a0158797_23312468.jpg

ルームサービスをオーダーをしたわけではなく、最初からお部屋代に入っていたウェルカムスパークリングワイン。グラスは一個しか使用しなかった。

たまにはナルシスト_a0158797_23352878.jpg

窓からはテレビ塔が。左手の建物は放送局が入っているビルディング。

たまにはナルシスト_a0158797_23384346.jpg

ホテルに着いてから、翌朝チェックアウトするまで、外出したのは結局コンビニにパスタを買いに行った時だけ。
ウェルカムスパークリングワインを飲んだせいで、お目当ての店まで歩いて行くのが面倒になっただけなのだが、まぁ、たまにはこんな旅もいいものでしよう。
クロスホテルは室内のライトの選択によって、雰囲気がいろいろ変る。

ナルシストになるにはもってこいの部屋だ。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

光のある方向へ歩きたい_a0158797_23400503.jpg

陽射しはいつも気まぐれだ。
くもって全く届かないこともあるし
陽射しが届いてもほんのわずかな時間の子ともある。また、逆に運よく日当たりのいい場所にいることができたら、目いっぱい陽射しを受けることができる。

普段は機転を利かすことのできない植物でさえ、限られた範囲で光を求めて自らの姿を変えることがある。
でも、私たちは光を求めて歩いて行くことができる。

光が差した時、ただ今日はちょっとラッキーと思うか、それとも自分の道標を指してくれているのかと、どちらを思うだろうか?
特に日影にずっといたものにとっては、一歩な陽射しは、希望へと続く道標に感じるだろう。

陽が当たらない時はじっと耐え、一筋の陽射しが見えたら、真直ぐ向って行く。
その陽射しの先を信じて。

光のある方向へ歩きたい_a0158797_00143286.jpg

すると違う世界が必ず見えてくる。
ずっと日影にしか住めないんだと諦めていた者には、その光をかなた遠くのものに感じるだろう。
でも光の方向に歩いて行くと、必ず違うものが見えてくるはずだ。


私は、光のある方向に歩いて行きたい。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

ジュークボックスおじさん_a0158797_22461868.jpg


これを見なければ、いゃ、乱入しなければ夏が来ないという気持ちにまでなった毎年恒例の「はこだて国際民俗芸術祭」に、毎年ほぼ定位置に陣取っているのがジュークボックスおじさんだ。

芸術祭に行ったことのない人(行ったことがある人は知らないわけがない)のために簡単にご説明いたしましょう。
まず、普段は写真中央の蓋が閉じており、おじさんはこのボックスの中に密かに身を隠している。ところが、誰かが200円を投入口から入れると、蓋がカパッと開いておじさんが顔を出す。そして、お金を入れた人にリクエスト曲を(と言っても何でもできるわけではなさそうだが、そのために可能演目が記されている)演奏し始めるというシンプルな仕組みになっている。
でも、このジュークボックスおじさんの凄いところは、必ず満面の笑みで出現すること。
そうか、そりゃそうだよね、人々を楽しませるためにやっているのだからくそまじめな顔をして登場してもつまらない。これだけで食べているのかどうかはわからないがねまさしくプロとして自分の役目を見事に演じている。

それほど面白いパフォーマンスなのだが、会場内全体で行われている演奏・踊りなどに比べたらかなり地味だ。
でも、もし何かの理由でこのジュークボックスおじさんが芸術祭に参加しなくなったら、何かこの芸術祭の大きな歯車を失ったように感じるだろう。
普段いつものようにそこに存在して、まるで空気のような位置関係にあるものは、その存在が続いている時はあまり何も感じないだろうが、失った時の失意は大きい。

人ってそんなものだ。当たり前のよう存在しているものには目もくれず、それを失った時に初めて、その存在の大きさを知る。
そうならないように、来年ジュークボックスおじさんがいたら200円を払い、演目にあろうがなかろうが、「サマータイム」をリクエストしよう。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村