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この頃人生が大きく変わる出来事が起きている_a0158797_11353983.jpg

最近、ネット上での知人等に色々なことが起きている。
本人はまだ気づかないだろうし、また、それは後に振り返って分岐点だとわかることなので、今は現在の自分の置かれている状況に懸命に考え、行動をしているだけだと思うが、きっとこれから今までとは違う人生を歩むことになるだろう。

今はそんな「星回り」なのだ。

そんな人たちを見守りながら、自分にも来るかもしれない分岐点をしっかりと見定めたいと思います。
こんなバカみたいなことを書いている根拠は、いずれゆっくりと話すことがあるかもしれませんが、今はここまでとします。
これを読んだあなたにもそれは今年中に訪れるかもしれませんよ。

今のところ私は、Windows7のサポート終了によって、パソコンを変えなければと思っているのですが、なかなかどれにするか決まっていないのが問題です。
仮に決めたとして、今のPCのバックアップや色々なサイトのID・PWをクッキー任せにしていたため、それらを改めて書きとめたりするのがとても面倒で躊躇しているのもあります(笑)

また今晩、「切ない街、函館」続きを書きます。




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どうしてマラソン・競歩は札幌になったのか?_a0158797_21050703.jpg

先日まで世間を騒がせた東京オリンピックのマラソンと競歩の競技地変更の理由を私なりに考えてみました。
もちろん、そのきっかけとなったのはドーハで行われた陸上世界選手権の女子マラソンで途中棄権者が4割を超えるという異常な事態であることは誰でもご存知のことと思います。そこでIOCは東京オリンピックのマラソン・競歩を東京から札幌に変更したわけですが、主催地であり開催地でもある東京に直前まで相談もせずに一方的に変更を表明し、これは決定事項であり変更はしないと断言したわけでありますが、これを報道で知った時、なるほどなと私は思ったわけであります。

どうしてマラソン・競歩は札幌になったのか?_a0158797_21334855.jpg

IOCは東京が変更に同意しようがしまいが、東京より気候環境の良い場所にしなければいけなかったのです。なぜなら、もしIOCがそのまま東京で競技を開催して、ドーハのような悲惨な結果が生まれたら、それはもう世界中からドーハで何も学ばなかったのか、何も対策を考えなかったのか、選手のことを考えていないのか、等々非難を受けるでしょう。IOCとしては、そうなったらオリンピックの歴史に大きな汚点を残すことになりのを避けたかった。「地獄の東京」「東京の悲劇」などという言葉が世界中に駆け巡るのを何とか避けたかったのでしょう。ですから、東京がどう反応しようが「決定事項」として札幌へ変更したわけなのではないかと思います。

どうしてマラソン・競歩は札幌になったのか?_a0158797_21500018.jpg

この「決定事項」を東京が拒否しようが、すんなり受け入れようが、おそらくIOCにとってはどちらでも良かったのではないかと考えます。なぜなら、IOCとしては「悲劇」を避けるために大英断をしたわけですから。もし、東京とIOCの協議がこじれて、そのまま東京で行うことになったとして、ドーハと同じようなことが起きても、「だから札幌に変更すれば良かったのだ。責任はOCの決定を無視した東京にある」ということになります。
そして、当然強行した東京は世界中から非難を浴びることになるわけです。「なぜ東京はIOCに従わなかったのか?」「地元開催にこだわって人間としての選手を軽視したのではないか?」その他色々な非難が東京に集中します。

小池知事も当然そのことは、変更を知った時から考えたでしょう。あるいは、側近から忠告があったのかもしれません。ともかく、小池知事には選択の余地はなかったのではないかと思います。それを決して屈したのではなく「頑張ったけれど仕方なかった」という形を残して、せめて新たな費用負担を回避して妥協したのではないかと思います。これは決して「せっかく東京を目指して調整に勤めていた選手が可哀想ではないのか」という感情論でもなく、「せっかく猛暑対策をしたのに今さら」という損失の問題でもなく、「今から変更して本当に間に合うのか」という技術論でもなく、「札幌より東京のコースの方が見栄えする」という営業的な問題でもなく、「せっかくチケットを買ったのに札幌まで行けない、札幌ならつまらない」という観客無視の問題でもなく、もしドーハのようなことが起きたら誰が世界中から集中砲火を浴びるのかという問題なのです。
ですから、IOCは東京に対して「決定事項」として告げたわけであります。その後の結果はどのようになっても(本当に東京が強行できるかどうか、規約運営的なことは詳しくは知りませんが)IOCにとってはどうでもよかったのではないかと思います。IOCはやるべき「決定」をしたのだ。それが最も重要だったのではないかと思います。

さて、私の分析はここまでとして、個人的には、確かにコースのロケーションははるかに東京の方が素晴らしいと思いますが、その反面、選手がバタバタと倒れてしまうのは絶対見たくないという思いもあります。また、札幌という身近な都市での開催となりますので、ちょっとだけ「行ってみようか」という好奇心の囁きが耳元で聞こえてきます。どうしましょうか?




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土砂災害危険マップと土砂災害警戒区域について(あまり知られていない指定方法)_a0158797_23010278.jpg

先日の台風19号の本州での被害は、今までの想像を超える悲惨なものとなった。今日現在で76名もの死者が出て、自宅に浸水し、あるいは停電や断水等で避難生活を余儀なくされている方々が多数いることを考えると、いたたまれない気持ちになってしまう。本当に住む家がとりあえずあるというだけで幸運だったと思うしかないし、また、それと同時に被害に遭われた地域の復興が早急になされることを願わざるを得ない。

さて、この度の被害の多くは堤防の決壊等による洪水が原因であったことは皆様はご周知のことだと思うが、テレビ報道を見ていると各自治団体で発表されている洪水ハザードマップの浸水想定区域と今回の浸水地域がほぼ一致していることがわかった。これは、川が増水し、堤防を越えて市街地に広がった場合、川の水位と市街地の高低差などを計算するとかなりの精度で危険地域を想定できる種類のものであると考えられる。それは素人の私でも充分そうだろうなと想像ができる。
しかし、土砂災害(土砂崩れ、崖崩れ等)の危険箇所と津波ハザードマップについては、一般的にはなかなかその地域選定基準や選定手段は知ることもないだろうと思う。そこで、この二つについて、私が仕事柄知った情報を皆様にお伝えしたいと思う。

まず今回は、土砂災害危険箇所マップと土砂災害警戒区域の違いだ。
土砂災害危険個所マップは、国が示した一定の基準で抽出された土砂災害の危険性があると思われる区域を表しているものだ。抽出された区域はその地域の全体の地図の中に黄色で示される。

函館の土砂災害危険個所マップはこちら → 土砂災害危険箇所マップ(旧函館市) 

これは何を基準にして作成されたのかを仕事上知りたくて、ある旧土木現業所で2時間粘って教えてもらったことだが、まず、ここに示されている箇所は、国土地理院作成の地図の記されている等高線の密度が高い地区(等高線の密度が高いと、勾配の急な急傾斜地になっていると言える)を地図上で示したのが危険個所マップである。そして、その示したものは「指定」されているわけではなく、先ほどの一定の基準によって選ばれた区域だという、それだけのことなのだ。つまり、「危険である可能性であるかもしれないですよというお知らせ」程度の位置付けで、どこまで本当に危険なのかは正確性に欠けるものだ。

しかし、その次に、この危険かもしれない箇所について、現地に専門家を派遣して、実際の傾斜や地質などから崩壊危険度をより精密に調査して急傾斜崩壊と土石流災害の危険性が高い区域を選択し「指定」したのが、土砂災害警戒区域とそれより危険度が大きいのが土砂災害特別警戒区域となることになったという経緯がある。これにはそれなりの費用と専門にに調査できる人材の関係で10年以上も前から少しずつ巡回して調査を続けており、まだ全道の全ての調査を終えてはいない。だから、指定される箇所は毎月更新されている。(もちろん増えている)のだ調査が完了されていないとはいえ、指定された区域を見ると納得できるような地形ばかりだ。

これは、土砂災害警戒区域等の指定状況及び基礎調査結果(函館市の指定状況)をご覧になっていただければ、その箇所がわかる。

しかし、この指定方法にも若干の疑問がある。それはそもそもの基になっているのが、先ほども述べた通り、最初は地図の等高線であったということだ。等高線の密度が低い、つまり比較的なだらかな傾斜地でも、地質が脆弱であれば崩壊が起こる可能性は否定できないし、土石流の危険箇所も、土石流の流出量によって想定されるよりも被害区域が広がる可能性もある。だから、指定されていない地域は安全を保証されたというわけではない。今自分が住んでいたり働いていたりしている場所はどのような地盤的環境下にあるかを、観察し、もしもの場合に備える心構えを持っていなければならないのだ。

土砂災害警戒区域は、多数はあまり人の住んでいない区域が多いが、意外と一般住宅地も指定されている箇所も結構多い。
指定された区域の方々はもちろんのこと、指定されていない区域の方々も自宅の付近の形状などを観察して、災害に備えなければならないと思う。




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ハザードマップの基準とは?(災害に対するひとつの考え方)_a0158797_23365790.jpg

記録的な降雨量で各地に甚大な被害を残し、日本列島を足早に去って行った台風19号。
このような災害がある度に、昔私が経験した、あるいは被災の後を見た記憶が甦ってくる。

ハザードマップの基準とは?(災害に対するひとつの考え方)_a0158797_00112564.jpg

瞬間滞在風速42.5mでの状況(本州の1枚の窓ガラスが風圧によって大きく歪んだ。この時はガラスが割れて散乱し自分の身体に損傷が及ぶことを覚悟した。
長崎県雲仙普賢岳の噴火による火砕流の流出によってできた「生き物の気配を感じさせない世界」
福島県中通を中心として10日間にも及ぶ集中豪雨(車の屋根に、まるで雹が降りおちて来ているかのような激しく強い雨)
そして、3.11日舵日本大震災に昨年の北海道ブラックアウト、1968年の十勝沖地震(後に三陸北部地震と改称)


もちろん、私よりもたくさんの災害を経験したり、記者などの職業についている方は、もっと多くの悲惨な現場を見ているだろうが、実際に想像を絶するものを見る前と観た後では、災害に対する考え方が変わってくる。災害が襲って来るかもしれないという警戒心と、この程度で収まるならば冷静に行動した方がいいという判断力。
そのようなものが自分自身に植え付けられる。

そのような災害が起きたとしても、非難できる体制や情報開示などが必要となってくるのだが、私たちがへぇーと見ているハザードマップを作成する根拠は、こちらから役所に訊かなければなかなかその基準を知ることができない。
そこで、私が調べ上げた中でごしょうかいできるものを、今度じっくり解説してみたいと思う。(長文が書ける環境の時に)
まcそれはともあれ、被災された方々には、1日でも早く通常生活を送れる状況っないてほしいと願え。






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京茶漬 京洛 辻が花_a0158797_23172219.jpg

去年から、札幌に行った際には必ずと言ってもいいほど、「京茶漬 辻が花」のお茶漬けを買って来る。
大丸の地下一階食品店街のあまり目立たない一角にそのお店はある。
陳列棚には地味に商品が並んでいるだけで、派手な宣伝用ポップなどは見かけない。

きっかけは、何でもいいから京料理が食べたいという近年の私の欲望からだった。だから私の目には、ちょっと目立ちづらい場所にあったこのお店もしっかりと捉えられたのだろうと思う。
商品を見ても、決して安いとは言えない。写真の大袋の中に小袋の商品が2袋入って、安くて200円台から600円台以上まである。でも、これで京料理のほんの一部を楽しめるなら、それはとんでもなく安い買い物となる。

そして、函館に持ち帰りご飯にふりかけ、具材を載せ、熱いお茶をかけると、それはもう、スーパーで売っているようなどぎつい味ではなく、味がするかしないかくらいの薄味の中に、独特の香りと山車をきかせた味を感じることができる。
中でもやはり西京漬シリーズは、ちょっと高くても納得してしまうあね風味を味わうことができる。

なかな京料理など食べに行くことができないから、せめてこれで京都のほんのの僅かな一部を味あわせていただいている昨年からの私でございます。

今日のバル街、体を休めるために仕事から帰宅後自宅で休養。ここ何回か連続で参加しておらず、いったい再び行くのはいつになるのだろうかと、自分でもわかりません。
ともかく、今は、和の料理を嗜めるのが、自分にとって最大の贅沢。このお茶漬もほんの入り口でございます。
でも、気になった方は札幌大丸にそのお店がありますので、探してみてください。





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今私に何ができるか?今あなたたちに何ができるか?_a0158797_23174624.jpg

明日、74回目の終戦記念日を迎える。と同時に対外的に戦争を行わなかった日々が74年間続いたということになる。
今では戦争がない日常が当たり前のようになっており、また、一応民主主義によって得ることの権利を私たちは享受している。それはとても幸せなことなのだ。しかし、そういう自覚を持っている人々はどれだけいるだろうか?

今私に何ができるか?今あなたたちに何ができるか?_a0158797_23243430.jpg

先日の参議院選挙で投票に行かなかった部下の女子社員にどうしていかなかったのか尋ねてみた。それは家庭全体として選挙に行くことが慣習的になっていなかったという理由であったと環境的な原因だと答えた。
それに対し、私は頭ごなしに社会人としての責任回避であるなどのもっとも論的な話をしなかった。社会人なのだから行くべきだというような話をしても若い人には面倒くさい感情を与えるだけでかえって逆効果にとれないかもしれないと思ったからだ。
そこで私が話したのは、こうやって政治家を選挙で選ぶことができるのはとても幸せなことなんだよ。世界には独裁政権国家がいくつもあり、その政権に対してNoと言えたくても言えない国民がたくさんいる。そういう国でクーデターなどで政権を民主主義推進派が得たら、国民選挙を行うと投票率90%以上になった国もあったんだよ。その国民は自分たちで国のリーダーを選ぶことができるという環境になったことにとても幸せを感じていたはずだ。なぜなら、それまでは言いたいことがあっても何も話せず、ただ奴隷のように政府に従っていたのだから。だから、せっかく投票ができるという権利を得たことを無駄にしたくなかっただろうし、せっかく与えられた権利なのだから行使したいと思うのは当然のことだろうし、国民にとっては幸福なことだった。

今私に何ができるか?今あなたたちに何ができるか?_a0158797_23521348.jpg

彼女が本当に納得してくれたのかどうかはわからないが、ともかく私たちは一国民に様々な権利を与えられ、それを享受している。それでも色々不満はでるだろう。すくなくとも特栽国家よりはずっとましであることには違いない。ところがそれが当たり前になると、与えられている「幸福の権利」はすっかり忘れ去れてしまっているのが残念な現実だ。

今私に何ができるか?今あなたたちに何ができるか?_a0158797_00042247.jpg

現在、東アジア情勢は各国の思惑が交差し、複雑に絡み合って予断を許さない方向へと向かっている。色々な原因はあるだろうが、そのひとつの原因となっているのは名本政府の対応であろう。日本政府を批判するわけではない。仮に批判して野次を飛ばしても警察に連行されてしまうような国になったのだから、一抹の不安は払しょくできないが、まだ手段を変えると正当に主張することは、私たちには可能だ。

まだ「権利」というものがしっかいり機能している時に、わたしたちは何ができるのだろうか。そしてあなたたちには何ができるのだろうか?
もちろん大きなことは個人レベルではできないにしろ、自分が持っているフィールド中「平和」に繋がる繋がる行為はできるのではないだろうかない。
明日終戦記念日を迎える。

平和が日常的になっている日本の現在。多少のことが国際的な場面で怒ったとしても>起こったとしても、いつまでもそう大きくは変わらないだろうというのは、あまりにも短絡的すぎる。そのような考えを持っしまっている、終戦記念日前夜の一国民であります。



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成功者は失敗談を話し、失敗者は成功談を話す_a0158797_22270516.jpg

えー、60年も生きていますと、色々な人を拝見させていただいたり、お付き合いさせていただき、色々なことを気付くわけで、今回のタイトルのようなこともある時からずっと教訓として私の中に細々と存在しているわけです。
成功者と失敗者いう言葉を使いましたが、何が「成功」なのか、何が「失敗」なのかというとはっきりした定義などないわけですので、この言葉自体が誤解を招くものです。例えば、社会的には名声を得て、経済的にも満たされいるけれど、プライベートでは孤独感で救いを求めている人、という方もいるでしょう。仕事のために家庭を壊してしまった方もいるでしょう。反対に何をやっても仕事がうまくいかないけれど、とても理解のある家族や友人に囲まれていて、精神的に満足している方もいるでしょう。

ですから、断定的には言えないのですが、ここでは、成功者は「その道で為すべきことを成した人」、失敗者は「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」という意味合いとして使い話してまいります。

まず成功者は、基本的に謙虚です。いわゆる威張っているとか、威圧的であるとか、そういう人はそういません。なぜこういう人を成功者と呼べないかと申しますと、そういう方は、人間関係の中で自分の立場をより上位にするために、相手を「見下す」ことによって事をスムーズに進めようとするからです。相手がその威圧にに負けて従ったら、本人は「成功した」と思うでしょう。しかし、その人がやったことは人間関係で上位に立ったことだけであり、何かを為したわけではありません。
成功者は、常に上を目指していますから、どうして自分は今以上のことができないのだろうか?自分が自信を持って行った事が、実は間違いなく失敗であったのではと反省したりしていますと、人に対して大きな態度はとらないものです。
実際にそのような人はたくさん拝見しております。おごることなく、過去の失敗を教訓に常に上を目指している。その結果が「その道で為すべきことを成した人」になりえるのではないかと考えます。

今夏の甲子園の地方予選が盛んですので、野球を例にとってお話ししましょう。地区予選で優勝し代表として甲子園に出場できるようになった。それはとても素晴らしいことですし、大変名誉なことですし、出場校の地元は大いに盛り上がるでしょう。そうです、その地域にとっては甲子園出場校の選手はスターになったのです。しかし、これで満足した人はそれまでです。地方大会よりもハイレベルな甲子園で勝ち上がるためには、相当の技術力と精神力が必要となります。そういう舞台で、出場だけで満足した人は実力を出すことなく、敗れてしまいます。甲子園で勝ちあがったチームはハイレベルなチーム同士の戦いを余儀なくされます。地方大会とは雲泥の力の差を見せつけられるかもしれません。そして、甲子園で勝ち残ったチームはからはドラフト会議で指名を受けることがよくあります。で、めでたく入団。ここでもそうですが、プロ野球選手になることだけが目標だった人はそれに満足して1軍のレギュラー選手になることができないかもしれません。そのレギュラー選手の中でも、とびきりの実力を発揮した選手だけが高額所得を得、大リーグから注目され世界最高の舞台で挑戦を続けます。

そうです、上を見たら気の遠くなるような果てしない先まで到達しなければなりませす。そこに辿り着くためには失敗を克服する努力が必要となるでしょう。だから謙虚に上で括約している人々から教訓を得て、努力するわけです。しかし、もう既に地方大会を勝ち抜いただけで満足してしまった人たちは、、それ以上にならない可能性があります。結局1回戦ないし2回戦で敗れる結果が待っています(もちろん、全てがこの方式に当てはまるという訳ではありません)。
それでも甲子園出場を果たしたら、それはもう地元のヒーローです。中には、甲子園出場をいつまでも得意げに話す人もいるでしょう。それがここでいう「一時期だけ評価を得たが、その後は落ちぶれた人」であるのです。

経済界に置き換えますと、それまでパッとしなかった業績が、あることをやったことによって急激に売り上げが伸び、あちこちから注目を浴びた、という方もいます。
そういう方の一部は、セミナー講師として全国あちこちの会場でお金をとって自分の成功談を話すのですが、私はそういう話を聞くたびに、人に教えるよりも自分でその事業を拡大して世の中にその会社の素晴らしさが黙ってても知れ渡るくらいにした方がいいのでは、と思うのです。そんなに素晴らしいノウハウを持っているのなら、是非そうすべきだと思うのです。
結局、成功が一時的だったから、そうしたのか、もうそれ以上の「その道」を追わなかったのか。理由はわかりませんが、そういう方のお話を聞いてもあまり心に響かないものです。人間、自分という存在に不安(どう見られているだろう、怪しく思われていないだろうか?)を感じている時は、自分が評価されるかもしれない自慢話を多くするものです。みなさまもそういう人に出会ったことがあるでしょう。(有名な)誰々を知っているとか、本当はたいしたことをしていないのに何々に関わったとか。

残念ながら函館に多いのは後者の方です。函館だけで自分の「位置」が確立できればそれで満足。そういう方を多く見受けます。

さて、こんなことを偉そうに話している自分はどうなのか?これから奥入瀬で一人ぽっちになって見つめ直したいと思います。






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中国化しているのでしょうか、日本は_a0158797_22165158.jpg

今度の日曜日に投開票が行われる参議院選挙ですが、私は不在者投票を済ませてまいりました。その証拠がこの写真です(笑)

さて、投票前であるにも拘らず、報道では自・公で議会の3分の2に達する勢いであるなどの分析が報じられていますが、どうしてそう言い切れるのだろうかと大きな疑問を持っている私でありますけれど、でも、たぶん結果はその傾向に動くのではないかと危惧しております。
危惧という言葉を用いたのは、より日本は一党独裁の色が濃くなってしまうという意味での危惧であります。そう、日本は中国のようになってしまうのでしょうか?よく安倍首相が、「民主党政権の悪夢の時代」という意味の発言を何度も発しますが、問題は民主党にあるということよりも、政権を執った政党が戦後ほとんど自民党だったということなのです。つまり、自民党は政府の仕事をやった経験が豊富ですが、その他の政党は(公明党を除く)仮に今何らかの理由で政権を取ったとしても、いわゆる初心者なのです。初心者が何から何までそつなくこなすことができるでしょうか?普通に考えても無理だと思います。
民主党政権はまさにそれだったわけで、あちこちにボロが出ても致し方ない部分はあるでしょう。何せ初心者だったのですから。しかし、皆様ご存知の通り、初心者はやはり上手く政権運営ができず、結局短命で終わってしまいました。そして、その後はずっと自民党政権が政治を担っています。

大きな問題はこれなのです。政治を運営できる政党が一つしかないということは、これはかなり不健全な国家の状態であると言わざるをえません。たぶん、今回の選挙でも、自民党以外を考えてもちょっと頼りないから自民党にしようか、と考えている方も多くいらっしゃると思います。そういう方には大変失礼なのですが、それが国家の不健全化を助長していることになってしまうのです。
それは国会や街頭演説で、よく安倍首相が「どうせ次の選挙も自民党が勝つのだから」という前提の思い上がった話をしているのも、自民党を脅かす存在が残念ながらないからなのです。私たちはそこまで馬鹿にされ舐められても、自民党を第一党にしてしまうという国民なのです。これが健全な社会といえるでしょうか?
今まで見習いの仕事しかできなかった者に、急に「店を任せるから」と言われて訳も分からないうちに右往左往してやっているうちに、「やっぱりあんたダメだね」と首を切ったのは私たち国民です。

よく経済界では競争原理という形で品質や価格を競い合うことが多いのですが、政治にはそれが適用しない、また、させることのできない不思議な世界です。
以前もお話ししたと思うのですが、だいたい政党というものがあることそのものが不健全化を助長しているのではないでしょうか?例えば、よく大臣になった途端問題発言をして解任あるいは辞任すると議員がいますが、そのような議員が当選してしまうのも○○党公認候補だからというだけで当選してしまうからなのではないでしょうか?
どんなに政治家としての資質が劣ったとしても○○党から選挙に出れば議員になれる。それは選ぶ私たち国民の大きな過ちです。
まして、比例代表区制度があるのもおかしな話です。○○党の政策を支持したいと思っても、比例代表の上位にいる候補には議員になってほしくないという民意は全く伝わらない、これこそおかしな制度であります。

私は政党など無くなって、立候補者ひとりひとりの能力によって選び、そのような優れた政治家が国会で論じ合うのが最も健全な政治だと考えています。以前からそう考えていましたが、より確信になってきました。それ以外に、このバランスの崩れた日本の政界を正す方法は無いでしょう。かといって、今すぐ急に政党は無くならないでしょうから、私たちにできることとして、この人であれば国会で活躍してくれるだろうと思われる人を選ぶことなのではないでしょうか。

函館のある省庁系出先機関の方がこんなことを言っていました。「本当はもっと予算が欲しいのだが、与党の議員が国会議員に選ばれていないからなかなかお金がもらえない。与党議員だったら入って来るのに」
この言葉を知って皆さんはどう思うでしょうか?あぁ、やっぱり与党議員がいいのか。それとも、議員の所属する政党によって地方を差別することがまともなことなのか。ともかく今の日本政治のバランスは崩れています。中国のように一党独裁で色々な統制を強いられる国に近付きつつある日本を変えることができるのは政治家ではなく私たち国民である、と私は考えています。




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エアコン地獄と昔の喫煙地獄_a0158797_22214220.jpg

5月の下旬から夏並の暑さになり、函館でもあちこちでエアコンの稼働が始まりました。
以前にもこのブログでお話ししましたように、私はエアコンが大の苦手で、温度設定が低い(つまりエアコンがフル稼働する)と、体のあちこちに骨の髄までの寒気を感じ、風邪のひき始めのような微熱が出、筋肉が収縮し疲労感抜けなくなります。
それは私にとってはもう地獄のようなものです。
そして、それは私だけではなく、意外とたくさん人(特に女性)も似たような体の状態になっていたようです。

ある時、このエアコン地獄、今ではほとんどありえない、昔の非喫運者にとってのたばこ地獄と似ているのではないか頭に浮かびました。
昔のオフィスの喫煙者のディスク上には、当然のように灰皿があり、仕事をしながら煙草を吸うというのは当たり前の光景でした。中にはチェーンスモーカーもいて、室内のたばこの煙の密度は、嫌煙者からすると耐えがたいものだったでしょう。
しかし、その当時はそれが「当たり前」であったし、お客様が来たら「おもてなし」として当然のようにでかい灰皿が差し出され、そこでもプカプカと煙草をあらゆる人たちが吸っておりました。それを、嫌煙者はじっと耐えていました。仕方ない。たぶんそうだったのだと思います。

ところが世の中が次第に「喫煙は悪だ」という風潮になり、まずディスクから灰皿が撤退され、基本オフィス内禁煙、よくて喫煙室があるというのが当たり前になり、今では喫煙者は採用しないという企業まで現れています。
これは時代の流れとして仕方のないことなのかなと思いますし、未だに喫煙者である私は、公共の場ではでにおいが全くしない電子タバコを利用したりしています。どうしても紙巻きたばこが吸いたければ車の中あるとか、ともかく非喫煙者にご迷惑をかけない範囲で「嗜好品」を嗜んでいる次第です。

そのように中で、エアコンだけは稼働して当たり前、お客様への「おもてなし」をするためには、より風量を強力にして涼んでもらおうという傾向が(今に始まったことではないですが)続いています。でも、同じ空間にいる他の者にとっては、それは地獄以外の何ものでもないのです。そして、エアコンは地球温暖化現象に拍車をかけている張本人のひとつであります。また、エアコンが普及したために(つまり体が暑さを感じない機会が増えたため)汗を掻くことができない人が増えているようです。
そんな「健康被害」「地球破壊」を増長させているエアコンを、どうして誰も煙草のような「悪」だと訴えないのでしょうか?
何のためのクールビズなのでしょうか?

このエアコン必要な方々は一種の「エアコン中毒」と呼んでも差し支えないでしょう。その中毒者のおかげで体質に合わない人々にとっては、煙草を嫌った人々のように耐えがたいけどとりあえず耐え忍んでいるものとなっているのです。まして、悪質なのは地球破壊の手助け、大都市気温上昇の一助となっていることです。
煙草を吸うという「公共的な公共間」の問題ではなく、エアコン中毒は地球全体に影響を及ぼす問題なのです。
どちらがより深刻な問題なのかは、言わなくてもわかりますよね。

時々、。禁煙をしたら太り体重が増えたという人がいます。そういう方々は当然しっかりと皮下脂肪を蓄えているため、煙草の代わりに常にエアコンが必要となっているのではないかとも想像できます。

そんなわけで、私は「嫌冷嫌」を主張したいと宣言いたします。
嫌煙権の主張も、始まりはこんな感じだったと想像したいます。
本当に、本来エアコンは「暑くて熱中症などにならない程度に室温を下げれば」いいことのはずなのですが、いつの間にか、「寒い」方が「おもてなし」している気分になったようになっていたり、平常時でもエアコンを付けなければどうしようもならない「エアコン中毒者」を産んだり、じわじわと地球温暖化を増長している。また、エアコンによる健康被害を受けている者もいる。


さて、そんな中であなたはまだまだエアコンの温度設定を低くすることができますか?





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docomoの新料金の相談に行ってまいりました_a0158797_23503428.jpg

本日docomoショップに行って、6月から改定となるdocomoの新料金プランの相談に行ってまいりました。
現在の我家の総支払は、docomo光パックを含めて約2万円ちょっととなっているのですが、そのうち対象となるのは携帯回線のみ。
現在使用しているタブレットのプランは対象外であるため、比較検討対象となるのはスマホの2回線のみとなりました。

ちなみに我家で今まで使用していたのは、doomo withの割引(1台1500円×2=3000円)と5ギガのシェアパックという低料金のプランであったのですが、それでも光パックと併せて4000~5000円くらい安くなるのでは期待に胸ふくらませてdocomoショップに行きました。

しかし・・・・・。結論から言いますと、新料金プランにすると、docomo withが利用できずギガライトでシュミレーションしても、現在よりもたった1200円程度しか安くなりませんでした。それも、ギガライトの3GBプランを採用してでの話です。別の言い方をすると月の使用量が3GBを超えると、かえって割高になってしまう可能性もあるのです。

私の野望は見事に崩れ去ってしまいました。
今月使用するGBが3を超えるかどうかハラハラしながら利用する精神的リスクを考えると、結局現状のままの料金プランの方がまだましという結論に達し、新プランへの移行をしませんでした。

つまり今回のプランの目玉は、docomo withを利用しておらず、1家族3回線以上の携帯を持ち、そのうち誰かがたくさんのギガを使用しているパターンの方々のみが、大きな割引を得ることができるという内容だったのです。

うーん、困ったものです。私から言わせてもらいますと、ちっとも安くなっていません。新料金のプランは例えばスマホを日常茶飯事に使用している子供がいる家庭向けのプランであって、それ以外の人にとってはそれほど魅力のないものとなっているのです。

これにはたぶん不満の方が続々出現するなと思いました。家族(親子3名以上)docomoを使うとお得になる、つまりこの際だから家族みなさんdocomoにしましょうというプランに思えて仕方ないわけです。もう20年以上docomoを継続して利用していても、せいぜいポイントが付きやすくなるだけで、それほどのメリットが少ないように思えました。

よくある話ですが、長く使っているのにそれほどの恩恵を受けることのできない新料金プラン、きっとその内不満が出るのは必至と思われます。
どうか早速新新料金プランの企画を考えていただきたいと痛切に願うわけであります。





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