タグ:社会のこと ( 169 ) タグの人気記事

a0158797_22242524.jpg

今回の青森の旅でどうしても行ってみたかった場所にやっと行った。それはちょっとだけ思い切りが必要だった。新青森駅でレンタカーを借りて目的地まで何時間かかるのだろうか?そのために宿泊地に到着するのがかなり遅くなるのも嫌だった。私の旅の流儀として、夕方までにはホテルに着くというものがある。つまらない流儀かもしれないが、ホテルでの滞在も楽しみたいという私の旅のスタイルを変えたくないからだ。

それはそれとして、今回その迷いを断ち切ってその場所に行ってみた。青森県の地図を思い浮かべることができる方は頭の中で想像していただきたい。青森駅の西側にある新青森駅から陸奥湾を北東に進み、有名な浅虫温泉を過ぎ、野辺地を通り越すと、陸奥湾を西側に見ながら北上を続ける。
しばらくの間ただひたすら陸奥湾を北上する。出発して2時間以上走るとやっとむつ市内に入る。すると、国道はその地形に合わせて、今度は西に向かう。その一番最初に目にすることができるのが大湊に停泊している「軍艦」だ。函館ではあまりお目にかかることができない、本格的な戦闘用の軍艦が静かに停泊している。

本当はそれもじっくり見てみたかったのだが、距離感覚がわからない私にはとりあえず目的地に向かうことを優先した。大湊を過ぎてなお西に向かう、そう、それは函館方面から見ると、視認できる下北半島の裏側、陸奥湾に面した道路である。40分程度で行きたかった「青森県むつ市川内町蛎崎」にようやく到着した。午前中に出発したが、昼食はタイムロスを考慮してコンビニでサンドイッチを買い、それを食べながら運転を続けて要した走行時間だった。

a0158797_23323944.jpg

蛎崎の海。これを見るために私はやって来た。ここから北海道は見えない。たぶん青森すら見えていないだろう。津軽半島と下北半島に囲まれた陸奥湾しか見ることのできない、この場所、私の母方の祖先は住んでいた。

a0158797_23360432.jpg

いちおう蛎崎城に住居を構えていたようだが、今から約560年前、蠣崎氏の謀反により討伐され、この地を去って北海道に渡り、上ノ国町に花沢館を作り次の棲家とした。この館は道南12舘のひとつとして数えられ、そのうちのひとつが箱館であった。北海道に移り住んでから間もなくコシャマインの乱が勃発し、それを客奨である武田信弘が平定させ、蛎崎家はやがて道南一の館となり拠点を現在跡地が公開されている勝山館に移した。1514年本拠を松前に移し、やがて蠣崎から松前と名を変えた後、豊臣秀吉に取り入れられてもらい、それまでの安東氏の支配下から独立。その後徳川家康の時代に蝦夷地の支配権を認められ、それから約100年もの後に正式に松前藩として認められた。この時、松前家の中から家老職を担う一族は再び蠣崎を名乗り藩の終焉まで代々松前藩の政に関わることになった。

a0158797_23545228.jpg

簡単に書くと、従来の機銃地を追われ、新天地で成功を収めた話に聞こえるかもしれないが、決して盤石な基盤に立った藩ではなかった。全国の中でも年貢を米で納めなくてもいい特別な藩として扱われたのはいいが、経済基盤は海産物などの漁によって左右され、決して安定的とは言えないものだった。また、兵隊組織も盤石ではなく、旧幕府軍の北海道上陸の際にはあっさりと敗北している。その前にも2度ほど幕府直轄の支配地となってしまっている経緯がある。

a0158797_07272376.jpg

その蠣崎家が記録として登場する最初の地が、下北半島の蛎崎という小さな集落だ。何も知らずに車で走ると、あっという間に過ぎてしまうほど小さな街だ。近くの川内の街の方が昔栄えた面影が残っている。広大な屋敷らしきものも見られた。
本当に蠣崎家はこの場所で川内方面に勢力を及ぼしていたのだろうか?そんな疑問をどうしても持ってしまう。今回はただこの街を少し歩いただけだったが、今度来る時は時間を充分取り、簡易郵便局の方などに尋ねて少しずつ紐解きをしてみようと思った。

a0158797_07515348.jpg

今回時間をとれない強行軍で訪れたのは、蛎崎の海を見てみたかったからだ。蠣崎家はこの浜から北海道を目指したのだろうか?実際に現地に立って考えてみると、どうもそうは思えなかった。色々なパターンを考えてみた。蛎崎を追われた蠣崎家は下北半島の北側、つまり津軽海峡に面したどこかから蝦夷に向かった。だが、このルートであると蠣崎家が現在の戸井・恵山などの箱館より東側方面(太平洋側)に漂着し、そこに居を構えた方が自然に思えるが、実際は正反対の西側(日本海側)である上ノ国に移住している。そこから推測されるのは、一度下北半島から八戸南部の目が届かない津軽半島に向かい、それから日本海ルートで上ノ国に上陸したのではないかということだ。

a0158797_08053980.jpg

いずれにしても、約560年前、蛎崎家がこの地から蝦夷を目指したことによって現在の私がここにいる。
蛎崎家は松前藩解体後、藩の家老の中でも最も貧乏になった一族と言われているが、何となく今の自分を見ると納得してしまう(笑)
それでも、自分の中にどこか武家の心が残っているような気がする時がある。それはきちんとした理念などの言葉で表せるものではない。でも、仙台や弘前などの城下町を訪れた時に、「ここは訪れるべき場所だったのだ」と頭のどこかで感じてしまう曖昧な感覚はいつも感じる。そして、たまたま私はそのような場所に旅することが多い。蛎崎を離れてから向かった先は八戸南部藩があった八戸だった。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_22315940.jpg


今日、仕事から帰宅して、いつものようにPCを起ち上げメールチェックをした。朝に一度チェックしてから帰宅するまでの間、何十件ものメールが送られてきている。それらの大部分は登録してあるネット通販サイトからのもので、いちいち配信停止にするのも面倒なので「送られるがまま」にしていた。その気になればいつでも配信停止にできるからと。しかし、受信するメールの中には、明らかな詐欺メールが混じっている。だか、それらはほとんどパターン化されているためだいたい分かるし、そもそも怪しいメールはすぐ迷惑メールフォルダに登録してポイしてしまう。その中でも特にわかりやすいのは英語でのメールだ。私はインターナショナルな人間ではないので、英語で誰かからメールをいただくことはない。だから、即断で迷惑メールに振り分けることにしている。それは慣れたことだった。

しかし、今日多くの受信メールの中で思わずしっかり読んでしまった英文のメールがあった。どうしてそれを読んだのかというと、最初に私のパスワードが書かれていたからだ。それも今ではわずかのサイトでしか使っていない古いパスワードであった。それでも自分のパスワードを知っているとなると気になる。必死にその英文を読もうとしたが、わからない単語なども多く、自動翻訳システムを使って日本語で読んでら何となくわかったのだが、確証を得るため同じようなメールを受け取った人がいないかネットで検索すると、類似したメールは、あった。

そのメールはとても長い文章であったが、ポイントをまとめてみると以下のようだった。

「私のパスワード」次に「私のメールアドレス」が記され、私(送り側)はあなたのパスワードから、あなたが利用しているサイトを調査し、あなたの友人や家族などの情報を持っています。また、あなたがポルノサイトを閲覧中の「幸福に満ちた顔」をPCのカメラから取り込み保管しています。(ここはちょっと疑問)私はあなたの生活やネット上での交信なども全てチェックできています。(つまり、私のネット上の情報は丸裸になっているということを言いたいらしい)

私が持っている情報に対してあなたが撮るべき行動は2つである。一つ目は、このメールを無視すること。すると私は自動的に1日後にMessengerなどを通して、あなたの「恥ずかしい姿」を一斉送信します。そしてあなたの「恥ずかしい姿」は親族・友人に知られることになるでしょう。(思い当たるふしはないが、恥ずかしい画像を強いて挙げれば、PCの前でパンツをはきかえたことだろうか)
二つ目は、私はあなたの秘密を守秘するので、指定されたサイトにアクセスして、$8000のビットコインを購入すること。となっていた。なぜビットコイン?ますます疑わしい。
でも、このようなメールが来るとやはり不安にならないと言ったら嘘になる。そこで、数少ない昔のパスワードを変更し、おまけにWindowsの起動パスワードも変更した。もし、それにも拘らず、明日私の知人に私の「恥ずかしい写真」が送られましたら、これは本物と思ってみなさまもご注意ください。

久々に英文をまじまじと読ませてもらったメールでした。たぶん明日何も起こらないと思いますが、もし「私の恥ずかしい写真」が送られてきましたらご一報ください。

詐欺メールも手が込むようになりましたね。今後も気を付けましょう。





いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_09120621.jpg

ある高齢者がそう言っていた。
「だから毎日歩くようにしているんだよ」
私もそう思う。

でも、ただ歩くのも大変だ。長時間歩くには、時間を忘れる風景とそれを楽しむ自分が必要だ。
私には幸い、西部地区というご近所とカメラがある。
歩く理由はいっぱいある(笑)

a0158797_09154749.jpg

a0158797_09162101.jpg

おかげで、酔いの勢い(体の麻痺?)があると本町から入舟町まで歩いて帰ることができる。
はい、狙い目は酔った時です(笑)



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_22234791.jpg

平成は震災の時代だった。まだ平成が終わったわけではないが、もういい勘弁してくれと言いたくなるほど、私たち日本人は目を覆いたくなるような悲惨な光景を目の当たりにされてきた。

平成の震災による悲劇は北海道南西沖地震から始まった。
それは平成5年7月12日午後10時17分、私はちょうど仕事から遅く帰り函館駅前付近を走っている時だった。突然車のハンドルが左側にぐいぐいと引っ張られた。右側に何度ハンドルを切ってもそれ以上の力で車は左側に吸い込まれるように向って行った。最初はタイヤがパンクしたのだと思った。やれやれ、ともかく減速し様子を見ようとした時に何気なく街路灯を見たら大きく揺れていた。それでやっとこの異常な車の状態が自身の揺れによるものだと判断した。
そこで私は駅前の高層ビルの前を静かに通り過ぎ、建物が倒壊しても車まで被害が及ばないだろうと思われる2階建ての建物の前で一時停止し、地震の様子を窺った。
少しして完全に揺れが止まったのを確認して車を発進させた。25年も前のことだが、その時の恐怖は鮮明に覚えている。
幸いに自宅には大きな被害はなく胸を撫で下ろし、通常通り眠りについた。しかし、翌日震源地に近い奥尻島の被害の状況をニュースで知ると、理解することのできない出来事が起こっていたことがわかった。津波や火災で小さな島の中で多数の人々が亡くなってしまっていたのだった。

結局この地震での死者は202名だったそうだ。津波は10メートルの高さまで達したようで、これが都市部であったら被害者はもっと増大していたのだろうと思った。

それからたったの2年後の平成7年1月17日、あの阪神・淡路大震災が起きた。翌朝のニュースではとてつもない大きな地震が発生したことがわかった。未曾有の規模の被害だった。まるで地獄絵図のようだった。

そのボロボロになった市街地がやっと落ち着きを取り戻した頃の平成16年10月23日、新潟県中越地震が発生した。その何年か前に、私は新潟県に住んでいたため、気が気ではなかった。知人に電話し無事を確認したり、現地の情報が知りたくてたまらなかった。
ひの中で、私が仕事で度々通っていた道路で崖崩れが起き、親子3人の内2名が死亡、無小さな子供だけが偶然できた空間の中で生きて救助されたことは記憶に新しい。そこは、もし私がそのまま新潟にいたら、ひょっとしてたまたま通り、私が被害を受けていたかもしれない場所だった。本当にこれは運命というしかない。

そして平成23年3月11日

我々の想像や仮定をはるかに上回る規模の津波が発生した東日本大震災。死者数や行方不明者数などは記さない。それは現地を見て人間として受ける感覚で推し測った方がいいだろう。ともかくつなみによって「何も無くなった」それが全てだ。

まだまだ追い打ちをかけるかのように、平成28年4月14日、熊本地震が発生。


そして今日大阪で。

考えないようにと思ってもついつい、「次はどこだ?」と余計な憶測と、繰り返される惨状の記憶。
もういい加減にしてほしい。私たちが生きている間に、地震だけでこんなにつらい思いをさせられるなんて。

ともかく、今は、今日の地震で命を落とした方たちのご冥福を祈るしかない。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_23263365.jpg

時々人との会話の中で、「あなたのこと皆、〇〇だと言ってるよ」という言葉を話す人がいます。
この〇〇が、例えば「皆いい人だって言ってるよ」であるのならいいのですが(誰でも変な下心を感じない褒め言葉なら気分が悪くはない)、その人を批判・非難する意味で使う時、ふと、その人が言っている「皆」とは誰のことなのだろうと考えてしまいます。

その人とお付き合いのある人たちの中での「皆」なのか、それとも、本当はそれほどの数はいないのだけれど自分の考えだとは言いたくないから「皆」という言葉に替えて言ってしまったのか、それとも本当に「皆」なのか?

私はこの疑問を持つようになってから、なるべく「皆」という言葉は使わないように心がけています。それでも滑って話してしまった時、内心「しまった!」と悔やんでしまいます。なぜなら、私の知人の数なんてたかが知れているし、世の中全体のごくごく少数でしかないのですから、それを忘れてまるで正義の代表かのように話すということは、同時に自分の世界がとても小さいということの裏返しになるからです。
仮に知人が1000人いたとしても、函館26万人のうちのたった1000人であるし、北海道530万人のうちのたった1000人であるし、日本1億2650万人のうちのほんのわずかな1000人であるし、世界76億人のうちの1000人なんて0にも等しいくらいの小さな数であります。

それでどうして「皆」と言えるのでしょうか?

そんな風に自分をかばうために「皆」という言葉を使うなら、「自分はあなたのことをこう思う」と堂々と言った方がずっと潔く思うのであります。自分の意見・考え方としてあなたのことをこう思う。もしそれによって相手に不快に思ったとしても、責任は自分だけにありますからね。たまたま何人かと同じ考えを持ったとしても、少人数の考えを「皆」の考えだというのは、自分のキャパシティの狭さをアピールしているにすぎないと思います。

ただし、「周りの皆、あなたとことを心配しているよ」とか、特定のグループ内(会社の部署などもそうですが)での「皆」は本当に皆なのかもしれません。
ともかく、本当に言葉の使い方は気を付けなければなりませんね。


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_22033922.jpg

ここ連日、森友学園の財務局の決裁書改ざん事件に関してのニュースが大々的に報じられていますが、どうも焦点を当てているのが買い残が事実か、政治家が関与しているのかという点ばかりで、それはそれで追及としては大切なことなのですが、なぜ、ある時突然財務省化書き換え前の文書を公表すると、今までの態度を一変したのか気付いていない方もいらっしゃるのではないでしょうか?

もちろん最初は朝日新聞のスクープによって書き換え前の文書があったという報道がなされたことが事の始まりだったのですが、それでも財務省や与党は色々な理由をつけてそれを認める方向の答弁を決してしていなかった。ところが、あるささやかな、スクープというほどのものでもない報道(一言)から事態が豹変したのでした。

それは、財務省が決して公開のこの字も口にしなかったが突然公開すると発表した何日前かの小さなニュース。それまで財務省は、文書は全て検察が押収しており確認できないというお決まりの答弁を繰り返していた時、大阪地検が、「ある程度捜査が進んだので、文書をお返ししてもいいですよ」とのコメントをしたのだ。
この一言で、事態は大きく変わった。返却された文書をまた隠して発表しなかったとしても、いずれ裁判で明らかになる。実際に改ざん前の文書は実在していたのだから、公表しないと、「文書は地検にある」という言い訳もできなくなる。地検からすると、ちゃんと返却したのだから、それを公表したらどうですか?ということを言いたかったのだろう。

財務局にはもう逃げ道は無くなってしまったのだ。時間稼ぎもできなくなってしまった。そこで、(想像では、もちろん財務省と政府が協議し)文書を公表することにし、その落としどころとして、佐川長官の首を差し出した。政府としても全ては官僚がやったこと、政治家・政府は関与していないという方向に無理矢理話を進めざるを得なくなってしまった、というのが本日までの流れだろうと私は推測している。

もともと、公務員の人事に必要以上に口出しし、自分の都合のいい人物を昇進させる安倍体制に少なからずとも、役人側にも反感を持っていた人々がいたという。例えば、財務局局長であった佐川氏が知らぬ存ぜずで答弁を押し通したのちに待っていたのは、国税庁長官というポストであった。
「よく難局を突破してくれた」ということに対する「ご褒美」なのだろう。

その立役者に全責任を押し付けて、辞職させ、自分たちの保身を図ろうという政府の姿勢に、不信感を持つ国民は数多いだろう。
さて、それでも佐川氏は証人喚問で、黙秘や「記憶にございません」と明確な答弁をすることを拒むのだろうか。退職金5000万円をもらえたお礼として。または、今後の自分の立場を「悪いようにしないから」という約束をもらった忠誠心からか(これは想像)。
それとも、自分だけに責任を押し付け、保身を図ろうとしている政府への報復として真実を話すのだろうか。

その結果は想像もできないが、ともかく、この問題が大きく動いたのは大阪地検の「文書を返してもいいですよ」というささやかな一言からだったのを私はしっかりと覚えている。ちなみに、朝日新聞に情報提供をしたのも大阪地検の一職員ではないかと推測されているが、まぁ、「驕れるもの久しからず」といいますか、事態を大きく動かすには強烈な発言は必要ないのです。タイミングを見て、ボソッと一言話すだけで充分なのです。

私も、ボソッと一言つぶやいていることが多いのですが・・・・・・(笑)




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_22221627.jpg

2016年9月7日、私は被災地を巡った。しかし、後悔ばかりが残った。自分が立てたスケジュールはあまりにも安易であった。車でひと通り訪れるという旅程は、政治家の形式的な訪問よりも粗末な訪問であった。

a0158797_22263483.jpg

私は目に入ったものを、ただ写真におさめた。もちろん私にはそれくらいしかできなかった。それ以上の何が自分にできただろうか?
奇跡の一本松に観光バスで訪れる観光客と何一つ変わらない存在であった。いや、それ以上の存在になりえるわけがないのは最初からわかっていたはずだ。

a0158797_22300682.jpg

被災地を巡った後、誰かに何かを話そうとしても何も話せなかった。何を話したらいいのだ?何もわかっていない人間が話すべきことなどない。
だから、このブログでもしばらくは写真すら出すことができなかった。

a0158797_22362696.jpg

陸前高田には何もなかった。何もないものを撮影することがこれほど困惑するとは思ってもいなかった。元々何もなかったのか、何かが無くなってしまったのか、それすらわからなかった。

a0158797_23061887.jpg

しばらく自分にも重たい気持ちが支配した。なんて馬鹿なことを考えて行ったのだろうか?
自分の愚かさを恨んだ。

a0158797_23105709.jpg

だからこそもう一度行きたかった。そして昨年年末に再び訪れてみた。
仙台に着いた日の夜、地元の人たち何人かと話した。その中には、震災被害の後片付けが終わってから両親が離婚したという人がいた。「どうして?」と訊きたかったが言葉が出なかった。岩手県で被災し、仕事を求めて仙台に移住した人もいた。その人は言った。「仙台は真っ先に復興したけれど、地方はかなり後回しにされている」

a0158797_23412558.jpg

その次の日、私は海岸沿いを北上した。だが、今度は写真を撮る気すらなくなっていた。
深く傷ついているのは津波に流された街や人だけではなかった。生き残った人たちにも推し量れないだけのキズを負っていたのだった。
それは決して写真におさめることはできるものではない。

a0158797_23464956.jpg

たぶんまたいつか被災地にはまた行くだろう。
でもその度に人々の心の底を摑めない自分に疑問を抱き、写真を撮ることができるかどうか、今はまだわからない。
ただ、私は日本人の責務として行くべきだという自分の考えに基づいて、3度目の訪問をすることになるだろう。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_22150392.jpg

a0158797_22154150.jpg

a0158797_22161577.jpg

a0158797_22165182.jpg

a0158797_22172798.jpg

a0158797_22180376.jpg

a0158797_22183577.jpg

a0158797_22190771.jpg

a0158797_22194556.jpg

a0158797_22201944.jpg

a0158797_22212773.jpg

a0158797_22220788.jpg




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_22453847.jpg

「記録」を全てモノクロにしました。

a0158797_22465898.jpg

a0158797_22484680.jpg

a0158797_22502819.jpg

a0158797_22512243.jpg

a0158797_22521193.jpg

a0158797_22545277.jpg

a0158797_22575005.jpg

a0158797_22585017.jpg

a0158797_22592647.jpg

a0158797_22595892.jpg




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
a0158797_23385889.jpg

このブログでは、かつて身近や全国的に起きたこと、または世界的な現象についても批評なり批判をしてまいりました。
しかし、特に最近はそのようなこともなく、ほぼ写真中心のブログ記事をお送りしていました。

この頃も、色々と批判したいことがあったのですが、全て飲み込み、表には出さないようにしていました。

批判・批評ばかりしてどうなるのだろうか?

物事は最終的には結果が全てです。
人々の賛同を得たか、人々から支持されたか。その時は話題にも残っていなくても、歴史に残せたのか?

ですから私は批判等はだんだん控えるようになりました。

そんなことより、伝えておかなければならないことはたくさんある。
本日のタイトルもそうです。

どうしても函館という小さな町に住んでいると、正論を話しても「都合上」や「人間関係上」でその関係にある立場の者たちは自分の立場を守ろうとすると、「妥協」や上下関係で認めざるをないことが生じて来ます。
それはそれでいいこともそれなりにありますが、いざ正面切って話し合いをしたら最後には正論はには勝てないのですね。
正論を正論っぽくさりげなく話し、相手に理解をしてもらうこと。これで、たとえば「しがらみ」や「お付き合い」で行ったことよりも社会的な力をもらうことができるのです。

そう、最後に正論は勝つ、ということです。

みなさん、王道を歩んでいきましょうか。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村