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平成は震災の時代だった。まだ平成が終わったわけではないが、もういい勘弁してくれと言いたくなるほど、私たち日本人は目を覆いたくなるような悲惨な光景を目の当たりにされてきた。

平成の震災による悲劇は北海道南西沖地震から始まった。
それは平成5年7月12日午後10時17分、私はちょうど仕事から遅く帰り函館駅前付近を走っている時だった。突然車のハンドルが左側にぐいぐいと引っ張られた。右側に何度ハンドルを切ってもそれ以上の力で車は左側に吸い込まれるように向って行った。最初はタイヤがパンクしたのだと思った。やれやれ、ともかく減速し様子を見ようとした時に何気なく街路灯を見たら大きく揺れていた。それでやっとこの異常な車の状態が自身の揺れによるものだと判断した。
そこで私は駅前の高層ビルの前を静かに通り過ぎ、建物が倒壊しても車まで被害が及ばないだろうと思われる2階建ての建物の前で一時停止し、地震の様子を窺った。
少しして完全に揺れが止まったのを確認して車を発進させた。25年も前のことだが、その時の恐怖は鮮明に覚えている。
幸いに自宅には大きな被害はなく胸を撫で下ろし、通常通り眠りについた。しかし、翌日震源地に近い奥尻島の被害の状況をニュースで知ると、理解することのできない出来事が起こっていたことがわかった。津波や火災で小さな島の中で多数の人々が亡くなってしまっていたのだった。

結局この地震での死者は202名だったそうだ。津波は10メートルの高さまで達したようで、これが都市部であったら被害者はもっと増大していたのだろうと思った。

それからたったの2年後の平成7年1月17日、あの阪神・淡路大震災が起きた。翌朝のニュースではとてつもない大きな地震が発生したことがわかった。未曾有の規模の被害だった。まるで地獄絵図のようだった。

そのボロボロになった市街地がやっと落ち着きを取り戻した頃の平成16年10月23日、新潟県中越地震が発生した。その何年か前に、私は新潟県に住んでいたため、気が気ではなかった。知人に電話し無事を確認したり、現地の情報が知りたくてたまらなかった。
ひの中で、私が仕事で度々通っていた道路で崖崩れが起き、親子3人の内2名が死亡、無小さな子供だけが偶然できた空間の中で生きて救助されたことは記憶に新しい。そこは、もし私がそのまま新潟にいたら、ひょっとしてたまたま通り、私が被害を受けていたかもしれない場所だった。本当にこれは運命というしかない。

そして平成23年3月11日

我々の想像や仮定をはるかに上回る規模の津波が発生した東日本大震災。死者数や行方不明者数などは記さない。それは現地を見て人間として受ける感覚で推し測った方がいいだろう。ともかくつなみによって「何も無くなった」それが全てだ。

まだまだ追い打ちをかけるかのように、平成28年4月14日、熊本地震が発生。


そして今日大阪で。

考えないようにと思ってもついつい、「次はどこだ?」と余計な憶測と、繰り返される惨状の記憶。
もういい加減にしてほしい。私たちが生きている間に、地震だけでこんなにつらい思いをさせられるなんて。

ともかく、今は、今日の地震で命を落とした方たちのご冥福を祈るしかない。




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時々人との会話の中で、「あなたのこと皆、〇〇だと言ってるよ」という言葉を話す人がいます。
この〇〇が、例えば「皆いい人だって言ってるよ」であるのならいいのですが(誰でも変な下心を感じない褒め言葉なら気分が悪くはない)、その人を批判・非難する意味で使う時、ふと、その人が言っている「皆」とは誰のことなのだろうと考えてしまいます。

その人とお付き合いのある人たちの中での「皆」なのか、それとも、本当はそれほどの数はいないのだけれど自分の考えだとは言いたくないから「皆」という言葉に替えて言ってしまったのか、それとも本当に「皆」なのか?

私はこの疑問を持つようになってから、なるべく「皆」という言葉は使わないように心がけています。それでも滑って話してしまった時、内心「しまった!」と悔やんでしまいます。なぜなら、私の知人の数なんてたかが知れているし、世の中全体のごくごく少数でしかないのですから、それを忘れてまるで正義の代表かのように話すということは、同時に自分の世界がとても小さいということの裏返しになるからです。
仮に知人が1000人いたとしても、函館26万人のうちのたった1000人であるし、北海道530万人のうちのたった1000人であるし、日本1億2650万人のうちのほんのわずかな1000人であるし、世界76億人のうちの1000人なんて0にも等しいくらいの小さな数であります。

それでどうして「皆」と言えるのでしょうか?

そんな風に自分をかばうために「皆」という言葉を使うなら、「自分はあなたのことをこう思う」と堂々と言った方がずっと潔く思うのであります。自分の意見・考え方としてあなたのことをこう思う。もしそれによって相手に不快に思ったとしても、責任は自分だけにありますからね。たまたま何人かと同じ考えを持ったとしても、少人数の考えを「皆」の考えだというのは、自分のキャパシティの狭さをアピールしているにすぎないと思います。

ただし、「周りの皆、あなたとことを心配しているよ」とか、特定のグループ内(会社の部署などもそうですが)での「皆」は本当に皆なのかもしれません。
ともかく、本当に言葉の使い方は気を付けなければなりませんね。


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ここ連日、森友学園の財務局の決裁書改ざん事件に関してのニュースが大々的に報じられていますが、どうも焦点を当てているのが買い残が事実か、政治家が関与しているのかという点ばかりで、それはそれで追及としては大切なことなのですが、なぜ、ある時突然財務省化書き換え前の文書を公表すると、今までの態度を一変したのか気付いていない方もいらっしゃるのではないでしょうか?

もちろん最初は朝日新聞のスクープによって書き換え前の文書があったという報道がなされたことが事の始まりだったのですが、それでも財務省や与党は色々な理由をつけてそれを認める方向の答弁を決してしていなかった。ところが、あるささやかな、スクープというほどのものでもない報道(一言)から事態が豹変したのでした。

それは、財務省が決して公開のこの字も口にしなかったが突然公開すると発表した何日前かの小さなニュース。それまで財務省は、文書は全て検察が押収しており確認できないというお決まりの答弁を繰り返していた時、大阪地検が、「ある程度捜査が進んだので、文書をお返ししてもいいですよ」とのコメントをしたのだ。
この一言で、事態は大きく変わった。返却された文書をまた隠して発表しなかったとしても、いずれ裁判で明らかになる。実際に改ざん前の文書は実在していたのだから、公表しないと、「文書は地検にある」という言い訳もできなくなる。地検からすると、ちゃんと返却したのだから、それを公表したらどうですか?ということを言いたかったのだろう。

財務局にはもう逃げ道は無くなってしまったのだ。時間稼ぎもできなくなってしまった。そこで、(想像では、もちろん財務省と政府が協議し)文書を公表することにし、その落としどころとして、佐川長官の首を差し出した。政府としても全ては官僚がやったこと、政治家・政府は関与していないという方向に無理矢理話を進めざるを得なくなってしまった、というのが本日までの流れだろうと私は推測している。

もともと、公務員の人事に必要以上に口出しし、自分の都合のいい人物を昇進させる安倍体制に少なからずとも、役人側にも反感を持っていた人々がいたという。例えば、財務局局長であった佐川氏が知らぬ存ぜずで答弁を押し通したのちに待っていたのは、国税庁長官というポストであった。
「よく難局を突破してくれた」ということに対する「ご褒美」なのだろう。

その立役者に全責任を押し付けて、辞職させ、自分たちの保身を図ろうという政府の姿勢に、不信感を持つ国民は数多いだろう。
さて、それでも佐川氏は証人喚問で、黙秘や「記憶にございません」と明確な答弁をすることを拒むのだろうか。退職金5000万円をもらえたお礼として。または、今後の自分の立場を「悪いようにしないから」という約束をもらった忠誠心からか(これは想像)。
それとも、自分だけに責任を押し付け、保身を図ろうとしている政府への報復として真実を話すのだろうか。

その結果は想像もできないが、ともかく、この問題が大きく動いたのは大阪地検の「文書を返してもいいですよ」というささやかな一言からだったのを私はしっかりと覚えている。ちなみに、朝日新聞に情報提供をしたのも大阪地検の一職員ではないかと推測されているが、まぁ、「驕れるもの久しからず」といいますか、事態を大きく動かすには強烈な発言は必要ないのです。タイミングを見て、ボソッと一言話すだけで充分なのです。

私も、ボソッと一言つぶやいていることが多いのですが・・・・・・(笑)




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2016年9月7日、私は被災地を巡った。しかし、後悔ばかりが残った。自分が立てたスケジュールはあまりにも安易であった。車でひと通り訪れるという旅程は、政治家の形式的な訪問よりも粗末な訪問であった。

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私は目に入ったものを、ただ写真におさめた。もちろん私にはそれくらいしかできなかった。それ以上の何が自分にできただろうか?
奇跡の一本松に観光バスで訪れる観光客と何一つ変わらない存在であった。いや、それ以上の存在になりえるわけがないのは最初からわかっていたはずだ。

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被災地を巡った後、誰かに何かを話そうとしても何も話せなかった。何を話したらいいのだ?何もわかっていない人間が話すべきことなどない。
だから、このブログでもしばらくは写真すら出すことができなかった。

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陸前高田には何もなかった。何もないものを撮影することがこれほど困惑するとは思ってもいなかった。元々何もなかったのか、何かが無くなってしまったのか、それすらわからなかった。

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しばらく自分にも重たい気持ちが支配した。なんて馬鹿なことを考えて行ったのだろうか?
自分の愚かさを恨んだ。

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だからこそもう一度行きたかった。そして昨年年末に再び訪れてみた。
仙台に着いた日の夜、地元の人たち何人かと話した。その中には、震災被害の後片付けが終わってから両親が離婚したという人がいた。「どうして?」と訊きたかったが言葉が出なかった。岩手県で被災し、仕事を求めて仙台に移住した人もいた。その人は言った。「仙台は真っ先に復興したけれど、地方はかなり後回しにされている」

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その次の日、私は海岸沿いを北上した。だが、今度は写真を撮る気すらなくなっていた。
深く傷ついているのは津波に流された街や人だけではなかった。生き残った人たちにも推し量れないだけのキズを負っていたのだった。
それは決して写真におさめることはできるものではない。

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たぶんまたいつか被災地にはまた行くだろう。
でもその度に人々の心の底を摑めない自分に疑問を抱き、写真を撮ることができるかどうか、今はまだわからない。
ただ、私は日本人の責務として行くべきだという自分の考えに基づいて、3度目の訪問をすることになるだろう。



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「記録」を全てモノクロにしました。

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このブログでは、かつて身近や全国的に起きたこと、または世界的な現象についても批評なり批判をしてまいりました。
しかし、特に最近はそのようなこともなく、ほぼ写真中心のブログ記事をお送りしていました。

この頃も、色々と批判したいことがあったのですが、全て飲み込み、表には出さないようにしていました。

批判・批評ばかりしてどうなるのだろうか?

物事は最終的には結果が全てです。
人々の賛同を得たか、人々から支持されたか。その時は話題にも残っていなくても、歴史に残せたのか?

ですから私は批判等はだんだん控えるようになりました。

そんなことより、伝えておかなければならないことはたくさんある。
本日のタイトルもそうです。

どうしても函館という小さな町に住んでいると、正論を話しても「都合上」や「人間関係上」でその関係にある立場の者たちは自分の立場を守ろうとすると、「妥協」や上下関係で認めざるをないことが生じて来ます。
それはそれでいいこともそれなりにありますが、いざ正面切って話し合いをしたら最後には正論はには勝てないのですね。
正論を正論っぽくさりげなく話し、相手に理解をしてもらうこと。これで、たとえば「しがらみ」や「お付き合い」で行ったことよりも社会的な力をもらうことができるのです。

そう、最後に正論は勝つ、ということです。

みなさん、王道を歩んでいきましょうか。



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私がカクテルを覚えたのはバブルの頃だった。その頃はカフェバーというものが流行っていて、カクテルを飲みながらビリヤードをプレイするのがお洒落だった。

それはそれで良かった・・・・。

でも、何か月か前、「あれはそれなりのばーテンダーによってつくられたものだったのだろうか?」という疑問を持ち出し始めた。
そこで最近昔飲んでいたとても定番のカクテルを頼むことをしてみている。飲んでみると昔記憶していた味とは全く違う。

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今私は「正しい」カクテルを飲み直すという作業工程にいる、




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阪神淡路大震災から23年経った。当時の報道により、とてつもない自然災害、そしてそれが都市という人工的な環境の中で及ぼす被害という恐怖と教訓を我々に与えた。
しかし、7年前に起きた東日本大震災では人口物どころかもともと祖日にあったはずの自然も全て津波によって呑み込まれて行った。

上の写真は、高台に位置する陸前高田市の消防署前の駐車場から撮影した何枚かの1枚だが(別の1枚は以前掲載しました)、この高台に逃げた人は、下の平地に見えた、粉々に破壊した家々や人々や自動車や鉄橋や木々や泥やあらゆるものが津波に呑み込まれて遡上し、引いて行くのを肉眼でただ見るしかなかったのかと想像すると恐ろしくなってくる。

「何もできない」その高台にいた人々はそう思っただろう。

東日本大震災が起きる前に、たまたまネット上で神戸のデザイン会社真社長さんと知り合いになった。
その後東日本大震災が起き、少ししてから、私は彼に「今、私は東北の方々に何かをしてあげたいと考えているのですが、いったい何が被災者の最も望むことなのでしょうか?」というメールを送ったことがあった。彼から帰って来た返事は、「被害の規模が桁違いすぎて、何かをお話しすることなどできない」というものだった。
あの、ズタズタに都市構築物が破壊され、死者も多数出た震災を経験した方が、「わからない」という言葉を口にするということは、もう私たちの想像の域をはるかに超えた出来事が起きたのだ、ということだけは理解できた。

それから6年以上経ってから私は現地に2度も行ってみたが、1度目よりも、2度目の方が写真を撮ろうという気になれなかった。

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私は報道カメラマンではない。無理に「その後」を見つけて写真におさめる理由がない。だから、被災地訪問の2日目は1枚も写真を撮らなかった。
「わからない」それが心の大半を占めたからだ。きっとここには民家があって、とても小さいなりにも集落があったのだろうな、と思われる浜でも、そこには今も何もなく、整地が進まれている。それを見ると、言葉にできるのは、「わからない」以外にはない。
何かから逃げるための「わからない」ではない。そこに何があって、津波によって建物が飲みこまれ何人被害者が出たのがこの現場ですよ。という写真輪をとってもいったい何の意味があるのだろうか。1個人が2.3日見ただけで何かも言葉に出せるものではない。それと同じように写真に写すことなどもできない。

でも、たぶんそこには「生」がきっとあったのだろう。そのくらいの想像は私にもできる。
これは三陸海岸に沿って走る道路を北上した時に見た、小さなとても小さな複数の(過去には)集落だった風景の印象だった。しかし、そこは既に「平地」に整備され、元々民家があったのかどうかすらわからない。

そう、私にはわからないのだ。


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仙台で止まったホテルの向かい側にあったワインショップにあった「テ・マニア・リースリング・アイス 375ml」というワインを買ってホテルで飲んだ。ニュージーランド産で氷結した舞踏から作るという何年に1度しかできないワインらしく、とても葡萄の甘味が凝縮された甘味のある美味しいものだった。
仙台はもう、見た目は普通の大都市のひとつのよう見える。
だが、酒場で話した女性の両親は、震災後父が石巻に住み、母は福島に住み、本人は仙台に住んでいるという。また別の女性は、岩手県の中部海岸地域から震災後仙台に来たという。なぜそうなったのか、などという質問は、初対面の私には深く訊けなかった。

ただただ仙台は人でごった返していた。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、そんな判断は私にはできない。




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このグラスは、あるバーの経営者からいただいものだ。
特別のレアものでもなく、毎年2月に開催される秩父ウイスキー祭りの参加料を支払うともらえるものだ。
ちなみにこのグラスをもらった開催年は2015年だ。

しかし、その祭りは今ではネットの前売りですべて売り切れてしまう。なぜなら、実質主宰しているのはあのイチローズモルトだからだ。
この祭りに参加すると、イチローズモルトの祭り用の特別酒や海外の手に入りづらいウイスキーが試飲できたりする。
どちらからというと、ウイスキーのプロ・マニア向けのイベントだ。参加料もそれなりにかかる。その他この日限定で販売されるウイスキー(本数限定)の抽選に当たれば当然代金を払ってほしくなる(笑)まして、イベントは埼玉の奥の秩父である。そこに辿りつまでの時間と旅費を考えるとけっこうなお金が必要となる。

だからこのテイスティンググラスは単なる「参加賞」ではない。
多くのウイスキーファンが年に1回だけもらえる「証」のようなものだ。
まだ私はこの秩父ウイスキー祭りに行ったことがないが、運よくグラスをいただいた。

これで美味しいウイスキーを飲んでみたいと思いながら、ずっとPCディスクの前に置いて眺めている。
でも、なんて素晴らしいことなのだろうか!年に一回の祭りでもらえるものが目の前にあるなんて。
いつか私も秩父に行って、昼間から酒を飲んで、白昼堂々と帰りの秩父鉄道でぐでんぐてんに酔っ払って寝てみたい。

いい大人が恥ずかしいことをしているようだが、そんな恥ずかしさをものともせずに、きっと楽しむことができるだろう。
このグラスからは、そんな色々なことを想像させてくれる魔力が放たれている。


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