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昨日の報道で、今年のノーベル平和賞にコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ氏とイラクの少数派ヤジディ教徒ナディア・ムラド・バセ・タハさんに授与されることが決定されたことを知った。最初の感想は、少なくとも一部に候補として挙がっていた中国の習近平国家主席と北朝鮮の金正恩委員長のダブル受賞やトランプ大統領でなくてよかったというのが正直な気持ちだった。
これらの者たちに賞を与えるのはあまりにも軽率であり、ノーベル賞の品格が下がると思ったからだ。(ノーベル賞の品格がどれほどのものなのか、ちゃんとしたことはわかっていませんが)

さて、今回の受賞予定(本人にも拒否をする権利があるため)の両者に共通しているのは紛争地において起きている女性への性暴力に対して行動をとった方々だが、この方々に対してではなく、受賞の理由などに少し疑問を持った。それは報道の表現の仕方なのか、本当にノーベル賞委員会がそう言ったのかはわからないが、「紛争地で兵士が行った性暴力という残虐な行為に対して・・・・・」という表現があった。
私はこういう言葉を聞くたびに疑問を持ってしまう。

人間にとって最も残虐な行為とは、どんな理由があろうとも、それは殺しである。戦争はそれを互いにやる最も残虐で非理性的な行為だ。人間が行う行為として最も愚かで絶対に許されないものである。しかし、国際法で戦争時における性暴力は戦争犯罪であるという内容の定義づけをしているようだが、これ自体が私にはよく理解できない。性暴力は戦争時であろうが平和時であろうが、犯罪であるという本質性には差がない。それを戦争時においてという状況設定することによって行為の種類が変わるとはとうてい思えない。

国際法には同じように「非人道的兵器」と定義しているものがある。私から言わせていただくと、人を殺すのに人道的・非人道的の差があるのか?ということだ。人を殺す時点でそれはもう「非人道的」行為なのだ。その殺し方を区別するのはおかしい。例えば機関銃の銃弾をかいくぐって最後は敵をナイフで刺して殺すとしたら「正しく正統的で人道的な殺人」になるのだろうか?

今回受賞した両者に対して異議を唱える気は全くない。私がいつもおかしいと思うのは、戦争はあって当たり前という前提で、そこで行われている行為の比較をしている「グローバルスタンダード」というものに対してだ。たぶん私はそういう意味での「グローバルスタンダード」を永遠に理解できないであろう





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ご周知の通り、9月6日午前3時8分けたたましいスマホの音で目覚めた。地震発生を知らせるアラートだった。しかし、それと同時に地震は起きた。久し振りに体験する大きな揺れだったが、揺れている時間が短かったために強い恐怖心は持たなかった。その後の情報収集で函館は震度5弱であったことがわかり、自分が体感した感じとだいたい一致していた。1968年の十勝沖地震で当時の震度で5、1993年の北海道南西沖地震での震度4の方が強い恐怖心を持った。いや、その経験があるからそれほど大きな被害にはならないだろうという確信を持てたのだった。

しかし、被害は思いがけなくすぐやって来た。停電だ。

最初は、地震の一昨日に巻き込まれて台風21号によって弱っていた電柱などが倒れてどこかの電気架線が切れたのかと思った。やれやれ、まぁ仕方ないか。とりあえずキャンドルに火を点け落ち着くことにした。そして、タブレットのテレビ受信機能を使って緊急報道番組を見ると、北海道全てが停電になっているとのことで驚いた。震源地が胆振地方の厚真なのになぜ?まったく理解できなかった。

夜が明けてタブレットでテレビ番組を見ると、いわゆる「ブラックアウト」によるものだと分かった。ブラックアウト?始めて聞く言葉だった。
先程も記したが、北海道は広く、今回の厚真発電所(震源地に近い)1か所の停止で全道の電気が消えるということは、例えば愛知県の発電所が停止して、首都圏から近畿まで全て停電になるということと同じようなものだ。皆さんは信じられるだろうか?
そして、テレビのニュース番組で何度も示された道内の火力発電所の分布があまりにも西側に偏っていることがわかった。(正直に言ってそれまでは気にも留めていなかった)どうして北海道の西と東、北と南でバランス良く配置してこなかったのだろうか?厚真火力発電所と泊原発があれば充分とたかをくくっていたのではないだろうか?
そして忘れ去られそうになっていた水力発電も、この非常事態に稼働を始めたところもある。やればできるのではないか?それらを日常から上手く組み合わせて稼働させていたらこんな事態を防ぐことができたかもしれなかったかもと疑念を抱いてしまった。

原発の是非について書こうと思うとかなり長くなってしまうので、ここでは一言だけにとどめておくが、原発は稼働停止時に自力では冷却できないだけではなく、そのまま放っておくとメルトダウンを起こす。これは誰もが福島原発で身の髄まで思い知らされたことだろう。今回そのような危機が迫らなかったのは、泊原発が停止してかなり冷却されていたからだった。もし稼働していたら外部電力が作動するまでは、私たちは停電の不便さよりも福島の再現を危惧しなければならなかった。その心配をすることが不必要だったとわかったのは停止してしばらく経っていたからだった。

さて、自分が住んでいる函館に話を戻そう。地震と停電から1時間以上してから、ともかく今は寝ようと布団に入り、何とか寝不足の中いつもの出勤日の起床時間に起きた。そして、いつものように出勤のための仕度をしていると、(といっても停電のためシャワーは使えず、昔懐かしいお湯を沸かして髪と顔を洗うという最低限のことしかできなかったが)役員より携帯に電話があり出勤はせずに自宅待機となった。

仕事に行くことがなくなったことで、結果的にとてつもなく長く感じた1日が始まった。

これは私の災害に対する備えが悪かったせいでもあるが、情報源がほとんど無くなったことで、これからどうしたらいいのかネットだけを頼りに自分で考え始めた始めた。主にSNSとネット上でのニュース等々。一時期は電気の復旧まで1週間以上かかるのではという投稿をたくさん見た。それは、後に復旧後テレビでのニュースで分かったことだが、厚真発電所の損傷の回復が最低でも1週間以上かかるという意味だったのだが、情報が流れた時点で、厚真発電所のことなのか全道の停電のことなのかをわかっていたのかどうかも確かではない。ともかく必死に情報を入手しようとしていた。
人々の不安からなのか、それとも面白半分からなのかわからないが、誤情報が入り交じっていた。いや、正確に言うと、どれが正しいものなのか誤ったものなのか、ふざけて流したものなのか、その時点では明確に判断できなかった。日中スマホの充電を自動車のシガレットライターを通じてしながら情報収集をするためにずっと車内に閉じ籠っていた私はとてもとても小さな世界から何かを判断しなければならなかったのだった。

その中で、後からテレビなどで「デマだ」と報道された、NTT docomoの通信が基地局のバッテリーの備蓄の関係で、あと4時間ほどで通信不能になるという「噂」だが、私が住んでいる地区では4時間後ではなかったが、確かに通信ができなくなってしまった。スマホから電話してもメールしても無反応だった。時間は別にして、それは「デマ」ではなかった。そのため、私は市内を走り、通信可能な谷地頭方面で情報収集することしたくらいだ。
事実がデマとして扱われ、デマが事実として扱われる。そんな可能性があることも後にわかった。

ともかく、私には限りある中で情報収集するしかなかった。ひとつのツールとしてfacebookがあった。何度も何度も開いては閉じを繰り返しているうちに、市内の「友達」が電気がついた!という喜びの声が上がった。それは希望の情報になった。1週間以上という想像もできない停電生活を強いられなくてもよさそうだ、という希望だった。twitterでも○○地区電気が復旧というツイートが見られた。きっと一気に通電はできないから、徐々に通電地区が広がって行くのだろうと思った。私が住んでいる地区は確かに函館の端のほうにあるから後になるのは仕方がない。そのうちわが家も通電するだろう。
水とガスは利用可能になっていたから、日常に近い(食料はすぐ復旧できないことは織り込み済みとして)生活がもうすぐできるだろうと比較的楽観視するようになった。しかし、日が暮れ周囲が暗闇になり、時間が刻々と過ぎて行くと、希望がストレスに代わってきた。どうして1Km近くまで復旧しているのに自分の所ではまだ通電しないのか。苛立ってきた。函館の中で私が住む地区は遅くても支障がないだろうと判断された「後回しの地区」と取り扱われていたのだろうか。
ある人が、「大きな病院がある地域から復旧している」というツイートをしていた。なるほど、と思った。それは当然のことだろう。患者によっては生死にかかわることだからそれを最優先するのは充分理解できる。老人施設がある場所から通電していくのも理解できた。

しかし、電気を待っている身としては、自宅から1kmの所まで通電しているのに、一向にこちらに来ないことにはストレスを感じた。ひょっとして私の地区は「遅れても構わない地区」として分類されているのか。もしそうだとしたらとても切ないものだ。まるで被災地で、隣の町まで救援物資が到着しているのに自分の町には一向に来ない。そんな孤立感とストレスを感じた。ひょっとしたら差別されている。そんなことまで頭を一瞬よぎった。
それで、それまで情報収集源としていたSNSをあまり見ないようにした。あぁ、これがSNSストレスというものか。あるいは被災者の心理というものはこういうものがより増幅したものなのだろうか。もし復旧しないのならそう言ってくれ、諦めて眠るから。復旧するならもっと早く来てくれ、安心して眠るから。しかし、何の情報もなかった。そして、疲弊がピークに近くなりつつあった23時25分頃、やっと通電した。

普段なら何のことなしに過ごしているうちに訪れる23時25分。この時刻がまるで深夜の3時くらいまで起きていたような感じに覚えた。ともかく、通電し、家電が問題なく稼働しているのを確認して、すぐに寝た。SNSに復旧したよ、とは発信しないで。まだ復旧していない地域があって、さっきまでの私と同じ思いの人もきっといるだろうから。

そして翌日、疲弊はしているが通常通りの仕事などを再開した私がひどくショックを受けたことがあった。それは、電気が復旧した最後(時系列的に市内ではそう思われる)の地域が観光のメインスポットであったことだ。町名をあげると豊川町と末広町。いわゆるベイエリアだ。
なぜ北電はそうしたのだろうか?まさかとは思うが、その周辺に宿泊している人たちは地元民ではないので、一番最後でいい。どうせ函館を離れる人たちだから。まさかそう判断したのだろうか。そんなことはないと信じたいが、結果的に翌日滞在した(あるいは交通機関が全面ストップしたから滞在せざるを得なかった)観光客たちは、日中物資も無くなり、店舗も開いていない中、時間つぶしをし、夜には暗闇に閉ざされた街を通ってホテルに帰る。もちろん周囲は真っ暗闇で出かける気分にすらなれない。

私も旅をしたり、出張などで見知らぬ街に宿泊したことがかなりあるが、知らない街でのアクシデントは普通以上に心細くなる。そしてその印象は強く心に残る。「自分たちが泊まったホテルの地域だけ最後まで電気がつかなかった」という残念な思い出だけを心に残し、自分たちの住む街に戻ったら、きっと知人や誰かに話すだろう。「すごく怖かった」と。
どうして北電はそのような方々のホテルの周辺に灯りをともし、「安心してくださいね」と無言の実行をすることができなかったのだろうか。函館が秘境のような宿泊客も少なく、電気などもちょっと怪しい地域であったら話はちょっと違ったかもしれないが、観光スポットは当たり前の市街地の中の一角だ。どうしてそこが最後になってしまったのか?私には到底理解ができない。観光函館に撮って非常に大きなウエイトを占めている産業なのだぞ。函館の経済を潰す気か、北電は。まして豊川町には魚市場がある。停電では市場を開けることもできないだろう。実際、魚市場が稼働できたとしても卸売もできなかったかもしれない。しかし、稼働できていたら、市民への供給ができなくても、観光客への供給できたかもしれない。もしできたのなら、観光客はこの大変な時に美味しいものを食べることができて、ずつと不安だった心が和らいで帰途に着けたかもしれない。実際にそうなるかどうかはわからない。だができたかどうかは、いつ通電したかによっても違うだろう。

もちろん観光地の被害は函館だけではない。北海道全域に達する。それは、最初の方で述べた、広大な面積があるにも拘らず、北海道という一言でくくられているからだ。もう一度言う。北海道の面積は関東から関西まで至る広大なものだ。今回の甚大な被害が起きた厚真から函館までは陸地で250km以上離れている。東京から浜松までまでの距離だ。もし東京在住の方が、浜松で発電所が停電したから電気は全て使えません、ということになったら納得できるだろうか?また、その浜松で被害が甚大だったからといって、東京に行くのをやめようと思うだろうか?京都に行くのを止めようと思うだろうか?

残念なことに、北海道はどんなに影響がない場所でもひとくくりに北海道とされており、今、北海道に危なくて行けないなということになるだろう。これは北海道の他都府県へのアプローチの問題もあるだろうが、ともかく、北海道の観光は今どん底であるのには違いない。早く北海道に観光客が戻ってくれるのを祈ってやまない。しかし、もし、地震前の観光客が戻って来たとしても、現在の綱渡りの電力供給が改善されないと、増加した観光客が使用する電力が増大し、再び電力危機を迎えなければならなくなるかもしれない。現在の需給バランスは、企業が節電をし、観光客がホテル利用しないことによってかろうじて成り立っているバランスなのだから。

だから、結局最初の発言に戻る。小規模でも使えるのなら水力発電もどんどん日常的稼働させるべきであるし、近場で言うと、森町の地熱発電も最大限に利用すべきである。そして、北電は「原発稼働」を前提としない電気供給の、ブラックアウトしないシステムを再構築すべてきである。それができなければ、結果的に「民が民を滅ぼす」ことになってしまうのだから。そうなった時、北海道電力の経営もおぼつかなくなるだろう。
そう、心中するかどうかは北電と行政にかかっているのだから。



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今回の青森の旅でどうしても行ってみたかった場所にやっと行った。それはちょっとだけ思い切りが必要だった。新青森駅でレンタカーを借りて目的地まで何時間かかるのだろうか?そのために宿泊地に到着するのがかなり遅くなるのも嫌だった。私の旅の流儀として、夕方までにはホテルに着くというものがある。つまらない流儀かもしれないが、ホテルでの滞在も楽しみたいという私の旅のスタイルを変えたくないからだ。

それはそれとして、今回その迷いを断ち切ってその場所に行ってみた。青森県の地図を思い浮かべることができる方は頭の中で想像していただきたい。青森駅の西側にある新青森駅から陸奥湾を北東に進み、有名な浅虫温泉を過ぎ、野辺地を通り越すと、陸奥湾を西側に見ながら北上を続ける。
しばらくの間ただひたすら陸奥湾を北上する。出発して2時間以上走るとやっとむつ市内に入る。すると、国道はその地形に合わせて、今度は西に向かう。その一番最初に目にすることができるのが大湊に停泊している「軍艦」だ。函館ではあまりお目にかかることができない、本格的な戦闘用の軍艦が静かに停泊している。

本当はそれもじっくり見てみたかったのだが、距離感覚がわからない私にはとりあえず目的地に向かうことを優先した。大湊を過ぎてなお西に向かう、そう、それは函館方面から見ると、視認できる下北半島の裏側、陸奥湾に面した道路である。40分程度で行きたかった「青森県むつ市川内町蛎崎」にようやく到着した。午前中に出発したが、昼食はタイムロスを考慮してコンビニでサンドイッチを買い、それを食べながら運転を続けて要した走行時間だった。

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蛎崎の海。これを見るために私はやって来た。ここから北海道は見えない。たぶん青森すら見えていないだろう。津軽半島と下北半島に囲まれた陸奥湾しか見ることのできない、この場所、私の母方の祖先は住んでいた。

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いちおう蛎崎城に住居を構えていたようだが、今から約560年前、蠣崎氏の謀反により討伐され、この地を去って北海道に渡り、上ノ国町に花沢館を作り次の棲家とした。この館は道南12舘のひとつとして数えられ、そのうちのひとつが箱館であった。北海道に移り住んでから間もなくコシャマインの乱が勃発し、それを客奨である武田信弘が平定させ、蛎崎家はやがて道南一の館となり拠点を現在跡地が公開されている勝山館に移した。1514年本拠を松前に移し、やがて蠣崎から松前と名を変えた後、豊臣秀吉に取り入れられてもらい、それまでの安東氏の支配下から独立。その後徳川家康の時代に蝦夷地の支配権を認められ、それから約100年もの後に正式に松前藩として認められた。この時、松前家の中から家老職を担う一族は再び蠣崎を名乗り藩の終焉まで代々松前藩の政に関わることになった。

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簡単に書くと、従来の機銃地を追われ、新天地で成功を収めた話に聞こえるかもしれないが、決して盤石な基盤に立った藩ではなかった。全国の中でも年貢を米で納めなくてもいい特別な藩として扱われたのはいいが、経済基盤は海産物などの漁によって左右され、決して安定的とは言えないものだった。また、兵隊組織も盤石ではなく、旧幕府軍の北海道上陸の際にはあっさりと敗北している。その前にも2度ほど幕府直轄の支配地となってしまっている経緯がある。

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その蠣崎家が記録として登場する最初の地が、下北半島の蛎崎という小さな集落だ。何も知らずに車で走ると、あっという間に過ぎてしまうほど小さな街だ。近くの川内の街の方が昔栄えた面影が残っている。広大な屋敷らしきものも見られた。
本当に蠣崎家はこの場所で川内方面に勢力を及ぼしていたのだろうか?そんな疑問をどうしても持ってしまう。今回はただこの街を少し歩いただけだったが、今度来る時は時間を充分取り、簡易郵便局の方などに尋ねて少しずつ紐解きをしてみようと思った。

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今回時間をとれない強行軍で訪れたのは、蛎崎の海を見てみたかったからだ。蠣崎家はこの浜から北海道を目指したのだろうか?実際に現地に立って考えてみると、どうもそうは思えなかった。色々なパターンを考えてみた。蛎崎を追われた蠣崎家は下北半島の北側、つまり津軽海峡に面したどこかから蝦夷に向かった。だが、このルートであると蠣崎家が現在の戸井・恵山などの箱館より東側方面(太平洋側)に漂着し、そこに居を構えた方が自然に思えるが、実際は正反対の西側(日本海側)である上ノ国に移住している。そこから推測されるのは、一度下北半島から八戸南部の目が届かない津軽半島に向かい、それから日本海ルートで上ノ国に上陸したのではないかということだ。

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いずれにしても、約560年前、蛎崎家がこの地から蝦夷を目指したことによって現在の私がここにいる。
蛎崎家は松前藩解体後、藩の家老の中でも最も貧乏になった一族と言われているが、何となく今の自分を見ると納得してしまう(笑)
それでも、自分の中にどこか武家の心が残っているような気がする時がある。それはきちんとした理念などの言葉で表せるものではない。でも、仙台や弘前などの城下町を訪れた時に、「ここは訪れるべき場所だったのだ」と頭のどこかで感じてしまう曖昧な感覚はいつも感じる。そして、たまたま私はそのような場所に旅することが多い。蛎崎を離れてから向かった先は八戸南部藩があった八戸だった。




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今日、仕事から帰宅して、いつものようにPCを起ち上げメールチェックをした。朝に一度チェックしてから帰宅するまでの間、何十件ものメールが送られてきている。それらの大部分は登録してあるネット通販サイトからのもので、いちいち配信停止にするのも面倒なので「送られるがまま」にしていた。その気になればいつでも配信停止にできるからと。しかし、受信するメールの中には、明らかな詐欺メールが混じっている。だか、それらはほとんどパターン化されているためだいたい分かるし、そもそも怪しいメールはすぐ迷惑メールフォルダに登録してポイしてしまう。その中でも特にわかりやすいのは英語でのメールだ。私はインターナショナルな人間ではないので、英語で誰かからメールをいただくことはない。だから、即断で迷惑メールに振り分けることにしている。それは慣れたことだった。

しかし、今日多くの受信メールの中で思わずしっかり読んでしまった英文のメールがあった。どうしてそれを読んだのかというと、最初に私のパスワードが書かれていたからだ。それも今ではわずかのサイトでしか使っていない古いパスワードであった。それでも自分のパスワードを知っているとなると気になる。必死にその英文を読もうとしたが、わからない単語なども多く、自動翻訳システムを使って日本語で読んでら何となくわかったのだが、確証を得るため同じようなメールを受け取った人がいないかネットで検索すると、類似したメールは、あった。

そのメールはとても長い文章であったが、ポイントをまとめてみると以下のようだった。

「私のパスワード」次に「私のメールアドレス」が記され、私(送り側)はあなたのパスワードから、あなたが利用しているサイトを調査し、あなたの友人や家族などの情報を持っています。また、あなたがポルノサイトを閲覧中の「幸福に満ちた顔」をPCのカメラから取り込み保管しています。(ここはちょっと疑問)私はあなたの生活やネット上での交信なども全てチェックできています。(つまり、私のネット上の情報は丸裸になっているということを言いたいらしい)

私が持っている情報に対してあなたが撮るべき行動は2つである。一つ目は、このメールを無視すること。すると私は自動的に1日後にMessengerなどを通して、あなたの「恥ずかしい姿」を一斉送信します。そしてあなたの「恥ずかしい姿」は親族・友人に知られることになるでしょう。(思い当たるふしはないが、恥ずかしい画像を強いて挙げれば、PCの前でパンツをはきかえたことだろうか)
二つ目は、私はあなたの秘密を守秘するので、指定されたサイトにアクセスして、$8000のビットコインを購入すること。となっていた。なぜビットコイン?ますます疑わしい。
でも、このようなメールが来るとやはり不安にならないと言ったら嘘になる。そこで、数少ない昔のパスワードを変更し、おまけにWindowsの起動パスワードも変更した。もし、それにも拘らず、明日私の知人に私の「恥ずかしい写真」が送られましたら、これは本物と思ってみなさまもご注意ください。

久々に英文をまじまじと読ませてもらったメールでした。たぶん明日何も起こらないと思いますが、もし「私の恥ずかしい写真」が送られてきましたらご一報ください。

詐欺メールも手が込むようになりましたね。今後も気を付けましょう。





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ある高齢者がそう言っていた。
「だから毎日歩くようにしているんだよ」
私もそう思う。

でも、ただ歩くのも大変だ。長時間歩くには、時間を忘れる風景とそれを楽しむ自分が必要だ。
私には幸い、西部地区というご近所とカメラがある。
歩く理由はいっぱいある(笑)

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おかげで、酔いの勢い(体の麻痺?)があると本町から入舟町まで歩いて帰ることができる。
はい、狙い目は酔った時です(笑)



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平成は震災の時代だった。まだ平成が終わったわけではないが、もういい勘弁してくれと言いたくなるほど、私たち日本人は目を覆いたくなるような悲惨な光景を目の当たりにされてきた。

平成の震災による悲劇は北海道南西沖地震から始まった。
それは平成5年7月12日午後10時17分、私はちょうど仕事から遅く帰り函館駅前付近を走っている時だった。突然車のハンドルが左側にぐいぐいと引っ張られた。右側に何度ハンドルを切ってもそれ以上の力で車は左側に吸い込まれるように向って行った。最初はタイヤがパンクしたのだと思った。やれやれ、ともかく減速し様子を見ようとした時に何気なく街路灯を見たら大きく揺れていた。それでやっとこの異常な車の状態が自身の揺れによるものだと判断した。
そこで私は駅前の高層ビルの前を静かに通り過ぎ、建物が倒壊しても車まで被害が及ばないだろうと思われる2階建ての建物の前で一時停止し、地震の様子を窺った。
少しして完全に揺れが止まったのを確認して車を発進させた。25年も前のことだが、その時の恐怖は鮮明に覚えている。
幸いに自宅には大きな被害はなく胸を撫で下ろし、通常通り眠りについた。しかし、翌日震源地に近い奥尻島の被害の状況をニュースで知ると、理解することのできない出来事が起こっていたことがわかった。津波や火災で小さな島の中で多数の人々が亡くなってしまっていたのだった。

結局この地震での死者は202名だったそうだ。津波は10メートルの高さまで達したようで、これが都市部であったら被害者はもっと増大していたのだろうと思った。

それからたったの2年後の平成7年1月17日、あの阪神・淡路大震災が起きた。翌朝のニュースではとてつもない大きな地震が発生したことがわかった。未曾有の規模の被害だった。まるで地獄絵図のようだった。

そのボロボロになった市街地がやっと落ち着きを取り戻した頃の平成16年10月23日、新潟県中越地震が発生した。その何年か前に、私は新潟県に住んでいたため、気が気ではなかった。知人に電話し無事を確認したり、現地の情報が知りたくてたまらなかった。
ひの中で、私が仕事で度々通っていた道路で崖崩れが起き、親子3人の内2名が死亡、無小さな子供だけが偶然できた空間の中で生きて救助されたことは記憶に新しい。そこは、もし私がそのまま新潟にいたら、ひょっとしてたまたま通り、私が被害を受けていたかもしれない場所だった。本当にこれは運命というしかない。

そして平成23年3月11日

我々の想像や仮定をはるかに上回る規模の津波が発生した東日本大震災。死者数や行方不明者数などは記さない。それは現地を見て人間として受ける感覚で推し測った方がいいだろう。ともかくつなみによって「何も無くなった」それが全てだ。

まだまだ追い打ちをかけるかのように、平成28年4月14日、熊本地震が発生。


そして今日大阪で。

考えないようにと思ってもついつい、「次はどこだ?」と余計な憶測と、繰り返される惨状の記憶。
もういい加減にしてほしい。私たちが生きている間に、地震だけでこんなにつらい思いをさせられるなんて。

ともかく、今は、今日の地震で命を落とした方たちのご冥福を祈るしかない。




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時々人との会話の中で、「あなたのこと皆、〇〇だと言ってるよ」という言葉を話す人がいます。
この〇〇が、例えば「皆いい人だって言ってるよ」であるのならいいのですが(誰でも変な下心を感じない褒め言葉なら気分が悪くはない)、その人を批判・非難する意味で使う時、ふと、その人が言っている「皆」とは誰のことなのだろうと考えてしまいます。

その人とお付き合いのある人たちの中での「皆」なのか、それとも、本当はそれほどの数はいないのだけれど自分の考えだとは言いたくないから「皆」という言葉に替えて言ってしまったのか、それとも本当に「皆」なのか?

私はこの疑問を持つようになってから、なるべく「皆」という言葉は使わないように心がけています。それでも滑って話してしまった時、内心「しまった!」と悔やんでしまいます。なぜなら、私の知人の数なんてたかが知れているし、世の中全体のごくごく少数でしかないのですから、それを忘れてまるで正義の代表かのように話すということは、同時に自分の世界がとても小さいということの裏返しになるからです。
仮に知人が1000人いたとしても、函館26万人のうちのたった1000人であるし、北海道530万人のうちのたった1000人であるし、日本1億2650万人のうちのほんのわずかな1000人であるし、世界76億人のうちの1000人なんて0にも等しいくらいの小さな数であります。

それでどうして「皆」と言えるのでしょうか?

そんな風に自分をかばうために「皆」という言葉を使うなら、「自分はあなたのことをこう思う」と堂々と言った方がずっと潔く思うのであります。自分の意見・考え方としてあなたのことをこう思う。もしそれによって相手に不快に思ったとしても、責任は自分だけにありますからね。たまたま何人かと同じ考えを持ったとしても、少人数の考えを「皆」の考えだというのは、自分のキャパシティの狭さをアピールしているにすぎないと思います。

ただし、「周りの皆、あなたとことを心配しているよ」とか、特定のグループ内(会社の部署などもそうですが)での「皆」は本当に皆なのかもしれません。
ともかく、本当に言葉の使い方は気を付けなければなりませんね。


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ここ連日、森友学園の財務局の決裁書改ざん事件に関してのニュースが大々的に報じられていますが、どうも焦点を当てているのが買い残が事実か、政治家が関与しているのかという点ばかりで、それはそれで追及としては大切なことなのですが、なぜ、ある時突然財務省化書き換え前の文書を公表すると、今までの態度を一変したのか気付いていない方もいらっしゃるのではないでしょうか?

もちろん最初は朝日新聞のスクープによって書き換え前の文書があったという報道がなされたことが事の始まりだったのですが、それでも財務省や与党は色々な理由をつけてそれを認める方向の答弁を決してしていなかった。ところが、あるささやかな、スクープというほどのものでもない報道(一言)から事態が豹変したのでした。

それは、財務省が決して公開のこの字も口にしなかったが突然公開すると発表した何日前かの小さなニュース。それまで財務省は、文書は全て検察が押収しており確認できないというお決まりの答弁を繰り返していた時、大阪地検が、「ある程度捜査が進んだので、文書をお返ししてもいいですよ」とのコメントをしたのだ。
この一言で、事態は大きく変わった。返却された文書をまた隠して発表しなかったとしても、いずれ裁判で明らかになる。実際に改ざん前の文書は実在していたのだから、公表しないと、「文書は地検にある」という言い訳もできなくなる。地検からすると、ちゃんと返却したのだから、それを公表したらどうですか?ということを言いたかったのだろう。

財務局にはもう逃げ道は無くなってしまったのだ。時間稼ぎもできなくなってしまった。そこで、(想像では、もちろん財務省と政府が協議し)文書を公表することにし、その落としどころとして、佐川長官の首を差し出した。政府としても全ては官僚がやったこと、政治家・政府は関与していないという方向に無理矢理話を進めざるを得なくなってしまった、というのが本日までの流れだろうと私は推測している。

もともと、公務員の人事に必要以上に口出しし、自分の都合のいい人物を昇進させる安倍体制に少なからずとも、役人側にも反感を持っていた人々がいたという。例えば、財務局局長であった佐川氏が知らぬ存ぜずで答弁を押し通したのちに待っていたのは、国税庁長官というポストであった。
「よく難局を突破してくれた」ということに対する「ご褒美」なのだろう。

その立役者に全責任を押し付けて、辞職させ、自分たちの保身を図ろうという政府の姿勢に、不信感を持つ国民は数多いだろう。
さて、それでも佐川氏は証人喚問で、黙秘や「記憶にございません」と明確な答弁をすることを拒むのだろうか。退職金5000万円をもらえたお礼として。または、今後の自分の立場を「悪いようにしないから」という約束をもらった忠誠心からか(これは想像)。
それとも、自分だけに責任を押し付け、保身を図ろうとしている政府への報復として真実を話すのだろうか。

その結果は想像もできないが、ともかく、この問題が大きく動いたのは大阪地検の「文書を返してもいいですよ」というささやかな一言からだったのを私はしっかりと覚えている。ちなみに、朝日新聞に情報提供をしたのも大阪地検の一職員ではないかと推測されているが、まぁ、「驕れるもの久しからず」といいますか、事態を大きく動かすには強烈な発言は必要ないのです。タイミングを見て、ボソッと一言話すだけで充分なのです。

私も、ボソッと一言つぶやいていることが多いのですが・・・・・・(笑)




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2016年9月7日、私は被災地を巡った。しかし、後悔ばかりが残った。自分が立てたスケジュールはあまりにも安易であった。車でひと通り訪れるという旅程は、政治家の形式的な訪問よりも粗末な訪問であった。

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私は目に入ったものを、ただ写真におさめた。もちろん私にはそれくらいしかできなかった。それ以上の何が自分にできただろうか?
奇跡の一本松に観光バスで訪れる観光客と何一つ変わらない存在であった。いや、それ以上の存在になりえるわけがないのは最初からわかっていたはずだ。

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被災地を巡った後、誰かに何かを話そうとしても何も話せなかった。何を話したらいいのだ?何もわかっていない人間が話すべきことなどない。
だから、このブログでもしばらくは写真すら出すことができなかった。

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陸前高田には何もなかった。何もないものを撮影することがこれほど困惑するとは思ってもいなかった。元々何もなかったのか、何かが無くなってしまったのか、それすらわからなかった。

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しばらく自分にも重たい気持ちが支配した。なんて馬鹿なことを考えて行ったのだろうか?
自分の愚かさを恨んだ。

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だからこそもう一度行きたかった。そして昨年年末に再び訪れてみた。
仙台に着いた日の夜、地元の人たち何人かと話した。その中には、震災被害の後片付けが終わってから両親が離婚したという人がいた。「どうして?」と訊きたかったが言葉が出なかった。岩手県で被災し、仕事を求めて仙台に移住した人もいた。その人は言った。「仙台は真っ先に復興したけれど、地方はかなり後回しにされている」

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その次の日、私は海岸沿いを北上した。だが、今度は写真を撮る気すらなくなっていた。
深く傷ついているのは津波に流された街や人だけではなかった。生き残った人たちにも推し量れないだけのキズを負っていたのだった。
それは決して写真におさめることはできるものではない。

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たぶんまたいつか被災地にはまた行くだろう。
でもその度に人々の心の底を摑めない自分に疑問を抱き、写真を撮ることができるかどうか、今はまだわからない。
ただ、私は日本人の責務として行くべきだという自分の考えに基づいて、3度目の訪問をすることになるだろう。



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