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先日、報道などで出資法違反の疑いとしてケフィア事業振興会が家宅捜索されたことを知った。同会は昨年9月に破産しており、出資した方々に未払いの配当はもちろんのこと、元本の返金もかなり難しいと思われる事件のようだ。この事業主が最初に手掛けた事業であるヨーグルトの通販を私の家では、約15年以上前あるいは20年近く前に購入していた。
当時、ヨーグルトというものは、自宅では決して作ることのできない、あるいは相当しっかり調べて材料を調達した人しか作れないものだと思っていた。ところが、ケフィアは、その難しい自宅製造をキットを利用してできるようにして売り出した。当時、それはとても画期的だった。キットには容器とその容器を覆い一定の温度で温める加熱シート(電気毛布のとても小さいものだと思っていただければいい)とヨーグルトの菌と糖。これだけで気軽に自宅でヨーグルトを作ることができたのです。
味は、市販のヨーグルトとは違い、酸味が少なく、自家製であるので糖分も調整できたため、これを購入してからは市販のヨーグルトをわざわざ購入することが無くなった。通販であるため、無くなる前に再注文をしなければならないという面倒さがあったが(これは妻がやっていたため、実質私の作業はなかったが)、自家製のヨーグルトというものを毎日楽しく食していた。

作り方はとても簡単だった。一定量の牛乳を容器に入れ、次に菌を牛乳にふりかけ、蓋をし、加熱シートで包み、シートに着いているコードをコンセントに差し込み、一定時間そのままにしておく。これだけでヨーグルトができる。できたらシートを外し、冷蔵庫で冷やすと、翌朝の食卓にはヨーグルトが器に盛られているという具合だった。
この繰り返しは何年か続いた。食べていた私は、正直言って(今この事件があったからという訳ではなく)特別美味しいとも思っていなかったし、だからと言って不味いとも思っていなかった、つまり特別な不満があったわけではなかったため、日常生活の一部としてほぼ毎日食していた。

ところがある日、ケフィアから一通の手紙が送られてきた。それは、(何だったのか今となっては覚えていないが)ケフィアが新しく開発する食品の原料のオーナーにならないか、というものだった。一口1万円くらいのものだっと記憶しているが、これを始めて読んだ時、この会社大丈夫か?と疑念を抱くようになった。このあたりから私はケフィアヨーグルトへの楽しみが薄れて来たと記憶している。しかし、その時は「ふーん」程度でおさめて、引き続き注文をしていた。
だがその後、転勤などで生活環境が変わり、色々ばたばたしているうちに、自然消滅的に注文をしなくなった。

さて、ここで何が私にとって問題だったかというと、もしケフィアヨーグルトが生活環境等が変わったとして、なくてはならないほどの生活必需品となっていなかったことと、どうしてエンドユーザーから資金調達をしようとしたのかわからなかったことだ。
何年かずっと利用していて、味が向上したとかということはなかった。それは大問題ではないのだが、(たぶん)ある程度好評を得てそれなりの売り上げがあったと思われる会社が、なぜエンドユーザーに資金調達の勧誘をするのか理解できなかった。それは、スーパーで何かの食品を買って、家で袋を開いてみたら、「オーナーになりませんか?」という文書が入っていたのと同じ感覚だった。そんな会社は怪しい。私にはそう思えて、好感度がかなり下がってしまった。
もちろんわが家ではオーナーなどならずに自然消滅したため被害に遭うことがなかったのだが、今回、この事件が起こって改めてこんなことを思った。

「本業で勝負せずに、策だけに頼ってしまうものは、いずれ滅びる

ケフィアは、たぶん成功したであろう自家製ヨーグルト材料の進化に重きをおかず、金だけに目が行ってしまったのだった。しかし、世の中で長年成功している事業の多くは、本業をより進化させようと企業内で努力を怠らないものだ。ある程度のPR等の策も必要だが、それは本業の製品が良くなければ、効果は一時的なものにすぎなくなってしまう。

このようなことは、私たちの身の周りでもよく見られることだ。例えは、街を活性化しようという論議をする時、必ず「イベントをやろう」という言葉を耳にする。それ自体は悪くはないが、先ほどの例で言うと、製品のPRのためのイベントであって、製品そのものが良くなるわけではない。大切なのは製品そのものだ。これを街に置き換えると、街そのもののを変えずにイベントばかりやっても著しい効果はない、ということだ。
西部地区では色々なイベントが行われる。それはそれでいいことだが、だからといって、そのイベントによって西部地区の人口が増えたかどうかとなると否である。今も高齢者の死亡により自然減が進んでいる。

改めて言う。策ばかり考えて、本体そのものの質の進化をしようとしなければ、いずれ滅びる。そんなことは今まで60年間色々な所でいやというほど見て来た。もうたくさんだ。同じ過ちをこれ以上繰り返してはいけないし、その策の刹那的な魅力に溺れてもいけない。

「理想とするのは、PRしなくても、自然と人が関心を持ち実際に行動を起こしたくもの」

それを目標とした姿勢でとりかからなければ、「良いもの」は決して作れない、そう思う。



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天気予報では、やはり来るようだと報じている。
10年に一度か、観測史上最寒になるかもしれない大寒波がやって来るようだ。

函館は北海道の中でも温暖な地域に属するので、大寒波と言っても実感が湧かないかもしれない。何年か前、非常に強い寒波が襲ってきて、あちこちで水道管が凍結したということがあったが、最悪の場合今回の大寒波はそれをはるかに上回るものになるだろうと想像される。

私はずっと函館に居たわけではなく、仕事などで全道を訪れた経験や極寒地出身の人の話を聞いたことがあるため、参考までに極寒で起きる出来事について、用心のためにその話を伝えておく。
まず、20代に同じ職場で働いていた十勝の盆地地域の本別出身の男性の話。彼は本別から帯広まで当時の国鉄で通学していた。あまりニュースなどには登場しないが、本別も普通にマイナス20℃以下になることがよくあるそうだった。そのため、いつもは自宅から本別駅までは毎日徒歩で向かっていたのだが、あるマイナス20℃ほどの気温の朝、急がなければ列車の時刻に間に合わないとあわてて、普段つけている手袋を忘れて駅まで20分ほど歩いたそうだ。冷気に晒されている手は寒いのではなく、痛くなってしまっていたそうだが、ともかく何とか列車に乗ることができ、客室の暖房の暖かさを体に受けた時、急に気が遠くなりその場に倒れてしまったことがあるとのことだった。マイナス20℃の世界では顔はまだ大丈夫だが(鼻毛は凍ります)、その他の肌を外気に晒し、急激に暖かい場所に移動すると気を失うことがあるらしい。
考えてみると、一気に気温40℃以上の差があるところに行くわけなのだから、体はどうにかなっても仕方ないことだ。

ポイント***厳しい寒さの時は必ず手袋を着用すべきです。手だけならというレベルではなく、体全体の問題になるからです。

私の経験

これも20代の時の話だが、仕事で道北の中頓別に行った。その日は猛吹雪で、当時運転免許を取得していなかった私は、中頓別駅から徒歩で仕事の目的地まで歩いて行くことにしました。ところが、北風(だったと思う)が強く吹雪で、足取りが重くなるだけならまだしも、襲いかかる吹雪に眼鏡はとんでもないことに。普通の寒さであれば、メガネレンズに付着した雪は、フレームやレンズに体温がが伝わっていることで雪は融けてあめの中を歩いているような水滴でいっぱいになる。
しかし、中頓別の極寒の吹雪は、一度レンズについて一瞬融けて、すぐに外気温によってシャーベット状になってしまった。そしてレンズはシャーベット状の雪で先が全く見えなくなる。仕方ないので手でそれを拭き取る。するとまた新しい雪が襲ってくる。この時ほどメガネにワイパーがついてくれていたら助かったのに、と痛感したことはない。
そんなことをしながらやっと仕事の目的地に着くと、先方が気を使って、石炭ストーブの真ん前に吸わされてくれました。「まずは仕事よりも体を温めて」というありがたい言葉に甘えて凍えた体を暖めたが、何かを話そうとしても、顎がうまく動かず、全く言葉にならない。つまり、顎も寒すぎて通常の機能を発揮できなくなってしまったようだった。結局10分くらい、顎を上下に動かしながら。体全体がほぐれて行くのを待って、やっと仕事の話を始めたことがあった。
仕事が終わり、今度は駅に徒歩で向かったが、駅に着いた時に見つけた自動販売機の普段になら飲みそうにもない砂糖たっぷりの珈琲のロング缶(温)を買い、老人のように「ズズズ」と音を立てながら飲んだ時のその美味しさは今でも忘れない。
究極の寒さの時には、糖分は体を維持するための必需アイテムだと分かった。
私の場合はねストーブのある待合室ですこし待ったため、段階的に寒さから体をほ暖めることができたので、列車に乗っても気を失うこともなかったが、ともかくあの時、函館は北海道ではないと改めて思った。

でも、ひょっとしたらその北海道の極寒が函館にも当時用することになりそうだ。
皆様、こんな時はおしゃれよりも暖かさです。どうがどうか、準備をすることに越したことはありませんので、考えられるだけの防寒の準備をしておいてください。





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去年あたりから次第に強く感じてきたことですが、一般的な飲食店で、予約を入れなければ中に入れない傾向にありつつあるという、ちょっと困った事態に私は若干やりきれない思いをしています。

それが、高級レストランのコースであるとかであったらまだわかるのですが、それまで気楽に入店できていたお店に「予約」という優先席が設けられて、場合によっては入ることができなくなるというのは、世の中の傾向としてあまりいいものではないのではないかと思っている次第なのであります。
これは予約を受け入れるお店を非難しようという訳ではありません。私だって大人数で集まる時にはしっかり予約をして席を確保しますし、お店にとっても当然メリットがあるでしょうし、予約を拒否しなければならない理由もないでしょうから、予約を受け入れていると思います。
問題なのは、例えばカフェなどが予約でいっぱいになること。これはどうなのかな、と思ってしまうわけです。予約と言っても、さきほど私が言った大人数でのものではなく、二人だけで行くのに予約を入れることです。
私の考えが古いのかもしれませんが、カフェは予約して行くところではなく、ぶらっとその時の気分で行ける所だと思っておりました。今日の気分は濃いめの珈琲が飲めるところがいい、またある日はそのお店から見える風景を楽しみたい、ある時は最も本がじっくり読める所等々、その時の自分の欲する所に行くことがカフェなどの楽しみの一つであるのですが、行ってみたらたまた満席であったのなら仕方なく引き上げるものの、空席があるのに予約で入れませんというのは、ちょっと残念な気がします。

昨年札幌のある料理店で、この予約に絡むことでけっこう不快な思いをしたことがあります。
そのお店は美味しい料理をが目白押しで、札幌に行く度によくぶらっと行っていたのですが、昨年知人に美味しい店があるから行きましょうと誘って、その料理店に連れて行きました。まだ時間的に早かったせいもあり空席も多くはないにしろ、私たち二人が席に着いてもまだそれなりに空席がある状態でした。ところが席に着くなり、店員がやって来て、「予約でしょうか?」という問いかけをされました。「いいえ」と答えると、その店員が話した正確な言葉は覚えていませんが。要約すると、「この先予約客が来る予定で、そちらを優先したいから、予約客が来たら帰ってくれ」という内容のものでした。もちろん、こんな露骨な表現はしませんでしたが、意味はその通りでした。
私も知人も少し不快な思いをしながら結局の所、そのお店で食べて飲んだのでしたが、店を出た後二人とも、ああいう言い方は気分のいいものではないという共通の感情を確認しました。たぶん私はもうそのお店には行かないと思います。そのお店にとっては、予約をして来てくれるお客さんが「いい客」で、ぶらっと来る客は「どうでもいい客」というような認識を持っているように感じたからです。

この札幌のお店は対応が不快に思えたので、もう行かないと心に決めたのですが、そもそもどうして世の中、こんなに予約をしてしまう風潮にあるのでしょうか?
せっかく行ったのに満席であれば嫌だから予約して行く、ということもあるかもしれません。あるいは、どうしてもそのお店をキープしたいということもあるかもしれません。例えば男女のデートで絶対外せないとか(笑)色々な理由があるのかもしれませんが、私のような気分によって店を選ぶ人間にとって、予約をしなければ入れない店は、次第にリストから外れて行ってしまうのです。
カフェなどのお店は、行ってみたらたまたま満員だったら仕方ない。違うお店を探して入ってみよう。でもそうすることによって、今まであまり気にも留めていなかったお店がけっこういい雰囲気を持っていたりとか、面白いメニューを取り揃えていたりとかという発見ができるかもしれない。そんな偶然に出会えるかもしれない。それもまた楽しいことのひとつです。
今の若い方々はそんなおおらかさがないのかな、とも思ってしまう訳であります。
ともかく、この傾向が続き、多くのカフェが予約がなければ入れなくなるようでしたら、私はコンビニの100円珈琲を買って車で飲むようになるでしょう。

色々書きましたが、ここで最も言いたいのは、簡単に予約してしまう今の文化って、世の中を面白くなくする方向にしてしまっているのではないかということでした。
まぁ、行列ができる料理店には絶対行かない私が言うことですから、少数派なのかもしれませんが・・・・。



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昨日、ソフトバンクの通信が約4時間半不通になったとニュースで知った。
即日はイレギュラーの休日であったため、電話もすることもなかったため、docomoユーザーの私にとっては、影響はなかったのですが(誰かソフトバンクユーザーが私に電話をかけようとして断念した人もいたかもしれませんが)、ともかく少なくとも個人的には困ることはなかったのですが、ソフトバンクユーザーはパニックになったり、計り知れない不便を経験したことでしょう。ニュースでもユーザーインタビューでもその混乱ぶりが報道されていました。

そのインタビューの中には、仕事でアポを取れなくてやっと公衆電話を見つけて電話したものの、開いてもソフトバンクユーザーだったため連絡が取れず、結局アポなしで直接相手企業に行くことにしたという切羽詰まったものもあれば、10代と思われる女性が写真を撮ったけれど、インスタにアップできなくて困っているという、・・・・まぁ・・・・・この歳の私からするとつながった後からでもいいのではというところで困っていましたが、彼女たちにとってはそれが大切なことなんだろうなと思われることや、いつもスマホの地図で道案内をしてもらっているので、仕方なく駅前の道案内図で確かめている方々も見受けられました。

普段当たり前のように使っているものが使えなくなると、そのありがたみがよくわかるという意見もありました。しかし、私に関して言えば、やっとスマホに替えて自分でももっと活用範囲が広がるのかなと思いきや、携帯を見る機会は極端に減りました。契約してい通信容量は5GBなのですが、1か月でわずか2GB台という程度で以前よりも使用頻度は減少したのです。その理由を深く考えたことがないため、原因はわかりませんが、ともかく日常的にスマホを携帯しても、電話通信以外はあまり使っていないのが如実に表れています。

さて、そんなそんなスマホですが、私は情報をスマホに集中しないようにしています。例えば、地図検索もできるだけアナログの紙地図を見るようにしています。古い自動車に乗っているためもあり、車にはカーナビもなくスマホの現在位置情報から目的地へのルート案内という便利な機能もあるにも拘らず、ほとんど利用していません。特に函館市内を走る時には、全く使っていないと言っていいでしょう。それは、もちろん函館の道に慣れているという理由もありますが、一度ナビを使うと道を覚えることができなくなるからです。ナビを確かに便利ですが、人間に「考えさせる」という作業をしなくても済むようにさせてしまったのです。函館全体の地形、幹線道路はどのように走っていて、ある地点から目的地までどの待ちや道路を使って辿り着けばいいのか、それは自分の頭の中にある地図が一番確かです。
実際、ある街に転勤にして、その街を確実に走って仕事をするためにナビを使ったら、市内の道がどのような組み合わせ・経路・前後関係になっているか全く覚えられずに、結局ナビを使用せずに「紙」の地図で路を覚えた方もいらっしゃいます。

また、買い物もスマホではなるべく支払わないようにしています。もしもスマホを紛失して、あたふたしているうちにペイシステムをスマホに集中させている、誰かに使われてしまうかもしれません。まぁ、その場合クレジット会社も対応策を考えてくれているでしょうが、プリペイドカードなどはまだカードにしています。
私はiphoneを使用していませんので、Apple Payは当然使用していませんが、それに似たようなPayシステムも導入していません。
なぜなら、便利なものにはそれと同様の失うものがあるからです。
例えば、先のカーナビ。人間が持っている脳の能力を確実に低下させます。地図という図形と実際に走って得る線との融合の繰り返しで、場所の位置関係をインプットするという脳の作業を必要とせず、点と点を結ぶだけでその途中からちょっと外れた道路や街並を経験することができなくなり、脳内で街全体を俯瞰することができなくなってしまうのではないかと思いまする
種類は違いますが、私も30代前半までは通常の計算は暗算で行ってお客様に説明していたのですが、ある先輩から「暗算が得意なのは充分わかるけれど、お客さんに金額の話をする時は電卓でちゃんと数字が出ている方が安心してもらえる」と教えられ、お客さんに信頼してもらうためにはその方がいいだろうなと計算は全て電卓でするようになってから、暗算の能力は着実に下降しました。今ではこんな暗算もできないのかと自分でも情けなくなるくらいの程度です。

テクノロジーのおかげで色々便利になっていますが、アナログなこともして行かないと最新なものを駆使しているようで、考える力はどんどん衰えてしまうのかもしれません。先日自動車のタイヤがパンクしてスペア用のタイヤにとりあえず交換するという作業ができない男性がいました。何かあったらガソリンスタンドでやってもらう、と話していましたが、以前オイル交換も自分でやっていた私にとっては信じられないことでした。
最後に再び述べます。便利さは人をどんどん無能にしていきます。たまには体や頭を使ってアナログなことをやることが必要ではないかと、還暦を迎えたおじさんは思うのであります。


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えー、長く生きていますと、ついこの前まで子供だと思っていた若者がいつしか大人っぽくなってびっくりしたりすることがありますが、企業も同じように北海道のローカル企業だと思っていたら、いつの間にか全国展開していたり、道外での認知度が高くなっていたりした企業があります。

そんな企業を思い出しながら、ちょっとした逸話を交えながら並べてみるのも面白いと思いまして・・・・、まぁ、あまり役に立たないかもしれませんが読んでみてください。

1.ホーマック  昔は札幌で石黒ホーマという名前で営業していましたが、ホーマックに名称変更をしてから急速に全道や本州にも店舗拡大されましたね。東北でホーマックを見つけてしまうのも不思議な光景ではなくなりました。

2.ツルハ   札幌が発祥かと思っていましたが旭川の薬局だったのですね。気が付いたらいたる所にツルハが(笑)ちなみにホーマック同様イオングループの提携店であることも注目。

3.アインファーマシーズ  アルバイトの女性の提案で札幌中心部に前例のないドラッグストアと化粧品・雑貨をお洒落に陳列したお店(アインズ&トルぺ)を作り、売り上げが急成長。その後アインズ薬局が全国売上No.1の調剤薬局店に躍進。

4.ニトリ   似鳥家具店が発祥。今はわかりませんが、北区のわかりやすい場所に社長宅があり、何となく親しみを持って見ていたが、バブル崩壊の倹約ブームの中、それまで嫁入家具の相場が50万円だったのに対して゜、ニトリであれば20万円でそろえることができると全国的に店舗を拡大。資材となる木材の海外直接購入などの独自の営業展開で全国規模に。

5.びっくりドンキー  札幌の一部で店舗数が少ない頃は、「ドナルドダック」という名のハンバーグレストランでしたが、店舗拡大していくうちに、たぶんこりゃまずいと思ったのでしをょうか、びっくりドンキーという名に変更になりました。会社名もカウベルカンパニーからアレフになっています。ちなみに、今はどうかは知りませんが、壁などに使用されているガラクタのような建材は社長自ら探して持ってきたものだそうです。

6.六花亭   函館市宝来町に総本家がある千秋庵の帯広店としてスタート。当時、まだ小さな会社だった頃、従業員が全員持家を建てたのを確認して、やっと社長が自宅を建築したという従業員を大切にしている会社。全員建てるまでは社長はアパート暮しだったそうです。

7.石屋製菓  40年近く北海道のお土産の定番として揺るぎない知名度を持つ「白い恋人」。創業者の二代目である石水勲氏はアポが取れないことで有名でした。コンサドーレ札幌は石屋製菓のバックアップがなければ今活躍できていなかったかもしれません。

8.LeTAO   驚くなかれ本社は千歳。千歳で作りながら小樽をイメージするRUTAOというブランドで営業展開したのは、企業の柔軟な発想が窺えます。今やお土産にしたいもの全国No.1になっていますね。

その他・・・・函館では元北日本信販が現在のジャックスであるとか・・・・・雪印・・・・・・サッポロビール・・・・・などもありますが、ここ何十年かで飛躍的に有名になった企業だけを列挙しました。
あっ、函館がない・・・・・・・。琴似発祥のつぼ八を忘れていた・・・・・。




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たまにはどうでもいい話を。

私が本当に小さな子供だった頃、他の子供たちと同じようにウルトラマンを夢中になって見ておりました。よく覚えているのは、万年筆かボールペンとか「ペーターカプセル」に形が似たものを右手高く掲げて「シュワッチ」と何度も変身しようとしていました。そうやると、実物は何も変身していないのに、何となく強くなってどんな怪獣にも立ち向かえそうな気持ちになっていました。

私にもそんな純情な時があったのですね。しかし、それも実は束の間で、毎週見ていると色々な疑問を持つ、私の素直ではない性格が殻を破ってむき出し始めました。その疑問を列挙したいと思います。

1.ウルトラマンは地球上で活動できる時間は3分間で、それを過ぎると黄色→赤と信号機の法則通りの変色することになっているのですが、3分を過ぎてもカラータイマーが黄色に変わらなかったり、逆に3分も経っていないのに色が変わったことがありました。そう言えるのは、私はちゃんと時計を見ていたからです。それは猜疑心からではなく、ウルトラマンがあと何分戦っていれるか気になっていたからです。

2.そしてカラータイマが点灯するとウルトラマンは必殺技「スペシウム光線むを放ち、一種にして怪獣を倒してしまうのですが、なぜ最初からそれを使わなかったのか。たった3分間ちょっとしか戦えないのだから、最初に使ってしまえば、自分が苦しむこともなかったのにと不思議に思えました。

3.また、3分以上戦いカラータイマーが限度に来ているのに、怪獣を倒すと「シュワ!」と宇宙に向かって飛び去って行く。この時間はカラータイマーの時間と関係ないのだろうか?途中で時間切れとなって飛べなくなり、地球に落下してしまうことがないのだろうか?

4.また、宇宙まで即座に飛んで行けるくらいの上昇推進力があるのなら、怪獣の攻撃も軽くジャンプしたらサッとかわせたのではないか。どうしてまともに攻撃を受けてしまうのか。理解できなかった。

5.水深が深そうな海中で怪獣と戦って、やっと海面に浮上したと思ったら、海面がウルトラマンのひざ下くらいまでしかなかった。それまでどういう戦いをしていたのか、さすがの子供でも不思議に思えて仕方なかった。

6.見事、怪獣を倒し、一度宇宙に飛び去るウルトラマンが、再びハヤタ隊員という人間に戻るのはどういうプロセスを経て可能になるのか?

7.ハヤタ隊員が「ベータカプセル」を右手に掲げて変身しようとしているところをフジコ隊員以外に見られたことはなかったのだろうか?現代であれば誰かがスマホで動画撮影して話題になっているはずですね。

8.そもそも怪獣はどうして日本にばかり登場するのか?

9.結局科学捜索隊だけで怪獣を退治したことはあったのでしょうか?ウルトラマンがいなければ科学捜索隊は全滅していたのかもしれませんね。

こうやってちょっと思い出しただけでも色々な疑問があるのですが、それでも毎週欠かさずテレビの真ん前で見ていたということは、やっぱり面白かったのでしょうね。微かにピアノ線が見えても子供にとってはファンタジー以外の何ものでもなかったのだと思います。





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私のネット上での発信は、函館開港150周年記念事業の一つである、「ハコダテ150」というサイトの中の写真投稿からでした。今から思うと、あんな稚拙な写真でよく臆面もなく公共の場に公開したなと、恥ずかしい思いでいっぱいでしたが、その投稿で世の中に対して初めて発信というものをし、少しだけ勇気をもらえたものでした。
そして、2010年1月、ある考えからこのブログを開始しました。
当初はこのブログで自分の考え述べ、自由にコメントをし、意見の交換の場にしようとしましたが、どうもブログの性質上、問題提起に対するそれぞれの意見の交流とはならず、私の考えに対する批判・賛同(批判の方が多かった、笑)が中心となってしまい、主宰者の思惑とはかなり方向が違ったものとなったため、また、批判するにせよ、それなりの建設的な意見が欲しかったのですが、それも意図とはかけ離れてきたため、コメントは承認制に変えざるをえなくなってしまいました。

そんなことをブログ上でやっているうちに、世の中ではtwitterが急激に広まり、私も私的業務上登録しました。現在も登録は継続しています。
ところがtwitterの匿名性ゆえの投稿の信ぴょう性や質が問題となり、その後中近東で民主化を大きく進めたfacebookが注目されると、周りの方々が徐々にfacebookへの登録を始めました。実名でのネット上での交流の方が、言葉を発信するにしても節度を持って行われ、より紳士的な場になる、という見方が大勢を占めていました。これも私的業務上の関係で登録をしましたが(これも続けています)中にはfacebookでの投稿が多くなるとブログの更新を行わず、「もうfacebookだけでいい」という方も出始めました。そしてtwitterのアカウントも削除してfacebook一本になった方もいらっしゃいました。<br>

そんな中、私はtwitterもFacebookも退会せずに同時進行でブログも継続しています。なぜなら、それぞれにはそれぞれの特性があり、その特性に応じた使い方をすればいいと考えているからです。
実際に特に若い方には、facebookに登録はしたけれどほとんどページは開いていないという方もいたり、また、色々な人間関係が浮き彫りになる、あるいは個人が特定されているので、決して歓迎できないコメントやメールなどを受けなければならないことに疲れてアカウントを削除したり、メッセンジャーだけを利用しているという方も現れました。これはある程度自分が登録した段階で予想できたことでした。SNSと言っても、一部の人を除くと、「友達」になっている数はせいぜい「村」程度の人数だからです。その狭い村社会では面倒なことが起きるのは容易に想像できます。ですから、これは日本人の特質なのだと思うのですが、あまり余計な投稿はしないようにしよう、なにもせずに黙りこくってしまおうという方々が多くなるのは日本社会では自然の流れになるだろうなと思っていました。ちなみに私もfacebookへの投稿数は減っています(笑)

さて、SNSの魅力(?)のひとつに「いいね」があります。これをたくさんもらえるのが嬉しくなって頻繁に投稿したりしているだろうと思われたり、あるいは投稿した自らが自分の投稿に「いいね」したりする人がおりますが、私はこれを「いいね依存症」だと思っています。たとえば、自分の職業上での告知や活動上の告知のために広く知られる必要があり、その告知効果の反響のひとつとして「いいね」を目安にしている方もいらっしゃるかもしれませんが、問題はそうではない方がこれを望んでいたりするとこれはちょっとある種病的な領域に入ると思うのです。

それは、たぶん今一番アクセスがあるだろうと思われるinstagramでも同じだと思います。いわゆるインスタ映えする画像を投稿するのに一生懸命工夫を凝らすのも「いいね」が欲しいというのがどこにあるからなのでしょうね。でも個人的には、instgramは写真作品の発表の場だと思っていますので(そもそもinstagramはiphoneの撮影能力や編集能力を世界に宣伝するために作られたと思っていましたので)、どうも日本人の投稿と世界での投稿の写真を見比べてみますと、日本人の写真はどうも「作品」にはなっていないものが多いようです。私もとりあえず登録はしていますが、まだ投稿は全くしていません。理由は、自分が思っているinstagramの投稿すべき作品がないからです。そして、もし投稿するなら世界の方から見てもらえるものにしたいと考えているからです。

さて、色々なSNSを否定的に捉えて発言しましたが、もちろんいい機能・効果もあるわけですし、使い方はそれぞれの意図があるだろうから上手く使えばいいと思います(例えばfacebookは友人への「今自分はこんなことをやっていきているよ」という手紙の代わりのようなものに使うだとか)ただ、いずれにしてもSNS依存症にならないように適切な距離を置いて使えばいいのではと考えております。

そして、最後にブログについてですが、これはSNSでのタイムライン上に自動的に記事の全文が乗る物でも何でもなく、読みたいと思った方やちょっと関心を持った方が自らの意思で、それも別に私と「友達」ではなくても誰でも見てもらえるツールです。特別な人間関係がなくても、何かに登録しアカウントを作成しなくても、世界中誰でも見ることが可能なものであります。
色々なものに登録しアカウントを作りましたが、いつまでも継続したいと考えているのは、やはりブログです。



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来年の消費税増税での減税(現状維持)案の中でキャッシュレスでの支払いは2%減税というものがあるのは皆様ご存知だと思います。
それが本当にいいのかどうか(クレジット支払いによる販売側の手数料負担等を含めて)、そのことについては何とも今の段階では言えませんが、新消費税制でキャッシュレス支払での優遇があるかどうかに拘らず、時代の流れとしてはキャッシュレスの方向に流れて行くのは間違いないと思います。

そこで、このブログでは極めて珍しいのですが、私が日常的に利用しているキャッシュレス決済とそれを利用することによって生じるポイントの相乗効果についてお話ししてみたいと思います。

なお、私の話はそれほど所得の多くない一般庶民の策であり、そんなのいちいちやるのは面倒くさいというお金持ちの方々には参考にならないと思いますので、その点をご了承くださいますようお願いします。また、これはあくまで私の生活指向上での使い方ですので、全く参考にならない方もいらっしゃる方もいることをお断りしておきます。

前置きが長くなりましたが、私がキャッシュレスとポイントについて関心を持ったのは、最初はカメラをネットショップで購入するために色々調べ始めたことから始まりました。どうしても店舗で価格調査をしますと、ネットで販売されている物が安く、しかも送料無料ということであればそちらに関心が移ってしまいます。そんな価格比較ををして、いざ購入しようとすると代金決済をどうしたらいいのかという問題に直面します。そこで私はクレジットカードを作り決済することにしました。すると、そのサイトで購入すると付帯してくるポイントもつき、また、クレジットカードを使ったことによって、その金額分のポイントもついてまいります。
例えば、実店舗で35万円で販売しているカメラが、ネットで30万円でなおかつポイントがそれなりに着いてくるとなると、そちらで購入する方がいいに決まっています。もちろん家電量販店でも独自のポイントが付加されて貯めることができますが、楽天などの大手ポートサイトであれば、付与されたポイントで違うものをポイントを使って購入することができます。しかし、これもまた、主に楽天市場等の楽天グループでしか使えない場合があるため、特に買いたいものが無い時、ポイントが執行してしまう場合があるのが欠点でもあります。

それはチャージ式のカードにも言える部分があります。セブンイレブンのnanakoカードは、セブンイレブンやイトーヨーカドー以外は使えるものは限られています。また、nanakoでポイントが付くのはカードにチャージして使用して初めてポイントが付くわけで、現金支払いをしてnanakoカードを提示してもポイントになりません。商品の価格にはセブンイレブンだけではなく、どこでも付与されたポイントが消費されたとしても利潤が発生するようにしているはずですので、現金で払ってポイントが付けないというのは、セブンイレブンの利益に貢献しているだけで、現金で払うと、逆に払わなくてもいいお金を実は払っているということになります。そして、これもまたポイントを使用できるのはセブンイレブン系列の店舗に限られるシーンが多いのが欠点です。つまり、ずっとセブンイレブンを利用しないといけないという不自由さがあります。

そこで私が最近特に利用しているのが、Pontaカードです。そう、ローソンのポイントカードですが、最近、スマホのおさいふ携帯昨日の中に、Pontaポイント機能ができましたので、スマホを読み取り器にかざすとカードをスキャンしたのと同じことになり、ことつ財布からカードを減らすことができました。このPontaポイントは現金で払っても何で払っても必ず付与されるものですので、ローソンしか使えないカードを持つ必要がありません。私が今使っているのは、docomoのD CARD PREPAIDというものです。スマホのキャリアがdocomoであるため、当然毎月のモバイル料金支払いの際にdポイントが付与されるのですが、このカードを利用するとそのdポイントに地道にですが、加算されて行って今では2万円以上のポイントが貯まっています。それを、d CARD Goldの年会費の支払時期に、docomoからの請求額から相殺すると、年会費を払ってもかつ通常の通信料金もかなり安くなるという利点があります。
しかも、このd CARD PREPAIDは楽天のedyやnanakoのような、あるいはWAONカードのような単なるチャージして決済しポイントを得るというものだけではないのです。d CARD OREPAIDはMasterカードと提携しているクレジットカードであるということです。例えばedyでデパートで買い物はできませんが、Masterカードが利用可能なお店であればd CARDが使えないところでも利用できるのです。もちろん購入する分だけの金額がチャージされているというのが前提ですが。
ちなみにこのプリペイドカードの1日のチャージ限度額は30万円となっていることから、クレジットカードの前払いという機能が高いことが理解できます。実際にd CARD PREPAIDで代金決済をしますと、領収書にクレジット決済という言葉がプリントされてきます。edyやnanakoではこのような文字は出て来ません。つまりクレジットカードの後払いか先払いかの違いだけということになります。これはDebitカードも同等の性質を持っていると言えるでしょう。参考までに、D CARD PREOAIDのカード発行元はNTTファイナンスではなく、三井住友カードとなっております。

さて、話をPontaカードに戻しましょう。Pontaポイントの最大利用上のメリットは、提携先が多いということでする私は年に何回か旅行に出かけますが、基本的にはじゃらんで宿を予約しています。そしてじゃらんで予約して泊まったら、ポイントが付きます。その時JALを利用すると、マイルをPontaポイントに移行することができます。それと日常ローソンで購入して得るポイントを合わせて行くと、何か月するとけっこうなポイント数になっています。そしてそれを使って気が向いたら次の旅行に少しでも安く行けるように利用します。この繰り返しをここ何年か行っております。参考までに、昨年東京に行った際は航空機と宿のパックで約10万円の所を貯めたポイントで7万円台で行くことができました。

最初にお話ししたように、人によって生活の指向が違いますので参考になるかどうかわかりませんが、このようにして、もともとどんな支払い方をしても、その料金に既にポイント分として計算されて要る部分がある以上、それを利用しないということはもったいないことだと思います。それであればポイントを貯めて何か自分の好きなことをするために、あるいは買うために、あるいは給料日前でふところが寂しい時に、そのポイントを使うということは、一般庶民にとっては大変助かるものだと思います。

ちなみに私は、個別のお店で発行しているポイント券(食事する度に判を押すという、あれは一切財布に入れていません。なぜならどこのお店で食事をするかはその時の気分で決めたいからです。そのに行かなければ付与されず、そこでしか使えないものに束縛されたくないとうのが正直な考えであります。
たぶんこれからは一つのポイントで他のポイントとも互換性を多く持ち、スマホにまとめることができて、カードもプリペイドカードやデビッドカードのようなものが台頭してくると思います。それらを上手く使いこなすと、増税後の実生活へのささやかな知恵として活用できるかもしれません。



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今、テレビの報道番組で必ずと言ってもいいほど特集を組まれている、積水ハウスの五反田の物件が舞台となった詐欺事件について、たまには本職の立場から話してみようと思います。

まず、皆さんは天下の積水があんなインチキな集団にいとも簡単に騙されるものなのかという疑問を持つと思いますが、それが可能性としてあるのが不動産の流通市場なのです。その理由が今回のタイトルである「怪しい不動産こそ魅力がある」故にあるからなのです。
可能性と申し上げたのは、私が実際に行ったことがないからで、もちろん実際にやったことがあったのなら、ここでこんなことを話し始めることはできるはずがないわけですが、ともかく経験上その「可能性」があるのは理解できます。だが、今回のように事件として取り上げられ、本格的な捜査が入らないという運があったらという前提での話ですが・・・・・。

その「可能性」の手段・方法は、ここでは話しませんが、ひとつだけその可能性を高くできるものをお話ししますと、公的証明書を精緻に偽造できる技術です。これがあれば、(運が良ければ、あるいはその物件を取り巻く状況に隙が生じていたなら)詐欺は事件とならない可能性があります。
それをお話しするのが今回の記事の目的ではありませんので、これ以上はお話ししませんが、そもそも何となく怪しそうな人物たちにどうして騙されたのかにはある理由があります。それは、希少価値の高い物件ほど表に出回らないからです。例えば、皆さが普段通りにいつもの道を通っていたある日、今まであった建物の解体が始まり、「売物件」という看板も何も立たずに、そのうち新しい建物の建築がはじまっていた。こんな経験は誰にでもあるでしょう。このような物件は不動産業の世界に身を置いていても気が付かないことが多いのです。いわゆる「水面下で動いていた物件」だからなのです。

このような物件は意外と多いものです。たまに、この不動産会社、お客さんが全然来ていないのに商売やっていけてるの?と、疑問を持ってしまう会社を見たことがありませんでしょうか?そのような中で水面下で動くことを専門に行っている会社があるのです。
さて、どうして水面下で動く物件というものができるのかと申しますと、よくあるパターンが、企業所有である物件です。不動産業でも何でもない企業が、自ら所有する不動産を売却したいと思っていたとします。その理由は色々あるでしょうが、それはそれとして企業が最も怖れるのが、売りに出ているのが表面化して、「不動産を売却しなければならないほどあの会社経営状態が芳しくないのか?」という風評被害であります。本当に経営改善のためだとしても、不必要な疑念を第三者に与えるのはどの企業も好ましいものではありません。ですから、水面下で売買を成立させることができるような不動産会社に依頼をするわけであります。
こんな経緯で売りに出された物件ですから、当然その情報自体希少価値があります。この情報はとても大切に扱われます。こういう物件を購入する可能性のない所には、任された不動産会社は決してその情報を流したりいたしません。私も同様のことをしておりました。まず検討の開始もしない企業等には持って行きません。その鼻をきかせるのが担当者の役目なのですが、そういう情報がたまには今でも私の所に流れてきたりします。函館の物件が東京の某大手不動産会社から。

そのような情報活動の中から上手くマッチングできたら、私たちの知らないうちに売買契約が成立されていることになります。
もちろん私もそのような販売方法で契約を成立させたことがいくつもあります。例えば、とても気になる空地があったとします。そこで登記所でその土地の所有者を調べて、時には直接訪問して、時には電話して、どちらもできなければ手紙を送付したりして売却の意思があるかどうかの確認(あるいは交渉)をします。その中で明確にいくらで売るという金額を提示されたわけではないが、「欲しい人がいたら売ってもいいですよ」という返答があったらそれは「水面下での売物件」になるのです。ただしこういう場合は、明確な販売金額は所有者のとの間では確認できない場合があります。所有者としてはできるだけ高く買ってもらった方がいいに決まっていますので、あえて価格を具体的に話すことはありません。
ではどのように販売したらいいのか?よく私たちは住宅地図の該当物件の箇所にサインペンでしるしをつけて、○○○㎡(○○坪)という数字を手書きして、せいぜい測量図程度のものを添付して検討してもらえるだろうと思われる所にその情報を持って行きます。

これは、ネットで簡単に売物件を調べることのできる現代の流れとは正反対のことです。しかし、情報に埋もれている時代だからこそ、このような物件の情報を提供すると相手側は強い関心を示すわけです。その相手側は、個人の場合であると、医者や会社経営者などのいわゆる高額所得者であります。そのような方々は一般的に流通されている物件にはあまり関心をもつことがありません。「ああ、あの物件、知ってるけどね、もっといい物件ないの?」という話になってしまうわけです。そのような方々に先ほどの地図に記しをつけただけの物件情報を持っていくと、「ここが売られることになるなんて知らなかった」という驚きと、市場に出回っていないという希少性から、もっと詳しい情報が欲しいという話になって行きます。
そこで、いくらだったら買いますか?という打ち合わせをして、売主の所に話しを持って行きます。ここで初めて売主が売りたいと思っていた金額がわかることが多いのですが、その金額と契約条件等を話します。これで多少の価格の際があったとしても双方が妥協できたら、どちらかが折れたら売買成立となります。その時、(木々和洋が売主の場合もそうですが)別に売るつもりはなかったのだけれど、どうしても欲しいという人がいたから売ってやったんだ、という言い訳を売主はできるのです。
買う側としては、立て看板があり、ネットにも情報が流れている「さらしもの」になっている物件ではなく、まるであなたのために用意された物件という魅力を感じてしまうわけです。

何度も申し上げますが、このような「水面下」物件は特に大都市部の一等地には多くあります。あるいは希少で価値の高い物件は、このようなものに多く存在します。それはどこの不動会社も知っています。だから、積水は策略にはまってしまったのでしょう。

表面に出ない怪しい物件ほど魅力があるというのは、こういう現在の不動産流通システムがまだ残っているからだしょう。でも、需要と供給のバランスが保たれている以上、「表に出ない物件」は今後も減ることなく「話」がその業界の中で飛び交うことになると思いまする
なお、最初の偽造等のはなし以外は違法でも何でもない取引のやり方であります。ですから、それを利用して「詐欺」の話にしていくことができるのでしょうが・・・・。



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昨日の報道で、今年のノーベル平和賞にコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ氏とイラクの少数派ヤジディ教徒ナディア・ムラド・バセ・タハさんに授与されることが決定されたことを知った。最初の感想は、少なくとも一部に候補として挙がっていた中国の習近平国家主席と北朝鮮の金正恩委員長のダブル受賞やトランプ大統領でなくてよかったというのが正直な気持ちだった。
これらの者たちに賞を与えるのはあまりにも軽率であり、ノーベル賞の品格が下がると思ったからだ。(ノーベル賞の品格がどれほどのものなのか、ちゃんとしたことはわかっていませんが)

さて、今回の受賞予定(本人にも拒否をする権利があるため)の両者に共通しているのは紛争地において起きている女性への性暴力に対して行動をとった方々だが、この方々に対してではなく、受賞の理由などに少し疑問を持った。それは報道の表現の仕方なのか、本当にノーベル賞委員会がそう言ったのかはわからないが、「紛争地で兵士が行った性暴力という残虐な行為に対して・・・・・」という表現があった。
私はこういう言葉を聞くたびに疑問を持ってしまう。

人間にとって最も残虐な行為とは、どんな理由があろうとも、それは殺しである。戦争はそれを互いにやる最も残虐で非理性的な行為だ。人間が行う行為として最も愚かで絶対に許されないものである。しかし、国際法で戦争時における性暴力は戦争犯罪であるという内容の定義づけをしているようだが、これ自体が私にはよく理解できない。性暴力は戦争時であろうが平和時であろうが、犯罪であるという本質性には差がない。それを戦争時においてという状況設定することによって行為の種類が変わるとはとうてい思えない。

国際法には同じように「非人道的兵器」と定義しているものがある。私から言わせていただくと、人を殺すのに人道的・非人道的の差があるのか?ということだ。人を殺す時点でそれはもう「非人道的」行為なのだ。その殺し方を区別するのはおかしい。例えば機関銃の銃弾をかいくぐって最後は敵をナイフで刺して殺すとしたら「正しく正統的で人道的な殺人」になるのだろうか?

今回受賞した両者に対して異議を唱える気は全くない。私がいつもおかしいと思うのは、戦争はあって当たり前という前提で、そこで行われている行為の比較をしている「グローバルスタンダード」というものに対してだ。たぶん私はそういう意味での「グローバルスタンダード」を永遠に理解できないであろう





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