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新しい元号が「令和」になりました。
たぶん皆さんと同じように、まだこの言葉に慣れていないために、どうしても違和感を持ってしまうのですが、そのうち慣れて来るでしょう。

さて、この「令和」という元号を知った時、改めて過去の元号を遡ってみたら、ある共通点を見つけました。それは本当にどーでもいいことなのですが、タイトルの「どーでも」と同じように、伸ばして読んでも日常的におかしくないものが多いことでした。

今回の令和は「れーわ」、ここから遡ると、平成は「へーせー」、昭和は「しょーわ」、大正は「たいしょ―」、明治は「めーじ」。つまり、明治以降は母音が必ずあるため伸ばして読んでもそれほど違和感がないのです。
それ以前の江戸時代はというと、有名な元号では、慶応は「けーおー」、文久「ぶんきゅー」、安政「あんせー」、天保「てんぽー」、享和「きょーわ」、寛永「かんえー」等々。

母音が使われているとこのように読めてしまうため、「どーでもいい話」になってしまうのですが、結局慶応から令和まで6時代続けて伸ばして読める元号になるとは、日本の歴史の中では珍しいことではないことでしょうか。元号を全部調べたわけではないのですが、長い江戸時代でも6時代続けては1度しかないようです。

まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、最低でも平成時代のように、外国と戦争が決して起きない時代になってほしいですね。
政府に命「令」されて、昭「和」の太平洋戦争のように、多くの国民の命が消えて行くことがないように祈っています。




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平成を振り返るというテレビの特番が各局で毎日のように放映されている。
それらを見ていると、特に地震による大規模な災害が幾度となく日本を襲い、非情なまでにも一般市民から死者を出したものだと改めて認識した。
地震の恐ろしさ、僅かの時間で容赦なく人の命を奪うというどうしようもない事実、そして生存者たちのそれからの生活。私たち北海道人も昨年全道を巻きこんだブラックアウトによって、たった1日か2日電気が使えないだけで、通常生活に戻ることができるのに1週間以上を要したことで、それ以上の不自由な被災生活を送っている方々のつらい思いのほんのわずかだけかもしれないが、少し理解できた。

だが、地震は人間が起すものではない。自然という地球の大きな力が働いて起きてしまうものだ。その脅威の前には、人間の知恵などはほとんど役に立たなかった。しかし、恐ろしさという点では、自然現象よりも、人間自らが起し、同じ人間を地獄の底に陥れた方が自然とは違った意味でとても恐ろしかった。
その代表的な平成の事件は、やはりオウム真理教の地下鉄サリン事件だろう。

この事件、当時の仕事が休みだったのか、どういう理由だったのかは忘れたが、発生直後のニュースで知ることができた。まだ状況や毒物の成分などがわからず、ただ、人々が倒れ救急車で搬送される慌ただしい東京の風景の第一印象は「戦争が起きたのか?」そういう恐怖を覚えた。この平和な日本という国の中で、これほどの大規模な犯罪が起きるとは、当時は考えることもできなかった。
そう、人が人に手を下したのだ。それも何も関係のない人々を巻き添えにして。いくらバブルが崩壊して混乱から立ち直れない日本の社会状況だったとはいえ、「私が信じている日本人」が同じ日本人に対してそんなことをするなど信じることはできない。そういう意味で、私にとって平静で最も衝撃的だった事件はオウム真理教の地下鉄去りに事件だった。

しかし、また、とても素晴らしいこともあった。それは平成の間、他国との戦争がなかったことだ。明治以降ずっと戦争していた日本だったが、「平成」という字の如く、バブル崩壊・リーマンショックなどの経済的苦境がありながらも、他国と戦争しなかったのは喜ばしいものだった。
そう、明日新元号が発表されるが、新元号が何になるか楽しみに待っていられるということは、平和である証拠なのだ。天皇崩御によって新元号にするとしたら、今のように楽しみにすることもできなかったはずだ。そういう意味で、平成天皇の決断(願い)は平和であった平成を締めくくるには素晴らしい提案だったと思う。いずれにせよ、どんな元号になるかわからないが、次の時代も平和が当たり前という時代を私たちが築き上げて行かなければならない。それは全て私たちの肩にかかっているはずです。



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多くの人が馬鹿じゃない?と思われるかもしれませんが、私はapple系のコマーシャルが好きではありません。製品の性能・面白さは(使っていないので確かなことは言えませんが)、たぶんとても優れていてスマートでデザインも良く、魅力あるものだと思います。
きっとそうでしょう、たぶん・・・。
しかし、それでもありコマーシャルがどうも好きにはなれないんです。それは自分色に染めて他の目が移らないようにしようという意図が見えてくるコマーシャルだからです。で、おなかつ価格も高い。だから、好感を持っていない人間から見ると、iphoneユーザーは上手く巻き込まれているように見えてしまうのです。
iphoneの新製品って、ちょっとしたPCが買えるほどの価格です。でも、現段階では様々な作業ができるのは、やはりPCなのです。
それを特に性能が高いiphoneであれば全て1台でできてしまうと錯覚させること、あるいは、もうそれしか使えなくなるような流れに誘導していることに、私は抵抗を覚えてしまうのであります。

そのiphoneのコマーシャルって、「いかにもアメリカ」という押しつけがましい空気が画面から流れて来ているのです。もっとサラッとできないものなんでしょうかね。
それでも、若者はiphoneの新製品が出たら、それなりの金額で買ってしまうのでしょうね。まぁ、分割払いにするとけっこうな代金を支払っているという感覚もないのかもしれませんが。

だいだいAPPLEPAYっていったい何のために作ったのでしょうか? iphoneユーザーの購入傾向をひとまとめにしてデータ化し、それを統計分析し、どこかに売るためにあんなものを作ったのでしょうか。APPLEPAYを使うとポイントがたくさんつきますよ、というキャンペーンの金の出所はどこなんでしょうか?
何となく疑問を感じて、その後に雨後の竹の子のようにできた〇〇ペイなどは一切使わず、キャッシュレス決済をする時は個々のカードを提示してやっています。

うーん、こんな私ですから、iphone信者にはなれないでしょうね。
はい、私は、通話ができて、メールのやりとりができて、きれいな写真が撮れなくても(本当にきれいな写真を撮りたかったら一眼レフかLeicaで撮ります)、一向に構わないのでほぼ最低限のスマホで充分だと思っています。
はい、クラシックな人間であるものですから・・・・、




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先日、建築基準法違反で大きな社会問題化したレオパレス21。
賃貸アパート経営市場がバブル時代から安定的に推移した中で規模を拡大し続けた企業だ。バブルの頃は、賃貸アパートはどんなものでも建てたら売れるという時代だった。不動産を売却して得た大きな利益で賃貸物件を購入し、節税対策と賃料収入を得ようとしている者にとっては「美味しい不動産」であった。その頃増収増益で業務拡大した不動産会社のいくつかは株式公開で更なる資金を集めようとしていた。しかし、どこの誰なのかはわからないが、違反としては大きな被害にもならないような微小な宅地建物取引業法違反で摘発され、いくつも会社がその道を絶たされたのだった。だが、レオパレス21(当時の社名は株式会社ミヤマ)は業界内の足の引っ張り合いをかいくぐって店頭公開・上場を果たした。

正直言って、昔はそれほどレオパレス21のイメージは悪くなかった。経営持続が難しい単身者向けアパートの分野で業績を残していることは、それなりのノウハウを持っているのだろうと思っていた。上場したことにより、社会的責任も大きくなり、それなりの品質のものを提供しているとばかり思っていた。ところが、この度の問題で、レオパレスお前もか、という残念な思いとともに、10年以上前に私自身が経験したレオパレス21の営業マンとのやりとりを思い出した。

その頃私は不動産会社に勤めており、転勤で苫小牧で仕事をしていた。不動産仲介が主の仕事であり、そのためいくつもの土地や建物の売却依頼物件を持っていた。この売物件を持つということが大切で、これがなければ商売にならないため、不動産所有者との関係も良好に保つことも大切な仕事の一つであった。
そんな中、ある日の午前突然(確か土曜日だったと思うが)レオパレス21の営業マンから会社に電話がかかって来た。売り土地に対する問い合わせだった。その土地の担当は私であったため電話を替わり話を聞いてみると、東京から投資物件用地(この場合投資アパート建築用地)として私が担当している土地が買い希望者の目に留まり関心を持っている。そこで明日その人が苫小牧に行くので、現地を見て気に入ったらその場で契約したいとの話だった。
私はこの話に驚いた。簡単に契約と言うが、賃貸物件の契約とは異なり、売買物件の契約は重要事項説明にも詳細で繊細に作り上げなければならない項目多々あり、そんなに簡単にできるものではない。また、土地を見て気に入ったからと言っても、その場で売主に連絡し、今すぐ契約があるから事務所に来てくださいなんて、あまりにも失礼で、そんな要請もできない。あるいは、契約があるかもしれないからずっと自宅で待機してくださいなんてとても言えない。まで本当に買うかどうかもわからないのに、そんな約束なんてとてもできるものではない。
そのような理由で、私はレオパレス21の営業マンに対して、不可能ですと答えた。相手は仕事にならないのが面白くないようで、めんどくせーなみたいな声で渋々電話を切ったが、今度は午後、確か夕方だった記憶しているが、今度は、お客さんがその後検討し、間違いなく買うので契約の準備をしてほしいという内容だった。それも高圧的な口調での話だった。

私は一瞬それでは準備をという気持ちにもなったが、すぐに冷静に脳内を切替え、まだ現地を見てもいない人の話で売主さんにきちんとした話として伝えられることができない、ということと、現実的に重要事項説明書と契約書をたったの1日で問題のないように作成できないというさきほどと同じ理由で断った。東京の人から見ると苫小牧の低価格の土地は、もし投資物件として失敗に終わったとしても大した損額ではないと思うのであろう。だから、図面上・ネット上だけで決めてもいいと考えたのかもしれない。レオパレス21の営業マンも、1日しか時間の取れないお客さんにできるだけのお膳立てしておき、アパートを建ててもらい営業成績にしたいという思惑もあったのだろう。その気持ちは同じ営業ょやっている人間としてわからないわけではないが、あまりにも無茶でいい加減で相手に対する配慮がない、とてではないが受け容れられ話ではなかった。もし、そのような話をするなら、遅くても1週間前に問い合わせがあってもいいものではないか。それならまだ話としてできないわけでもない。準備もできないこともない。しかし、話が来たのは前日だ。とても東証1部上場企業の社員がやる仕事ではないと思えた。

結局、この話を私の段階で断り、売主に伝えることはなかったが、それから少ししてから、別の普通に現地を見た方から気に入ったと申し込みをいただき、普通にちゃんとした段取りのもとでちゃんとした契約をすることができた。レオパレス21の話を受け容れたとして、結果どうなっていたかはわからないが、少なくとも売主さんには後からの普通の段取りでの契約で、無理のないきちんとした売買が成立できたと思った。自分の立場は、売主・買主の中間に立ち、どちらか一方だけが優遇される契約を阻止することも大切な仕事のひとつだ。多くの「きちんとした」不動産仲介業者は同じようなことをやると思う。そんなことはレオパレス21の営業マンもわかっていてもおかしくないはずなのだが、地方都市の安い物件だから何とでもなるだろうとたかをくくっていたのだろうか?
その理由はわからないが、その時、あぁ、レオパレス21の社員の体質とお客さんの体質はこんなものなんだと思った。そして、今回の問題。こういう体質の会社では営業利益を優先したら、今回の違反もあり得るだろうなと思った。

優れた仕事をする人は、きちんとした相互理解と段取りをしっかり取り、話を進めて行くものだ。それは大都市だから地方都市だからといっても変わらないものだ。仕事柄色々な会社の社員と接することがあったが、少なくとも上場企業の社員で、このような無理難題と押しつけ的な話の進め方をしようとしたのはレオパレス21だけだった。不動産の仲介は、土地というひとつの商品の売買と考えている人も多いと思うが、最終的には人と人との交渉が最も大切なものなのだ。決して工場で製造されるものとは全く違う。どんなに優れた物件があって、それを買いたいと申し込んできた人間が、売主がこの人は嫌だと言えば契約は成立しない。
そう、人と人とをスムーズに結びつけるのが不動産仲介業の最も大切な仕事なのだ。





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先日、報道などで出資法違反の疑いとしてケフィア事業振興会が家宅捜索されたことを知った。同会は昨年9月に破産しており、出資した方々に未払いの配当はもちろんのこと、元本の返金もかなり難しいと思われる事件のようだ。この事業主が最初に手掛けた事業であるヨーグルトの通販を私の家では、約15年以上前あるいは20年近く前に購入していた。
当時、ヨーグルトというものは、自宅では決して作ることのできない、あるいは相当しっかり調べて材料を調達した人しか作れないものだと思っていた。ところが、ケフィアは、その難しい自宅製造をキットを利用してできるようにして売り出した。当時、それはとても画期的だった。キットには容器とその容器を覆い一定の温度で温める加熱シート(電気毛布のとても小さいものだと思っていただければいい)とヨーグルトの菌と糖。これだけで気軽に自宅でヨーグルトを作ることができたのです。
味は、市販のヨーグルトとは違い、酸味が少なく、自家製であるので糖分も調整できたため、これを購入してからは市販のヨーグルトをわざわざ購入することが無くなった。通販であるため、無くなる前に再注文をしなければならないという面倒さがあったが(これは妻がやっていたため、実質私の作業はなかったが)、自家製のヨーグルトというものを毎日楽しく食していた。

作り方はとても簡単だった。一定量の牛乳を容器に入れ、次に菌を牛乳にふりかけ、蓋をし、加熱シートで包み、シートに着いているコードをコンセントに差し込み、一定時間そのままにしておく。これだけでヨーグルトができる。できたらシートを外し、冷蔵庫で冷やすと、翌朝の食卓にはヨーグルトが器に盛られているという具合だった。
この繰り返しは何年か続いた。食べていた私は、正直言って(今この事件があったからという訳ではなく)特別美味しいとも思っていなかったし、だからと言って不味いとも思っていなかった、つまり特別な不満があったわけではなかったため、日常生活の一部としてほぼ毎日食していた。

ところがある日、ケフィアから一通の手紙が送られてきた。それは、(何だったのか今となっては覚えていないが)ケフィアが新しく開発する食品の原料のオーナーにならないか、というものだった。一口1万円くらいのものだっと記憶しているが、これを始めて読んだ時、この会社大丈夫か?と疑念を抱くようになった。このあたりから私はケフィアヨーグルトへの楽しみが薄れて来たと記憶している。しかし、その時は「ふーん」程度でおさめて、引き続き注文をしていた。
だがその後、転勤などで生活環境が変わり、色々ばたばたしているうちに、自然消滅的に注文をしなくなった。

さて、ここで何が私にとって問題だったかというと、もしケフィアヨーグルトが生活環境等が変わったとして、なくてはならないほどの生活必需品となっていなかったことと、どうしてエンドユーザーから資金調達をしようとしたのかわからなかったことだ。
何年かずっと利用していて、味が向上したとかということはなかった。それは大問題ではないのだが、(たぶん)ある程度好評を得てそれなりの売り上げがあったと思われる会社が、なぜエンドユーザーに資金調達の勧誘をするのか理解できなかった。それは、スーパーで何かの食品を買って、家で袋を開いてみたら、「オーナーになりませんか?」という文書が入っていたのと同じ感覚だった。そんな会社は怪しい。私にはそう思えて、好感度がかなり下がってしまった。
もちろんわが家ではオーナーなどならずに自然消滅したため被害に遭うことがなかったのだが、今回、この事件が起こって改めてこんなことを思った。

「本業で勝負せずに、策だけに頼ってしまうものは、いずれ滅びる

ケフィアは、たぶん成功したであろう自家製ヨーグルト材料の進化に重きをおかず、金だけに目が行ってしまったのだった。しかし、世の中で長年成功している事業の多くは、本業をより進化させようと企業内で努力を怠らないものだ。ある程度のPR等の策も必要だが、それは本業の製品が良くなければ、効果は一時的なものにすぎなくなってしまう。

このようなことは、私たちの身の周りでもよく見られることだ。例えは、街を活性化しようという論議をする時、必ず「イベントをやろう」という言葉を耳にする。それ自体は悪くはないが、先ほどの例で言うと、製品のPRのためのイベントであって、製品そのものが良くなるわけではない。大切なのは製品そのものだ。これを街に置き換えると、街そのもののを変えずにイベントばかりやっても著しい効果はない、ということだ。
西部地区では色々なイベントが行われる。それはそれでいいことだが、だからといって、そのイベントによって西部地区の人口が増えたかどうかとなると否である。今も高齢者の死亡により自然減が進んでいる。

改めて言う。策ばかり考えて、本体そのものの質の進化をしようとしなければ、いずれ滅びる。そんなことは今まで60年間色々な所でいやというほど見て来た。もうたくさんだ。同じ過ちをこれ以上繰り返してはいけないし、その策の刹那的な魅力に溺れてもいけない。

「理想とするのは、PRしなくても、自然と人が関心を持ち実際に行動を起こしたくもの」

それを目標とした姿勢でとりかからなければ、「良いもの」は決して作れない、そう思う。



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天気予報では、やはり来るようだと報じている。
10年に一度か、観測史上最寒になるかもしれない大寒波がやって来るようだ。

函館は北海道の中でも温暖な地域に属するので、大寒波と言っても実感が湧かないかもしれない。何年か前、非常に強い寒波が襲ってきて、あちこちで水道管が凍結したということがあったが、最悪の場合今回の大寒波はそれをはるかに上回るものになるだろうと想像される。

私はずっと函館に居たわけではなく、仕事などで全道を訪れた経験や極寒地出身の人の話を聞いたことがあるため、参考までに極寒で起きる出来事について、用心のためにその話を伝えておく。
まず、20代に同じ職場で働いていた十勝の盆地地域の本別出身の男性の話。彼は本別から帯広まで当時の国鉄で通学していた。あまりニュースなどには登場しないが、本別も普通にマイナス20℃以下になることがよくあるそうだった。そのため、いつもは自宅から本別駅までは毎日徒歩で向かっていたのだが、あるマイナス20℃ほどの気温の朝、急がなければ列車の時刻に間に合わないとあわてて、普段つけている手袋を忘れて駅まで20分ほど歩いたそうだ。冷気に晒されている手は寒いのではなく、痛くなってしまっていたそうだが、ともかく何とか列車に乗ることができ、客室の暖房の暖かさを体に受けた時、急に気が遠くなりその場に倒れてしまったことがあるとのことだった。マイナス20℃の世界では顔はまだ大丈夫だが(鼻毛は凍ります)、その他の肌を外気に晒し、急激に暖かい場所に移動すると気を失うことがあるらしい。
考えてみると、一気に気温40℃以上の差があるところに行くわけなのだから、体はどうにかなっても仕方ないことだ。

ポイント***厳しい寒さの時は必ず手袋を着用すべきです。手だけならというレベルではなく、体全体の問題になるからです。

私の経験

これも20代の時の話だが、仕事で道北の中頓別に行った。その日は猛吹雪で、当時運転免許を取得していなかった私は、中頓別駅から徒歩で仕事の目的地まで歩いて行くことにしました。ところが、北風(だったと思う)が強く吹雪で、足取りが重くなるだけならまだしも、襲いかかる吹雪に眼鏡はとんでもないことに。普通の寒さであれば、メガネレンズに付着した雪は、フレームやレンズに体温がが伝わっていることで雪は融けてあめの中を歩いているような水滴でいっぱいになる。
しかし、中頓別の極寒の吹雪は、一度レンズについて一瞬融けて、すぐに外気温によってシャーベット状になってしまった。そしてレンズはシャーベット状の雪で先が全く見えなくなる。仕方ないので手でそれを拭き取る。するとまた新しい雪が襲ってくる。この時ほどメガネにワイパーがついてくれていたら助かったのに、と痛感したことはない。
そんなことをしながらやっと仕事の目的地に着くと、先方が気を使って、石炭ストーブの真ん前に吸わされてくれました。「まずは仕事よりも体を温めて」というありがたい言葉に甘えて凍えた体を暖めたが、何かを話そうとしても、顎がうまく動かず、全く言葉にならない。つまり、顎も寒すぎて通常の機能を発揮できなくなってしまったようだった。結局10分くらい、顎を上下に動かしながら。体全体がほぐれて行くのを待って、やっと仕事の話を始めたことがあった。
仕事が終わり、今度は駅に徒歩で向かったが、駅に着いた時に見つけた自動販売機の普段になら飲みそうにもない砂糖たっぷりの珈琲のロング缶(温)を買い、老人のように「ズズズ」と音を立てながら飲んだ時のその美味しさは今でも忘れない。
究極の寒さの時には、糖分は体を維持するための必需アイテムだと分かった。
私の場合はねストーブのある待合室ですこし待ったため、段階的に寒さから体をほ暖めることができたので、列車に乗っても気を失うこともなかったが、ともかくあの時、函館は北海道ではないと改めて思った。

でも、ひょっとしたらその北海道の極寒が函館にも当時用することになりそうだ。
皆様、こんな時はおしゃれよりも暖かさです。どうがどうか、準備をすることに越したことはありませんので、考えられるだけの防寒の準備をしておいてください。





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去年あたりから次第に強く感じてきたことですが、一般的な飲食店で、予約を入れなければ中に入れない傾向にありつつあるという、ちょっと困った事態に私は若干やりきれない思いをしています。

それが、高級レストランのコースであるとかであったらまだわかるのですが、それまで気楽に入店できていたお店に「予約」という優先席が設けられて、場合によっては入ることができなくなるというのは、世の中の傾向としてあまりいいものではないのではないかと思っている次第なのであります。
これは予約を受け入れるお店を非難しようという訳ではありません。私だって大人数で集まる時にはしっかり予約をして席を確保しますし、お店にとっても当然メリットがあるでしょうし、予約を拒否しなければならない理由もないでしょうから、予約を受け入れていると思います。
問題なのは、例えばカフェなどが予約でいっぱいになること。これはどうなのかな、と思ってしまうわけです。予約と言っても、さきほど私が言った大人数でのものではなく、二人だけで行くのに予約を入れることです。
私の考えが古いのかもしれませんが、カフェは予約して行くところではなく、ぶらっとその時の気分で行ける所だと思っておりました。今日の気分は濃いめの珈琲が飲めるところがいい、またある日はそのお店から見える風景を楽しみたい、ある時は最も本がじっくり読める所等々、その時の自分の欲する所に行くことがカフェなどの楽しみの一つであるのですが、行ってみたらたまた満席であったのなら仕方なく引き上げるものの、空席があるのに予約で入れませんというのは、ちょっと残念な気がします。

昨年札幌のある料理店で、この予約に絡むことでけっこう不快な思いをしたことがあります。
そのお店は美味しい料理をが目白押しで、札幌に行く度によくぶらっと行っていたのですが、昨年知人に美味しい店があるから行きましょうと誘って、その料理店に連れて行きました。まだ時間的に早かったせいもあり空席も多くはないにしろ、私たち二人が席に着いてもまだそれなりに空席がある状態でした。ところが席に着くなり、店員がやって来て、「予約でしょうか?」という問いかけをされました。「いいえ」と答えると、その店員が話した正確な言葉は覚えていませんが。要約すると、「この先予約客が来る予定で、そちらを優先したいから、予約客が来たら帰ってくれ」という内容のものでした。もちろん、こんな露骨な表現はしませんでしたが、意味はその通りでした。
私も知人も少し不快な思いをしながら結局の所、そのお店で食べて飲んだのでしたが、店を出た後二人とも、ああいう言い方は気分のいいものではないという共通の感情を確認しました。たぶん私はもうそのお店には行かないと思います。そのお店にとっては、予約をして来てくれるお客さんが「いい客」で、ぶらっと来る客は「どうでもいい客」というような認識を持っているように感じたからです。

この札幌のお店は対応が不快に思えたので、もう行かないと心に決めたのですが、そもそもどうして世の中、こんなに予約をしてしまう風潮にあるのでしょうか?
せっかく行ったのに満席であれば嫌だから予約して行く、ということもあるかもしれません。あるいは、どうしてもそのお店をキープしたいということもあるかもしれません。例えば男女のデートで絶対外せないとか(笑)色々な理由があるのかもしれませんが、私のような気分によって店を選ぶ人間にとって、予約をしなければ入れない店は、次第にリストから外れて行ってしまうのです。
カフェなどのお店は、行ってみたらたまたま満員だったら仕方ない。違うお店を探して入ってみよう。でもそうすることによって、今まであまり気にも留めていなかったお店がけっこういい雰囲気を持っていたりとか、面白いメニューを取り揃えていたりとかという発見ができるかもしれない。そんな偶然に出会えるかもしれない。それもまた楽しいことのひとつです。
今の若い方々はそんなおおらかさがないのかな、とも思ってしまう訳であります。
ともかく、この傾向が続き、多くのカフェが予約がなければ入れなくなるようでしたら、私はコンビニの100円珈琲を買って車で飲むようになるでしょう。

色々書きましたが、ここで最も言いたいのは、簡単に予約してしまう今の文化って、世の中を面白くなくする方向にしてしまっているのではないかということでした。
まぁ、行列ができる料理店には絶対行かない私が言うことですから、少数派なのかもしれませんが・・・・。



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昨日、ソフトバンクの通信が約4時間半不通になったとニュースで知った。
即日はイレギュラーの休日であったため、電話もすることもなかったため、docomoユーザーの私にとっては、影響はなかったのですが(誰かソフトバンクユーザーが私に電話をかけようとして断念した人もいたかもしれませんが)、ともかく少なくとも個人的には困ることはなかったのですが、ソフトバンクユーザーはパニックになったり、計り知れない不便を経験したことでしょう。ニュースでもユーザーインタビューでもその混乱ぶりが報道されていました。

そのインタビューの中には、仕事でアポを取れなくてやっと公衆電話を見つけて電話したものの、開いてもソフトバンクユーザーだったため連絡が取れず、結局アポなしで直接相手企業に行くことにしたという切羽詰まったものもあれば、10代と思われる女性が写真を撮ったけれど、インスタにアップできなくて困っているという、・・・・まぁ・・・・・この歳の私からするとつながった後からでもいいのではというところで困っていましたが、彼女たちにとってはそれが大切なことなんだろうなと思われることや、いつもスマホの地図で道案内をしてもらっているので、仕方なく駅前の道案内図で確かめている方々も見受けられました。

普段当たり前のように使っているものが使えなくなると、そのありがたみがよくわかるという意見もありました。しかし、私に関して言えば、やっとスマホに替えて自分でももっと活用範囲が広がるのかなと思いきや、携帯を見る機会は極端に減りました。契約してい通信容量は5GBなのですが、1か月でわずか2GB台という程度で以前よりも使用頻度は減少したのです。その理由を深く考えたことがないため、原因はわかりませんが、ともかく日常的にスマホを携帯しても、電話通信以外はあまり使っていないのが如実に表れています。

さて、そんなそんなスマホですが、私は情報をスマホに集中しないようにしています。例えば、地図検索もできるだけアナログの紙地図を見るようにしています。古い自動車に乗っているためもあり、車にはカーナビもなくスマホの現在位置情報から目的地へのルート案内という便利な機能もあるにも拘らず、ほとんど利用していません。特に函館市内を走る時には、全く使っていないと言っていいでしょう。それは、もちろん函館の道に慣れているという理由もありますが、一度ナビを使うと道を覚えることができなくなるからです。ナビを確かに便利ですが、人間に「考えさせる」という作業をしなくても済むようにさせてしまったのです。函館全体の地形、幹線道路はどのように走っていて、ある地点から目的地までどの待ちや道路を使って辿り着けばいいのか、それは自分の頭の中にある地図が一番確かです。
実際、ある街に転勤にして、その街を確実に走って仕事をするためにナビを使ったら、市内の道がどのような組み合わせ・経路・前後関係になっているか全く覚えられずに、結局ナビを使用せずに「紙」の地図で路を覚えた方もいらっしゃいます。

また、買い物もスマホではなるべく支払わないようにしています。もしもスマホを紛失して、あたふたしているうちにペイシステムをスマホに集中させている、誰かに使われてしまうかもしれません。まぁ、その場合クレジット会社も対応策を考えてくれているでしょうが、プリペイドカードなどはまだカードにしています。
私はiphoneを使用していませんので、Apple Payは当然使用していませんが、それに似たようなPayシステムも導入していません。
なぜなら、便利なものにはそれと同様の失うものがあるからです。
例えば、先のカーナビ。人間が持っている脳の能力を確実に低下させます。地図という図形と実際に走って得る線との融合の繰り返しで、場所の位置関係をインプットするという脳の作業を必要とせず、点と点を結ぶだけでその途中からちょっと外れた道路や街並を経験することができなくなり、脳内で街全体を俯瞰することができなくなってしまうのではないかと思いまする
種類は違いますが、私も30代前半までは通常の計算は暗算で行ってお客様に説明していたのですが、ある先輩から「暗算が得意なのは充分わかるけれど、お客さんに金額の話をする時は電卓でちゃんと数字が出ている方が安心してもらえる」と教えられ、お客さんに信頼してもらうためにはその方がいいだろうなと計算は全て電卓でするようになってから、暗算の能力は着実に下降しました。今ではこんな暗算もできないのかと自分でも情けなくなるくらいの程度です。

テクノロジーのおかげで色々便利になっていますが、アナログなこともして行かないと最新なものを駆使しているようで、考える力はどんどん衰えてしまうのかもしれません。先日自動車のタイヤがパンクしてスペア用のタイヤにとりあえず交換するという作業ができない男性がいました。何かあったらガソリンスタンドでやってもらう、と話していましたが、以前オイル交換も自分でやっていた私にとっては信じられないことでした。
最後に再び述べます。便利さは人をどんどん無能にしていきます。たまには体や頭を使ってアナログなことをやることが必要ではないかと、還暦を迎えたおじさんは思うのであります。


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えー、長く生きていますと、ついこの前まで子供だと思っていた若者がいつしか大人っぽくなってびっくりしたりすることがありますが、企業も同じように北海道のローカル企業だと思っていたら、いつの間にか全国展開していたり、道外での認知度が高くなっていたりした企業があります。

そんな企業を思い出しながら、ちょっとした逸話を交えながら並べてみるのも面白いと思いまして・・・・、まぁ、あまり役に立たないかもしれませんが読んでみてください。

1.ホーマック  昔は札幌で石黒ホーマという名前で営業していましたが、ホーマックに名称変更をしてから急速に全道や本州にも店舗拡大されましたね。東北でホーマックを見つけてしまうのも不思議な光景ではなくなりました。

2.ツルハ   札幌が発祥かと思っていましたが旭川の薬局だったのですね。気が付いたらいたる所にツルハが(笑)ちなみにホーマック同様イオングループの提携店であることも注目。

3.アインファーマシーズ  アルバイトの女性の提案で札幌中心部に前例のないドラッグストアと化粧品・雑貨をお洒落に陳列したお店(アインズ&トルぺ)を作り、売り上げが急成長。その後アインズ薬局が全国売上No.1の調剤薬局店に躍進。

4.ニトリ   似鳥家具店が発祥。今はわかりませんが、北区のわかりやすい場所に社長宅があり、何となく親しみを持って見ていたが、バブル崩壊の倹約ブームの中、それまで嫁入家具の相場が50万円だったのに対して゜、ニトリであれば20万円でそろえることができると全国的に店舗を拡大。資材となる木材の海外直接購入などの独自の営業展開で全国規模に。

5.びっくりドンキー  札幌の一部で店舗数が少ない頃は、「ドナルドダック」という名のハンバーグレストランでしたが、店舗拡大していくうちに、たぶんこりゃまずいと思ったのでしをょうか、びっくりドンキーという名に変更になりました。会社名もカウベルカンパニーからアレフになっています。ちなみに、今はどうかは知りませんが、壁などに使用されているガラクタのような建材は社長自ら探して持ってきたものだそうです。

6.六花亭   函館市宝来町に総本家がある千秋庵の帯広店としてスタート。当時、まだ小さな会社だった頃、従業員が全員持家を建てたのを確認して、やっと社長が自宅を建築したという従業員を大切にしている会社。全員建てるまでは社長はアパート暮しだったそうです。

7.石屋製菓  40年近く北海道のお土産の定番として揺るぎない知名度を持つ「白い恋人」。創業者の二代目である石水勲氏はアポが取れないことで有名でした。コンサドーレ札幌は石屋製菓のバックアップがなければ今活躍できていなかったかもしれません。

8.LeTAO   驚くなかれ本社は千歳。千歳で作りながら小樽をイメージするRUTAOというブランドで営業展開したのは、企業の柔軟な発想が窺えます。今やお土産にしたいもの全国No.1になっていますね。

その他・・・・函館では元北日本信販が現在のジャックスであるとか・・・・・雪印・・・・・・サッポロビール・・・・・などもありますが、ここ何十年かで飛躍的に有名になった企業だけを列挙しました。
あっ、函館がない・・・・・・・。琴似発祥のつぼ八を忘れていた・・・・・。




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たまにはどうでもいい話を。

私が本当に小さな子供だった頃、他の子供たちと同じようにウルトラマンを夢中になって見ておりました。よく覚えているのは、万年筆かボールペンとか「ペーターカプセル」に形が似たものを右手高く掲げて「シュワッチ」と何度も変身しようとしていました。そうやると、実物は何も変身していないのに、何となく強くなってどんな怪獣にも立ち向かえそうな気持ちになっていました。

私にもそんな純情な時があったのですね。しかし、それも実は束の間で、毎週見ていると色々な疑問を持つ、私の素直ではない性格が殻を破ってむき出し始めました。その疑問を列挙したいと思います。

1.ウルトラマンは地球上で活動できる時間は3分間で、それを過ぎると黄色→赤と信号機の法則通りの変色することになっているのですが、3分を過ぎてもカラータイマーが黄色に変わらなかったり、逆に3分も経っていないのに色が変わったことがありました。そう言えるのは、私はちゃんと時計を見ていたからです。それは猜疑心からではなく、ウルトラマンがあと何分戦っていれるか気になっていたからです。

2.そしてカラータイマが点灯するとウルトラマンは必殺技「スペシウム光線むを放ち、一種にして怪獣を倒してしまうのですが、なぜ最初からそれを使わなかったのか。たった3分間ちょっとしか戦えないのだから、最初に使ってしまえば、自分が苦しむこともなかったのにと不思議に思えました。

3.また、3分以上戦いカラータイマーが限度に来ているのに、怪獣を倒すと「シュワ!」と宇宙に向かって飛び去って行く。この時間はカラータイマーの時間と関係ないのだろうか?途中で時間切れとなって飛べなくなり、地球に落下してしまうことがないのだろうか?

4.また、宇宙まで即座に飛んで行けるくらいの上昇推進力があるのなら、怪獣の攻撃も軽くジャンプしたらサッとかわせたのではないか。どうしてまともに攻撃を受けてしまうのか。理解できなかった。

5.水深が深そうな海中で怪獣と戦って、やっと海面に浮上したと思ったら、海面がウルトラマンのひざ下くらいまでしかなかった。それまでどういう戦いをしていたのか、さすがの子供でも不思議に思えて仕方なかった。

6.見事、怪獣を倒し、一度宇宙に飛び去るウルトラマンが、再びハヤタ隊員という人間に戻るのはどういうプロセスを経て可能になるのか?

7.ハヤタ隊員が「ベータカプセル」を右手に掲げて変身しようとしているところをフジコ隊員以外に見られたことはなかったのだろうか?現代であれば誰かがスマホで動画撮影して話題になっているはずですね。

8.そもそも怪獣はどうして日本にばかり登場するのか?

9.結局科学捜索隊だけで怪獣を退治したことはあったのでしょうか?ウルトラマンがいなければ科学捜索隊は全滅していたのかもしれませんね。

こうやってちょっと思い出しただけでも色々な疑問があるのですが、それでも毎週欠かさずテレビの真ん前で見ていたということは、やっぱり面白かったのでしょうね。微かにピアノ線が見えても子供にとってはファンタジー以外の何ものでもなかったのだと思います。





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