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明日、74回目の終戦記念日を迎える。と同時に対外的に戦争を行わなかった日々が74年間続いたということになる。
今では戦争がない日常が当たり前のようになっており、また、一応民主主義によって得ることの権利を私たちは享受している。それはとても幸せなことなのだ。しかし、そういう自覚を持っている人々はどれだけいるだろうか?

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先日の参議院選挙で投票に行かなかった部下の女子社員にどうしていかなかったのか尋ねてみた。それは家庭全体として選挙に行くことが慣習的になっていなかったという理由であったと環境的な原因だと答えた。
それに対し、私は頭ごなしに社会人としての責任回避であるなどのもっとも論的な話をしなかった。社会人なのだから行くべきだというような話をしても若い人には面倒くさい感情を与えるだけでかえって逆効果にとれないかもしれないと思ったからだ。
そこで私が話したのは、こうやって政治家を選挙で選ぶことができるのはとても幸せなことなんだよ。世界には独裁政権国家がいくつもあり、その政権に対してNoと言えたくても言えない国民がたくさんいる。そういう国でクーデターなどで政権を民主主義推進派が得たら、国民選挙を行うと投票率90%以上になった国もあったんだよ。その国民は自分たちで国のリーダーを選ぶことができるという環境になったことにとても幸せを感じていたはずだ。なぜなら、それまでは言いたいことがあっても何も話せず、ただ奴隷のように政府に従っていたのだから。だから、せっかく投票ができるという権利を得たことを無駄にしたくなかっただろうし、せっかく与えられた権利なのだから行使したいと思うのは当然のことだろうし、国民にとっては幸福なことだった。

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彼女が本当に納得してくれたのかどうかはわからないが、ともかく私たちは一国民に様々な権利を与えられ、それを享受している。それでも色々不満はでるだろう。すくなくとも特栽国家よりはずっとましであることには違いない。ところがそれが当たり前になると、与えられている「幸福の権利」はすっかり忘れ去れてしまっているのが残念な現実だ。

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現在、東アジア情勢は各国の思惑が交差し、複雑に絡み合って予断を許さない方向へと向かっている。色々な原因はあるだろうが、そのひとつの原因となっているのは名本政府の対応であろう。日本政府を批判するわけではない。仮に批判して野次を飛ばしても警察に連行されてしまうような国になったのだから、一抹の不安は払しょくできないが、まだ手段を変えると正当に主張することは、私たちには可能だ。

まだ「権利」というものがしっかいり機能している時に、わたしたちは何ができるのだろうか。そしてあなたたちには何ができるのだろうか?
もちろん大きなことは個人レベルではできないにしろ、自分が持っているフィールド中「平和」に繋がる繋がる行為はできるのではないだろうかない。
明日終戦記念日を迎える。

平和が日常的になっている日本の現在。多少のことが国際的な場面で怒ったとしても>起こったとしても、いつまでもそう大きくは変わらないだろうというのは、あまりにも短絡的すぎる。そのような考えを持っしまっている、終戦記念日前夜の一国民であります。



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えー、60年も生きていますと、色々な人を拝見させていただいたり、お付き合いさせていただき、色々なことを気付くわけで、今回のタイトルのようなこともある時からずっと教訓として私の中に細々と存在しているわけです。
成功者と失敗者いう言葉を使いましたが、何が「成功」なのか、何が「失敗」なのかというとはっきりした定義などないわけですので、この言葉自体が誤解を招くものです。例えば、社会的には名声を得て、経済的にも満たされいるけれど、プライベートでは孤独感で救いを求めている人、という方もいるでしょう。仕事のために家庭を壊してしまった方もいるでしょう。反対に何をやっても仕事がうまくいかないけれど、とても理解のある家族や友人に囲まれていて、精神的に満足している方もいるでしょう。

ですから、断定的には言えないのですが、ここでは、成功者は「その道で為すべきことを成した人」、失敗者は「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」という意味合いとして使い話してまいります。

まず成功者は、基本的に謙虚です。いわゆる威張っているとか、威圧的であるとか、そういう人はそういません。なぜこういう人を成功者と呼べないかと申しますと、そういう方は、人間関係の中で自分の立場をより上位にするために、相手を「見下す」ことによって事をスムーズに進めようとするからです。相手がその威圧にに負けて従ったら、本人は「成功した」と思うでしょう。しかし、その人がやったことは人間関係で上位に立ったことだけであり、何かを為したわけではありません。
成功者は、常に上を目指していますから、どうして自分は今以上のことができないのだろうか?自分が自信を持って行った事が、実は間違いなく失敗であったのではと反省したりしていますと、人に対して大きな態度はとらないものです。
実際にそのような人はたくさん拝見しております。おごることなく、過去の失敗を教訓に常に上を目指している。その結果が「その道で為すべきことを成した人」になりえるのではないかと考えます。

今夏の甲子園の地方予選が盛んですので、野球を例にとってお話ししましょう。地区予選で優勝し代表として甲子園に出場できるようになった。それはとても素晴らしいことですし、大変名誉なことですし、出場校の地元は大いに盛り上がるでしょう。そうです、その地域にとっては甲子園出場校の選手はスターになったのです。しかし、これで満足した人はそれまでです。地方大会よりもハイレベルな甲子園で勝ち上がるためには、相当の技術力と精神力が必要となります。そういう舞台で、出場だけで満足した人は実力を出すことなく、敗れてしまいます。甲子園で勝ちあがったチームはハイレベルなチーム同士の戦いを余儀なくされます。地方大会とは雲泥の力の差を見せつけられるかもしれません。そして、甲子園で勝ち残ったチームはからはドラフト会議で指名を受けることがよくあります。で、めでたく入団。ここでもそうですが、プロ野球選手になることだけが目標だった人はそれに満足して1軍のレギュラー選手になることができないかもしれません。そのレギュラー選手の中でも、とびきりの実力を発揮した選手だけが高額所得を得、大リーグから注目され世界最高の舞台で挑戦を続けます。

そうです、上を見たら気の遠くなるような果てしない先まで到達しなければなりませす。そこに辿り着くためには失敗を克服する努力が必要となるでしょう。だから謙虚に上で括約している人々から教訓を得て、努力するわけです。しかし、もう既に地方大会を勝ち抜いただけで満足してしまった人たちは、、それ以上にならない可能性があります。結局1回戦ないし2回戦で敗れる結果が待っています(もちろん、全てがこの方式に当てはまるという訳ではありません)。
それでも甲子園出場を果たしたら、それはもう地元のヒーローです。中には、甲子園出場をいつまでも得意げに話す人もいるでしょう。それがここでいう「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」であるのです。

経済界に置き換えますと、それまでパッとしなかった業績が、あることをやったことによって急激に売り上げが伸び、あちこちから注目を浴びた、という方もいます。
そういう方の一部は、セミナー講師として全国あちこちの会場でお金をとって自分の成功談を話すのですが、私はそういう話を聞くたびに、人に教えるよりも自分でその事業を拡大して世の中にその会社の素晴らしさが黙ってても知れ渡るくらいにした方がいいのでは、と思うのです。そんなに素晴らしいノウハウを持っているのなら、是非そうすべきだと思うのです。
結局、成功が一時的だったから、そうしたのか、もうそれ以上の「その道」を追わなかったのか。理由はわかりませんが、そういう方のお話を聞いてもあまり心に響かないものです。人間、自分という存在に不安(どう見られているだろう、怪しく思われていないだろうか?)を感じている時は、自分が評価されるかもしれない自慢話を多くするものです。みなさまもそういう人に出会ったことがあるでしょう。(有名な)誰々を知っているとか、本当はたいしたことをしていないのに何々に関わったとか。

残念ながら函館に多いのは後者の方です。函館だけで自分の「位置」が確立できればそれで満足。そういう方を多く見受けます。

さて、こんなことを偉そうに話している自分はどうなのか?これから奥入瀬で一人ぽっちになって見つめ直したいと思います。






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今度の日曜日に投開票が行われる参議院選挙ですが、私は不在者投票を済ませてまいりました。その証拠がこの写真です(笑)

さて、投票前であるにも拘らず、報道では自・公で議会の3分の2に達する勢いであるなどの分析が報じられていますが、どうしてそう言い切れるのだろうかと大きな疑問を持っている私でありますけれど、でも、たぶん結果はその傾向に動くのではないかと危惧しております。
危惧という言葉を用いたのは、より日本は一党独裁の色が濃くなってしまうという意味での危惧であります。そう、日本は中国のようになってしまうのでしょうか?よく安倍首相が、「民主党政権の悪夢の時代」という意味の発言を何度も発しますが、問題は民主党にあるということよりも、政権を執った政党が戦後ほとんど自民党だったということなのです。つまり、自民党は政府の仕事をやった経験が豊富ですが、その他の政党は(公明党を除く)仮に今何らかの理由で政権を取ったとしても、いわゆる初心者なのです。初心者が何から何までそつなくこなすことができるでしょうか?普通に考えても無理だと思います。
民主党政権はまさにそれだったわけで、あちこちにボロが出ても致し方ない部分はあるでしょう。何せ初心者だったのですから。しかし、皆様ご存知の通り、初心者はやはり上手く政権運営ができず、結局短命で終わってしまいました。そして、その後はずっと自民党政権が政治を担っています。

大きな問題はこれなのです。政治を運営できる政党が一つしかないということは、これはかなり不健全な国家の状態であると言わざるをえません。たぶん、今回の選挙でも、自民党以外を考えてもちょっと頼りないから自民党にしようか、と考えている方も多くいらっしゃると思います。そういう方には大変失礼なのですが、それが国家の不健全化を助長していることになってしまうのです。
それは国会や街頭演説で、よく安倍首相が「どうせ次の選挙も自民党が勝つのだから」という前提の思い上がった話をしているのも、自民党を脅かす存在が残念ながらないからなのです。私たちはそこまで馬鹿にされ舐められても、自民党を第一党にしてしまうという国民なのです。これが健全な社会といえるでしょうか?
今まで見習いの仕事しかできなかった者に、急に「店を任せるから」と言われて訳も分からないうちに右往左往してやっているうちに、「やっぱりあんたダメだね」と首を切ったのは私たち国民です。

よく経済界では競争原理という形で品質や価格を競い合うことが多いのですが、政治にはそれが適用しない、また、させることのできない不思議な世界です。
以前もお話ししたと思うのですが、だいたい政党というものがあることそのものが不健全化を助長しているのではないでしょうか?例えば、よく大臣になった途端問題発言をして解任あるいは辞任すると議員がいますが、そのような議員が当選してしまうのも○○党公認候補だからというだけで当選してしまうからなのではないでしょうか?
どんなに政治家としての資質が劣ったとしても○○党から選挙に出れば議員になれる。それは選ぶ私たち国民の大きな過ちです。
まして、比例代表区制度があるのもおかしな話です。○○党の政策を支持したいと思っても、比例代表の上位にいる候補には議員になってほしくないという民意は全く伝わらない、これこそおかしな制度であります。

私は政党など無くなって、立候補者ひとりひとりの能力によって選び、そのような優れた政治家が国会で論じ合うのが最も健全な政治だと考えています。以前からそう考えていましたが、より確信になってきました。それ以外に、このバランスの崩れた日本の政界を正す方法は無いでしょう。かといって、今すぐ急に政党は無くならないでしょうから、私たちにできることとして、この人であれば国会で活躍してくれるだろうと思われる人を選ぶことなのではないでしょうか。

函館のある省庁系出先機関の方がこんなことを言っていました。「本当はもっと予算が欲しいのだが、与党の議員が国会議員に選ばれていないからなかなかお金がもらえない。与党議員だったら入って来るのに」
この言葉を知って皆さんはどう思うでしょうか?あぁ、やっぱり与党議員がいいのか。それとも、議員の所属する政党によって地方を差別することがまともなことなのか。ともかく今の日本政治のバランスは崩れています。中国のように一党独裁で色々な統制を強いられる国に近付きつつある日本を変えることができるのは政治家ではなく私たち国民である、と私は考えています。




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5月の下旬から夏並の暑さになり、函館でもあちこちでエアコンの稼働が始まりました。
以前にもこのブログでお話ししましたように、私はエアコンが大の苦手で、温度設定が低い(つまりエアコンがフル稼働する)と、体のあちこちに骨の髄までの寒気を感じ、風邪のひき始めのような微熱が出、筋肉が収縮し疲労感抜けなくなります。
それは私にとってはもう地獄のようなものです。
そして、それは私だけではなく、意外とたくさん人(特に女性)も似たような体の状態になっていたようです。

ある時、このエアコン地獄、今ではほとんどありえない、昔の非喫運者にとってのたばこ地獄と似ているのではないか頭に浮かびました。
昔のオフィスの喫煙者のディスク上には、当然のように灰皿があり、仕事をしながら煙草を吸うというのは当たり前の光景でした。中にはチェーンスモーカーもいて、室内のたばこの煙の密度は、嫌煙者からすると耐えがたいものだったでしょう。
しかし、その当時はそれが「当たり前」であったし、お客様が来たら「おもてなし」として当然のようにでかい灰皿が差し出され、そこでもプカプカと煙草をあらゆる人たちが吸っておりました。それを、嫌煙者はじっと耐えていました。仕方ない。たぶんそうだったのだと思います。

ところが世の中が次第に「喫煙は悪だ」という風潮になり、まずディスクから灰皿が撤退され、基本オフィス内禁煙、よくて喫煙室があるというのが当たり前になり、今では喫煙者は採用しないという企業まで現れています。
これは時代の流れとして仕方のないことなのかなと思いますし、未だに喫煙者である私は、公共の場ではでにおいが全くしない電子タバコを利用したりしています。どうしても紙巻きたばこが吸いたければ車の中あるとか、ともかく非喫煙者にご迷惑をかけない範囲で「嗜好品」を嗜んでいる次第です。

そのように中で、エアコンだけは稼働して当たり前、お客様への「おもてなし」をするためには、より風量を強力にして涼んでもらおうという傾向が(今に始まったことではないですが)続いています。でも、同じ空間にいる他の者にとっては、それは地獄以外の何ものでもないのです。そして、エアコンは地球温暖化現象に拍車をかけている張本人のひとつであります。また、エアコンが普及したために(つまり体が暑さを感じない機会が増えたため)汗を掻くことができない人が増えているようです。
そんな「健康被害」「地球破壊」を増長させているエアコンを、どうして誰も煙草のような「悪」だと訴えないのでしょうか?
何のためのクールビズなのでしょうか?

このエアコン必要な方々は一種の「エアコン中毒」と呼んでも差し支えないでしょう。その中毒者のおかげで体質に合わない人々にとっては、煙草を嫌った人々のように耐えがたいけどとりあえず耐え忍んでいるものとなっているのです。まして、悪質なのは地球破壊の手助け、大都市気温上昇の一助となっていることです。
煙草を吸うという「公共的な公共間」の問題ではなく、エアコン中毒は地球全体に影響を及ぼす問題なのです。
どちらがより深刻な問題なのかは、言わなくてもわかりますよね。

時々、。禁煙をしたら太り体重が増えたという人がいます。そういう方々は当然しっかりと皮下脂肪を蓄えているため、煙草の代わりに常にエアコンが必要となっているのではないかとも想像できます。

そんなわけで、私は「嫌冷嫌」を主張したいと宣言いたします。
嫌煙権の主張も、始まりはこんな感じだったと想像したいます。
本当に、本来エアコンは「暑くて熱中症などにならない程度に室温を下げれば」いいことのはずなのですが、いつの間にか、「寒い」方が「おもてなし」している気分になったようになっていたり、平常時でもエアコンを付けなければどうしようもならない「エアコン中毒者」を産んだり、じわじわと地球温暖化を増長している。また、エアコンによる健康被害を受けている者もいる。


さて、そんな中であなたはまだまだエアコンの温度設定を低くすることができますか?





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本日docomoショップに行って、6月から改定となるdocomoの新料金プランの相談に行ってまいりました。
現在の我家の総支払は、docomo光パックを含めて約2万円ちょっととなっているのですが、そのうち対象となるのは携帯回線のみ。
現在使用しているタブレットのプランは対象外であるため、比較検討対象となるのはスマホの2回線のみとなりました。

ちなみに我家で今まで使用していたのは、doomo withの割引(1台1500円×2=3000円)と5ギガのシェアパックという低料金のプランであったのですが、それでも光パックと併せて4000~5000円くらい安くなるのでは期待に胸ふくらませてdocomoショップに行きました。

しかし・・・・・。結論から言いますと、新料金プランにすると、docomo withが利用できずギガライトでシュミレーションしても、現在よりもたった1200円程度しか安くなりませんでした。それも、ギガライトの3GBプランを採用してでの話です。別の言い方をすると月の使用量が3GBを超えると、かえって割高になってしまう可能性もあるのです。

私の野望は見事に崩れ去ってしまいました。
今月使用するGBが3を超えるかどうかハラハラしながら利用する精神的リスクを考えると、結局現状のままの料金プランの方がまだましという結論に達し、新プランへの移行をしませんでした。

つまり今回のプランの目玉は、docomo withを利用しておらず、1家族3回線以上の携帯を持ち、そのうち誰かがたくさんのギガを使用しているパターンの方々のみが、大きな割引を得ることができるという内容だったのです。

うーん、困ったものです。私から言わせてもらいますと、ちっとも安くなっていません。新料金のプランは例えばスマホを日常茶飯事に使用している子供がいる家庭向けのプランであって、それ以外の人にとってはそれほど魅力のないものとなっているのです。

これにはたぶん不満の方が続々出現するなと思いました。家族(親子3名以上)docomoを使うとお得になる、つまりこの際だから家族みなさんdocomoにしましょうというプランに思えて仕方ないわけです。もう20年以上docomoを継続して利用していても、せいぜいポイントが付きやすくなるだけで、それほどのメリットが少ないように思えました。

よくある話ですが、長く使っているのにそれほどの恩恵を受けることのできない新料金プラン、きっとその内不満が出るのは必至と思われます。
どうか早速新新料金プランの企画を考えていただきたいと痛切に願うわけであります。





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新しい元号が「令和」になりました。
たぶん皆さんと同じように、まだこの言葉に慣れていないために、どうしても違和感を持ってしまうのですが、そのうち慣れて来るでしょう。

さて、この「令和」という元号を知った時、改めて過去の元号を遡ってみたら、ある共通点を見つけました。それは本当にどーでもいいことなのですが、タイトルの「どーでも」と同じように、伸ばして読んでも日常的におかしくないものが多いことでした。

今回の令和は「れーわ」、ここから遡ると、平成は「へーせー」、昭和は「しょーわ」、大正は「たいしょ―」、明治は「めーじ」。つまり、明治以降は母音が必ずあるため伸ばして読んでもそれほど違和感がないのです。
それ以前の江戸時代はというと、有名な元号では、慶応は「けーおー」、文久「ぶんきゅー」、安政「あんせー」、天保「てんぽー」、享和「きょーわ」、寛永「かんえー」等々。

母音が使われているとこのように読めてしまうため、「どーでもいい話」になってしまうのですが、結局慶応から令和まで6時代続けて伸ばして読める元号になるとは、日本の歴史の中では珍しいことではないことでしょうか。元号を全部調べたわけではないのですが、長い江戸時代でも6時代続けては1度しかないようです。

まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、最低でも平成時代のように、外国と戦争が決して起きない時代になってほしいですね。
政府に命「令」されて、昭「和」の太平洋戦争のように、多くの国民の命が消えて行くことがないように祈っています。




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平成を振り返るというテレビの特番が各局で毎日のように放映されている。
それらを見ていると、特に地震による大規模な災害が幾度となく日本を襲い、非情なまでにも一般市民から死者を出したものだと改めて認識した。
地震の恐ろしさ、僅かの時間で容赦なく人の命を奪うというどうしようもない事実、そして生存者たちのそれからの生活。私たち北海道人も昨年全道を巻きこんだブラックアウトによって、たった1日か2日電気が使えないだけで、通常生活に戻ることができるのに1週間以上を要したことで、それ以上の不自由な被災生活を送っている方々のつらい思いのほんのわずかだけかもしれないが、少し理解できた。

だが、地震は人間が起すものではない。自然という地球の大きな力が働いて起きてしまうものだ。その脅威の前には、人間の知恵などはほとんど役に立たなかった。しかし、恐ろしさという点では、自然現象よりも、人間自らが起し、同じ人間を地獄の底に陥れた方が自然とは違った意味でとても恐ろしかった。
その代表的な平成の事件は、やはりオウム真理教の地下鉄サリン事件だろう。

この事件、当時の仕事が休みだったのか、どういう理由だったのかは忘れたが、発生直後のニュースで知ることができた。まだ状況や毒物の成分などがわからず、ただ、人々が倒れ救急車で搬送される慌ただしい東京の風景の第一印象は「戦争が起きたのか?」そういう恐怖を覚えた。この平和な日本という国の中で、これほどの大規模な犯罪が起きるとは、当時は考えることもできなかった。
そう、人が人に手を下したのだ。それも何も関係のない人々を巻き添えにして。いくらバブルが崩壊して混乱から立ち直れない日本の社会状況だったとはいえ、「私が信じている日本人」が同じ日本人に対してそんなことをするなど信じることはできない。そういう意味で、私にとって平静で最も衝撃的だった事件はオウム真理教の地下鉄去りに事件だった。

しかし、また、とても素晴らしいこともあった。それは平成の間、他国との戦争がなかったことだ。明治以降ずっと戦争していた日本だったが、「平成」という字の如く、バブル崩壊・リーマンショックなどの経済的苦境がありながらも、他国と戦争しなかったのは喜ばしいものだった。
そう、明日新元号が発表されるが、新元号が何になるか楽しみに待っていられるということは、平和である証拠なのだ。天皇崩御によって新元号にするとしたら、今のように楽しみにすることもできなかったはずだ。そういう意味で、平成天皇の決断(願い)は平和であった平成を締めくくるには素晴らしい提案だったと思う。いずれにせよ、どんな元号になるかわからないが、次の時代も平和が当たり前という時代を私たちが築き上げて行かなければならない。それは全て私たちの肩にかかっているはずです。



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多くの人が馬鹿じゃない?と思われるかもしれませんが、私はapple系のコマーシャルが好きではありません。製品の性能・面白さは(使っていないので確かなことは言えませんが)、たぶんとても優れていてスマートでデザインも良く、魅力あるものだと思います。
きっとそうでしょう、たぶん・・・。
しかし、それでもありコマーシャルがどうも好きにはなれないんです。それは自分色に染めて他の目が移らないようにしようという意図が見えてくるコマーシャルだからです。で、おなかつ価格も高い。だから、好感を持っていない人間から見ると、iphoneユーザーは上手く巻き込まれているように見えてしまうのです。
iphoneの新製品って、ちょっとしたPCが買えるほどの価格です。でも、現段階では様々な作業ができるのは、やはりPCなのです。
それを特に性能が高いiphoneであれば全て1台でできてしまうと錯覚させること、あるいは、もうそれしか使えなくなるような流れに誘導していることに、私は抵抗を覚えてしまうのであります。

そのiphoneのコマーシャルって、「いかにもアメリカ」という押しつけがましい空気が画面から流れて来ているのです。もっとサラッとできないものなんでしょうかね。
それでも、若者はiphoneの新製品が出たら、それなりの金額で買ってしまうのでしょうね。まぁ、分割払いにするとけっこうな代金を支払っているという感覚もないのかもしれませんが。

だいだいAPPLEPAYっていったい何のために作ったのでしょうか? iphoneユーザーの購入傾向をひとまとめにしてデータ化し、それを統計分析し、どこかに売るためにあんなものを作ったのでしょうか。APPLEPAYを使うとポイントがたくさんつきますよ、というキャンペーンの金の出所はどこなんでしょうか?
何となく疑問を感じて、その後に雨後の竹の子のようにできた〇〇ペイなどは一切使わず、キャッシュレス決済をする時は個々のカードを提示してやっています。

うーん、こんな私ですから、iphone信者にはなれないでしょうね。
はい、私は、通話ができて、メールのやりとりができて、きれいな写真が撮れなくても(本当にきれいな写真を撮りたかったら一眼レフかLeicaで撮ります)、一向に構わないのでほぼ最低限のスマホで充分だと思っています。
はい、クラシックな人間であるものですから・・・・、




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先日、建築基準法違反で大きな社会問題化したレオパレス21。
賃貸アパート経営市場がバブル時代から安定的に推移した中で規模を拡大し続けた企業だ。バブルの頃は、賃貸アパートはどんなものでも建てたら売れるという時代だった。不動産を売却して得た大きな利益で賃貸物件を購入し、節税対策と賃料収入を得ようとしている者にとっては「美味しい不動産」であった。その頃増収増益で業務拡大した不動産会社のいくつかは株式公開で更なる資金を集めようとしていた。しかし、どこの誰なのかはわからないが、違反としては大きな被害にもならないような微小な宅地建物取引業法違反で摘発され、いくつも会社がその道を絶たされたのだった。だが、レオパレス21(当時の社名は株式会社ミヤマ)は業界内の足の引っ張り合いをかいくぐって店頭公開・上場を果たした。

正直言って、昔はそれほどレオパレス21のイメージは悪くなかった。経営持続が難しい単身者向けアパートの分野で業績を残していることは、それなりのノウハウを持っているのだろうと思っていた。上場したことにより、社会的責任も大きくなり、それなりの品質のものを提供しているとばかり思っていた。ところが、この度の問題で、レオパレスお前もか、という残念な思いとともに、10年以上前に私自身が経験したレオパレス21の営業マンとのやりとりを思い出した。

その頃私は不動産会社に勤めており、転勤で苫小牧で仕事をしていた。不動産仲介が主の仕事であり、そのためいくつもの土地や建物の売却依頼物件を持っていた。この売物件を持つということが大切で、これがなければ商売にならないため、不動産所有者との関係も良好に保つことも大切な仕事の一つであった。
そんな中、ある日の午前突然(確か土曜日だったと思うが)レオパレス21の営業マンから会社に電話がかかって来た。売り土地に対する問い合わせだった。その土地の担当は私であったため電話を替わり話を聞いてみると、東京から投資物件用地(この場合投資アパート建築用地)として私が担当している土地が買い希望者の目に留まり関心を持っている。そこで明日その人が苫小牧に行くので、現地を見て気に入ったらその場で契約したいとの話だった。
私はこの話に驚いた。簡単に契約と言うが、賃貸物件の契約とは異なり、売買物件の契約は重要事項説明にも詳細で繊細に作り上げなければならない項目多々あり、そんなに簡単にできるものではない。また、土地を見て気に入ったからと言っても、その場で売主に連絡し、今すぐ契約があるから事務所に来てくださいなんて、あまりにも失礼で、そんな要請もできない。あるいは、契約があるかもしれないからずっと自宅で待機してくださいなんてとても言えない。まで本当に買うかどうかもわからないのに、そんな約束なんてとてもできるものではない。
そのような理由で、私はレオパレス21の営業マンに対して、不可能ですと答えた。相手は仕事にならないのが面白くないようで、めんどくせーなみたいな声で渋々電話を切ったが、今度は午後、確か夕方だった記憶しているが、今度は、お客さんがその後検討し、間違いなく買うので契約の準備をしてほしいという内容だった。それも高圧的な口調での話だった。

私は一瞬それでは準備をという気持ちにもなったが、すぐに冷静に脳内を切替え、まだ現地を見てもいない人の話で売主さんにきちんとした話として伝えられることができない、ということと、現実的に重要事項説明書と契約書をたったの1日で問題のないように作成できないというさきほどと同じ理由で断った。東京の人から見ると苫小牧の低価格の土地は、もし投資物件として失敗に終わったとしても大した損額ではないと思うのであろう。だから、図面上・ネット上だけで決めてもいいと考えたのかもしれない。レオパレス21の営業マンも、1日しか時間の取れないお客さんにできるだけのお膳立てしておき、アパートを建ててもらい営業成績にしたいという思惑もあったのだろう。その気持ちは同じ営業ょやっている人間としてわからないわけではないが、あまりにも無茶でいい加減で相手に対する配慮がない、とてではないが受け容れられ話ではなかった。もし、そのような話をするなら、遅くても1週間前に問い合わせがあってもいいものではないか。それならまだ話としてできないわけでもない。準備もできないこともない。しかし、話が来たのは前日だ。とても東証1部上場企業の社員がやる仕事ではないと思えた。

結局、この話を私の段階で断り、売主に伝えることはなかったが、それから少ししてから、別の普通に現地を見た方から気に入ったと申し込みをいただき、普通にちゃんとした段取りのもとでちゃんとした契約をすることができた。レオパレス21の話を受け容れたとして、結果どうなっていたかはわからないが、少なくとも売主さんには後からの普通の段取りでの契約で、無理のないきちんとした売買が成立できたと思った。自分の立場は、売主・買主の中間に立ち、どちらか一方だけが優遇される契約を阻止することも大切な仕事のひとつだ。多くの「きちんとした」不動産仲介業者は同じようなことをやると思う。そんなことはレオパレス21の営業マンもわかっていてもおかしくないはずなのだが、地方都市の安い物件だから何とでもなるだろうとたかをくくっていたのだろうか?
その理由はわからないが、その時、あぁ、レオパレス21の社員の体質とお客さんの体質はこんなものなんだと思った。そして、今回の問題。こういう体質の会社では営業利益を優先したら、今回の違反もあり得るだろうなと思った。

優れた仕事をする人は、きちんとした相互理解と段取りをしっかり取り、話を進めて行くものだ。それは大都市だから地方都市だからといっても変わらないものだ。仕事柄色々な会社の社員と接することがあったが、少なくとも上場企業の社員で、このような無理難題と押しつけ的な話の進め方をしようとしたのはレオパレス21だけだった。不動産の仲介は、土地というひとつの商品の売買と考えている人も多いと思うが、最終的には人と人との交渉が最も大切なものなのだ。決して工場で製造されるものとは全く違う。どんなに優れた物件があって、それを買いたいと申し込んできた人間が、売主がこの人は嫌だと言えば契約は成立しない。
そう、人と人とをスムーズに結びつけるのが不動産仲介業の最も大切な仕事なのだ。





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先日、報道などで出資法違反の疑いとしてケフィア事業振興会が家宅捜索されたことを知った。同会は昨年9月に破産しており、出資した方々に未払いの配当はもちろんのこと、元本の返金もかなり難しいと思われる事件のようだ。この事業主が最初に手掛けた事業であるヨーグルトの通販を私の家では、約15年以上前あるいは20年近く前に購入していた。
当時、ヨーグルトというものは、自宅では決して作ることのできない、あるいは相当しっかり調べて材料を調達した人しか作れないものだと思っていた。ところが、ケフィアは、その難しい自宅製造をキットを利用してできるようにして売り出した。当時、それはとても画期的だった。キットには容器とその容器を覆い一定の温度で温める加熱シート(電気毛布のとても小さいものだと思っていただければいい)とヨーグルトの菌と糖。これだけで気軽に自宅でヨーグルトを作ることができたのです。
味は、市販のヨーグルトとは違い、酸味が少なく、自家製であるので糖分も調整できたため、これを購入してからは市販のヨーグルトをわざわざ購入することが無くなった。通販であるため、無くなる前に再注文をしなければならないという面倒さがあったが(これは妻がやっていたため、実質私の作業はなかったが)、自家製のヨーグルトというものを毎日楽しく食していた。

作り方はとても簡単だった。一定量の牛乳を容器に入れ、次に菌を牛乳にふりかけ、蓋をし、加熱シートで包み、シートに着いているコードをコンセントに差し込み、一定時間そのままにしておく。これだけでヨーグルトができる。できたらシートを外し、冷蔵庫で冷やすと、翌朝の食卓にはヨーグルトが器に盛られているという具合だった。
この繰り返しは何年か続いた。食べていた私は、正直言って(今この事件があったからという訳ではなく)特別美味しいとも思っていなかったし、だからと言って不味いとも思っていなかった、つまり特別な不満があったわけではなかったため、日常生活の一部としてほぼ毎日食していた。

ところがある日、ケフィアから一通の手紙が送られてきた。それは、(何だったのか今となっては覚えていないが)ケフィアが新しく開発する食品の原料のオーナーにならないか、というものだった。一口1万円くらいのものだっと記憶しているが、これを始めて読んだ時、この会社大丈夫か?と疑念を抱くようになった。このあたりから私はケフィアヨーグルトへの楽しみが薄れて来たと記憶している。しかし、その時は「ふーん」程度でおさめて、引き続き注文をしていた。
だがその後、転勤などで生活環境が変わり、色々ばたばたしているうちに、自然消滅的に注文をしなくなった。

さて、ここで何が私にとって問題だったかというと、もしケフィアヨーグルトが生活環境等が変わったとして、なくてはならないほどの生活必需品となっていなかったことと、どうしてエンドユーザーから資金調達をしようとしたのかわからなかったことだ。
何年かずっと利用していて、味が向上したとかということはなかった。それは大問題ではないのだが、(たぶん)ある程度好評を得てそれなりの売り上げがあったと思われる会社が、なぜエンドユーザーに資金調達の勧誘をするのか理解できなかった。それは、スーパーで何かの食品を買って、家で袋を開いてみたら、「オーナーになりませんか?」という文書が入っていたのと同じ感覚だった。そんな会社は怪しい。私にはそう思えて、好感度がかなり下がってしまった。
もちろんわが家ではオーナーなどならずに自然消滅したため被害に遭うことがなかったのだが、今回、この事件が起こって改めてこんなことを思った。

「本業で勝負せずに、策だけに頼ってしまうものは、いずれ滅びる

ケフィアは、たぶん成功したであろう自家製ヨーグルト材料の進化に重きをおかず、金だけに目が行ってしまったのだった。しかし、世の中で長年成功している事業の多くは、本業をより進化させようと企業内で努力を怠らないものだ。ある程度のPR等の策も必要だが、それは本業の製品が良くなければ、効果は一時的なものにすぎなくなってしまう。

このようなことは、私たちの身の周りでもよく見られることだ。例えは、街を活性化しようという論議をする時、必ず「イベントをやろう」という言葉を耳にする。それ自体は悪くはないが、先ほどの例で言うと、製品のPRのためのイベントであって、製品そのものが良くなるわけではない。大切なのは製品そのものだ。これを街に置き換えると、街そのもののを変えずにイベントばかりやっても著しい効果はない、ということだ。
西部地区では色々なイベントが行われる。それはそれでいいことだが、だからといって、そのイベントによって西部地区の人口が増えたかどうかとなると否である。今も高齢者の死亡により自然減が進んでいる。

改めて言う。策ばかり考えて、本体そのものの質の進化をしようとしなければ、いずれ滅びる。そんなことは今まで60年間色々な所でいやというほど見て来た。もうたくさんだ。同じ過ちをこれ以上繰り返してはいけないし、その策の刹那的な魅力に溺れてもいけない。

「理想とするのは、PRしなくても、自然と人が関心を持ち実際に行動を起こしたくもの」

それを目標とした姿勢でとりかからなければ、「良いもの」は決して作れない、そう思う。



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